ギリシャは政治的大変動を迎えている。これは、集団の記憶にも個人の記憶にも残る、歴史的に重要な政治的方向性の転換だ。どのようなことがどこで起こったのか、みんなが思い出す夜となるだろう。運がよくても一生に一度経験するかどうかというくらいの珍しい経験だ。言い換えれば、1月25日の夜は、個人が集団が入り混じった特別な瞬間となった。
私たちはみな、程度の差はあっても、この近代史で特筆すべき瞬間がどれだけ重要なのか、その原因を知っている。新民主主義 (ND) と全ギリシャ社会主義運動 (PASOK) との連立政権が崩壊した理由を理解するためには、ギリシャ社会の現実を見る必要がある。失業率は高く、医療システムと教育システムは崩壊し、民間部門の経済は排除され、中流層は消え、経済を底上げする改革はまったく行われない。
しかし、原因はこれだけではない。
他にもある。数字には現れないが、より深い原因だ。この記事を書いている段階では、こうした原因は、一定ではない。こうした深い原因は、歴史の1ページをめくるだけではなく、歴史の新しい本を書き下ろさなければならないほど、社会が求めてきたものに関わる。
野党は大きな約束もしないし、すべてを解決できるとも言わない。彼らは、「白紙の小切手」にはだまされないようにし、個人的にも集団的にも責任を取ることを求めた。異なる視点をもって将来を見据えることを求めた。
これまで述べたような政治的大変動の本質は、ある事実の中に現れている。その事実とは、市民はただ新しい方向性を認めただけではなく、新しい政治的構造も認めたということだ。ギリシャの市民は、緊縮策を拒絶しただけではなく、保守政党NDと社会主義政党PASOKによって40年にわたって統治を行ってきた邪悪で横柄で崩壊した政治システムを拒絶した。
政治参加、人々の声、公共への関与は、最も重要なものだ。ギリシャで今日もたらされたこの大変動は、明日のヨーロッパで見られるかもしれない。マーティン・ルーサー・キング牧師が言ったように、「問題になっていることについて口をつぐむようになったとき、私たちの命は終わりに向かい始める」。そして、1月25日、ギリシャは口を開いたのだ。
このブログはハフポストギリシャ版に掲載されたものの英訳を翻訳しました。