「国語」ではなく「算数」で物事を見る習慣
かつて日経新聞の小さなコラムで次のような話が書いてありました。
「人間にとって一番恐ろしい動物はなんだろう?」という問いに対して、人々はやれ「人食いライオン」だの、「人食いザメ」だのさまざまな回答をします。しかし、実際の統計を見ると、1位はぶっちぎりで「蚊」でした。年間、70万人も人を殺しているのです。そして2位は「人間」で同40万人。次は「毒蛇」で、数字はガタッと落ちて4万人。人食いザメによる死者は、年間10人程度しかいない、と。
この逸話が意味するところは、「国語」で議論をすると答えがたくさん出てきますが、「算数」を介してみると世界の姿がはっきりと分かるということです。
内閣府が2014年に行った世論調査で「50年後の日本の未来は、現在と比べて明るいと思うか、それとも暗いと思うか」という問いに対して、「暗い」または「どちらかといえば暗い」と答えた人は60%もいました。過半数の人が日本の未来を悲観しているのです。
しかし、僕は日本の未来は明るいと考える一人です。
なぜなら未来は現在の日本に生きている僕たちみんながつくり上げるものだからです。暗い未来を予感させる課題が目の前にあるなら、それをしっかり受け止めて、明るい未来になるように対策を講じればいいだけの話です。
ただ、そのためには日本のありのままの姿を「算数」で、きちんと知る必要があります。
「日本の未来は暗い」と思う人は、メディアが「高齢化危機」だの「年金崩壊」だのと煽るのを鵜呑みにして、思考停止してしまっているからではないでしょうか。
メディアに踊らされない「確固たる自分」を持つ
そこで生まれたのが今回紹介する一冊です。僕はいままでたくさんの本を出してきましたが、この一冊には格別の思い入れがあります。なぜなら僕自身が、こういった本があればいいのにと常々思っていたからです。
というのも、僕は若い頃から矢野恒太記念会から毎年出版される「日本国勢図会」と「世界国勢図会」という本を買って時間を見つけては眺めることが習慣となっていました。ちなみに図会と書いて「ずえ」と読みます。人口や産業、貿易、社会保障など、ありとあらゆる分野を網羅した統計データブックで、500ページ前後もある大作です。
矢野恒太は第一生命の創立者であり、相互保険生みの親と言われる人物でもあります。その彼は1927年に出版された図会初版の序文でこう記しています。
「編者が若し教育者であって、幾人かの青年を預かったなら、本書に書いたことだけは何科の生徒にでも教えたいと思うことである。本書は講堂のない青年塾の一部である」
人々がときに冷静さを失うのは、ひとえに情報不足が原因です。当時は第一次世界大戦が終わった9年目。経済情勢は極めて不安定で、集団ヒステリーのような現象がよく起こっていた時代です。
そんな日本の現状を見かねて、これからの日本を担う若人たちに「客観的データ」の価値を知らしめ、それによって主体的な判断を下せる「自律した日本人」をひとりでも増やすために、日本国勢図会は作られたのです。
ただ、統計データは不慣れな人が見ると単なる数字の羅列に過ぎません。つまり、解説がないのです。そこで、日本を取り巻く様々なデータをなるべく広いジャンルから集め、それに対して僕がコメントをつけていった本が「日本の未来を考えよう」です。
この本の「主役」は僕の意見ではなく、グラフや数値のデータです。読者の皆さんひとりひとりが日本の未来を考えるきっかけとなってほしいとの思いを込めて1年がかりで作りました。
待機児童が存在する国はOECDで日本だけ
この本で取り上げるテーマは多岐に渡ります。せっかくなので1つだけ取り上げましょう。最近、論争になっている待機児童問題についてです。
よく待機児童問題を「親のエゴだ」と批判する声を耳にしますが、とんでもない話です。
たとえば育児サービスを利用している3〜5歳児の割合をヨーロッパ諸国と比較すると、ネーデルランド(オランダ)、ベルギー、フランスなどは100%近い数字であり、その他の国も軒並み8割近いのに対して、日本はわずか34%です。
そもそも、待機児童問題が起きているのはOECD加盟国(先進34カ国)の中で日本だけです。
その他の国では保護者が望めば子どもの居場所を国が確保しなければならない責務を負っているのです。それが「子どもの権利」なのです。
こうした事実を知れば、日本のお父さんお母さんたちはもっと大きな声を行政や政治に対してあげていいことがよくわかるでしょう。
このように、テレビのニュースや新聞に接するときは、政治家やコメンテーターの発言をただそのまま受け入れるのではなく、冷静に数字を追う姿勢が重要です。
形容詞やイマジネーションで物事をとらえるのではなく、客観的な数字を基準にすれば、実像がより分かり、ムダな恐怖がなくなり、さらに今の自分たちに課された課題が明確に浮かび上がります。
ましてや矢野恒太の時代と異なり、いま僕たちの身のまわりには数字を検索するツールがいくらでもあります。スマートフォンでブラウザを立ち上げてキーワードを打ち込めば、ありとあらゆるデータベースに簡単にアクセスできるのですから。