女性割合の調整は憲法違反・教育基本法違反で募集要項に記して許される問題ではない
東京医科大学が女性合格者を3割以下に抑えるために、入試における得点を女性にのみ一律に減点して員数調整していたというニュースが8月2日に流れ、当然のことながら多くの批判的論考がメディアに出た。このことについて筆者も考えを述べたい。
まず、この種の女性差別が決してあってはならないことで、憲法14条第1項で
すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により政治的、経済的又は社会的関係において差別されない。
とし、またそれを受ける形で教育基本法4条において
(教育の機会均等) すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。
と記されていることに明確に違反する。
しかし、今回の東京医大のケースについて8月2日の朝日新聞記事は文部省の担当者の談話として「入試の応募要項に男女比の調整を明記していれば、大学の責任で実施できる。東京医大がそうした説明をしないまま調整していたなら問題だ」と述べたと報告している。また、この「担当者」の言を裏打ちするかのように林文部科学大臣も「募集要項にも示されずに、適切な目的なく、不当に女子が差別されているような入学者選抜があるとすれば、文部科学省としては認められない」と述べたという。「募集要項」に記述があり、「目的が適切」なら良いととれる考えだが、極めて曖昧な表現である。例えば女性合格者を3割に抑えるために「男女別の合格者数を調整すること」や「男女別に異なる定員をもうけること」などの旨を募集要項に書けば「適切」となるのか否かが明確でないからである。もしそのような目的が「適切」とされるなら、筆者には「女性差別は陰でこそこそやらず、表で堂々とやれ」と差別を奨励することになると思える。政府はこの点自らの見解を憲法や教育基本法との関係においてまず明らかにすべきである。
筆者は女性の医師が圧倒的に少ないという現状という社会的条件のもとで、東京女子医大のように学生を女子のみに限定する例外的大学が存在しても社会全体としての男女の機会の均等に反しないので「目的が適切」とみなして良い事例とすることに異論はないが、この現状で医大や医学部が女性入学を制限したり排除したりする正当な理由など全くないと考える。また医学部が他の学部に比べ医師という特定の職業に結び付く職業訓練をかねた学部であることを考えると、女性割合の制限は憲法や教育基本法だけでなく雇用機会均等法や男女共同参画社会基本法にも反すると考える。
医師の女性割合はOECD諸国内で日本は最下位である
今回のような女性差別は高度な専門職に関わる教育や雇用の男女の機会の不平等について氷山の一角と筆者には思える。以下医師問題に限ってその理由を述べたい。下記の図は2011年におけるOECD諸国における医師の中での女性割合の比較であるが、日本は左端で女性が18.8%と、統計が得られる27カ国中最低である。中央値であるドイツの43.1%と比べ半分にも満たない。医師の女性割合が50%を越える国も8か国もある。
一方日本において、女医の活躍には歴史がある。江戸時代生まれの女医に限っても大原富枝の小説『婉という女』の主人公のモデルで土佐藩女医の野中婉(1661-1726)、シーボルトの娘の楠本イネ(1827-1903)、渡辺淳一の小説『花埋み』の主人公のモデル荻野吟子(1851-1913)などの活躍は有名であり、当然そのような医療における女性活躍の長い歴史を考えれば現代社会で日本は医療における女性の活躍の進んだ国となる可能性もあったはずだが実際はOECD諸国内で最下位である。これはなぜなのか?
医師の女性割合の低さは主として国家試験受験者の女性割合の低いせいで女性医師の離職率の高さのせいではない
よく言われることだが、女性にチャンスは同等に与えているのだが女性が育児などで離職してしまうから医師の間での女性割合が少ないという説は妥当だろうか。実は医師の国家試験における合格者の女性割合は、1990年代半ば以前は20%に達せず、2000年に30%に達したのだが、以後32-34%に達してからはなぜかここ15年ほど頭打ちで全く増加していない(関連の図は8月3日の錦光山雅子氏のハフポスト記事を参照)。なお、合格者の女性割合が低いのは、女性の合格率が低いからではなく、むしろ合格率は近年女性受験者の方が男性受験者を上回り平均的には女性のほうが優秀なのだが、受験者の女性割合が低いために合格者の女性割合が低くなっているのである。女性の国家試験合格率が男性より高いことは、東京医大のような医学部入学時における女性差別のせいで、入学時における選別が女性により厳しく課された結果、入学者中では女性の学力が男性より優ることを示唆する。
また、それまで順調に伸びてきた医師の国家試験の合格者の女性割合が、過去約15年全く頭打ちになって伸びないというのは、医学部入学者の女性割合が全国で頭打ちになっているせいである。これは極めて異常であり、医学部入学における女性差別の慣行が東京医大にとどまらず、広く蔓延していることを示唆する。これ等は状況から考えた推測だが、政府は、この懸念に関し医大や医学部の今までの合格者選抜について受験者の女性割合に比べ合格者の女性割合が不自然に低い場合など、公平性に疑いがあれば厳しく調査し、女性差別的慣行があれば断固として是正すべきである。
もう一つ、女性に関しその離職率が大きいことが指摘されるが、これには誤解・曲解もある。まず、医師の女性割合が年齢と共に低くなる事実を以って女性の離職率が高いと主張されることがあるが、これは高年齢ほど国家試験合格者中の女性割合が減ることが大きく影響し、分母(国家試験合格者数)の違いを考えずに分子(医師数)の趨勢を見て判断する誤りである。
実際の資格者中の男女の医師の就業率の違いは、内閣府男女共同参画局発行の『共同参画』の2012年2月号の図3によると以下の様になっている。
この図によると、女性医師資格者中の医師就業率は35歳で76%に落ち込みそこでは4人に1人は離職している勘定になるが、全体として男性の就業率を大きく下回るわけではない。25歳から60歳までの(年齢分布を一様と考えた)平均では男性の平均就業率は90.9%、女性の平均就業率は83.9%で、わずか7%の違いにすぎない。
医者によらずわが国では長時間労働が蔓延し、このため子育て中の女性に特にワークライフバランスが達成しにくいため35歳前後を底に就業率が減るM字型カーブが医師の場合にも残存していることが女性に離職者が比較的多い原因である。だが7%という就業率の男女差はこの点で社会のあり方が改善されれば十分解消できる度合いであり、それを理由にして差別を行うなど、法的かつ倫理的に否定されるべきであるばかりか、合理的判断では全くない。日本以外のOECD諸国での女性の医療での活躍が、いかにその社会に貢献しているかを考えればその非合理性は自明であろう。
また日本で女性の専門医専攻に偏りがあるため女性が増えると特定分野の専門の供給不足になるという主張に関しては、専門医の専攻別に男女合わせた学内定員枠を設けて供給過多の分野の専攻者を減らしたり、需要に比べ供給の少ない専門の学生の奨学金を増やしたり、その分野の医師の報酬を上げたりするなどのインセンティブ・メカニズムで解決するべきであって、女性差別で調整しようなど言語道断である。
それにしても医学部入学にしても雇用にしても、「成績だけで採用すると女性が多くなりすぎて困る」という人事担当者などが日本に多いことには困惑する。逆に「男性が多くなりすぎて困る」とは決して考えないのだから、それだけで女性差別意識だと思うがその自覚もない。より優秀な人を採用できることは、その人が男性であろうが女性であろうが、人材活用上望ましいと思えない人の多いことに、筆者は日本における女性差別の根深さを感じる。
大学入学における女性差別の撤廃は社会的機会の平等を掲げる法治国家の試金石であり政府の断固たる姿勢の有無が今問われている
東京医大は、「こういうことはどこでもやっているので」と弁解しているという。犯罪者が、「やったのは自分だけではない」という論理そのものだ。大学経営者が憲法も教育基本法も知らないというわけもあるまい。とりわけ東京医大は8000万円超の女性研究者支援助成金を政府から受けていながらこういうことをしていたというのだから、大学経営における倫理性の欠如が著しく、教育機関として失格である。
加藤厚生労働大臣も、日本医師会も、東京医大の件に付き「あってはならないこと」などの見解を発表した。当然であろう。だがまず政府は東京医大以外にも、類似の女性差別を入学に関し行っている医大・医学部の有無について調査すべきであり、また類似のケースがあれば東京医大ともども適正に処罰するとともに、今後このようなことが一切起こらないようにするために、何を行うかの指針を明示すべきである。事実の明確な差別と関連する法令違反に対し罪に問い罰則を課すことをせずに政府が単に言葉だけで否定し今後の改善を語るならば、それは法治国家のあるべき姿ではない。
またこれまでに差別により被害を被ったと考えられる女性受験者たちにも過去にさかのぼって適正な賠償がなされるべきであるが、被害者を特定し救済するにも政府の介入・支援が必要だ。
今回の事件は、日本が本当に男女の教育や雇用の機会の均等を達成しようとする国なのか、それとも法は単なる飾り物で、実際は女性差別の事実が明確でも容認する国なのか、を識別する重大な試金石である。東京医大の女性差別はすでに米、英、カナダなど英文圏を初め世界で広く報道された。今回の事件の対応に誤れば、いくら政府が「女性の活躍推進」を唱えようと、国際女性会議を日本で開こうと、「女性活躍推進法」を制定しようと、女性差別のない社会を日本が本気で目指しているなどとは世界中が信じないであろう。
(2018年8月8日RIETIより転載)