2018年度も、教科書を入れたあの「袋」が小学校に入学する子供たちに配られた。
「次代を担う子供たちに対し、わが国の繁栄と福祉に貢献してほしいという国民全体の願いを込めて」
「この制度に込められた意義と願いをお子様にお伝えになり、教科書を大切に使うようご指導いただければ幸いです」
こんな風に書かれている。教科書が無料なのは、当然なのになんでこんな書き方をするのか。数年前からTwitterなどで「恩着せがましい」「言葉が気持ち悪い」などと話題になっている。
保護者の皆様へ
お子様の御入学おめでとうございます。
この教科書は、義務教育の児童・生徒に対し、国が無償で配布しているものです。
この教科書の無償給与制度は、憲法に掲げる義務教育無償の精神をより広く実現するものとして、次代を担う子供たちに対し、わが国の繁栄と福祉に貢献してほしいという国民全体の願いを込めて、その負担によって実施されております。
一年生として初めて教科書を手にする機会に、この制度に込められた意義と願いをお子様にお伝えになり、教科書を大切に使うようご指導いただければ幸いです。
文部科学省
この紙袋は、1966年度から小学校に入学した1年生に毎年配られていて、「教科書給与用紙袋」という名前だ。
2017年4月には、衆院議員が政府に紙袋に書かれたメッセージの効果や趣旨を尋ねる質問主意書も提出された。
国会議員からの質問に対して、政府は2017年、次のように説明している。
袋を配る目的は「小学校に入学する児童に教科書を無償で与えるにあたり、入学を祝い、無償の趣旨の徹底を図るとともに給与の便に資すること」で、「各学校の校長は、この紙袋を受領し、これに教科書を収納して、入学式の当日等に、教科書無償給与の趣旨を説明して、児童に給与すること」となっているという。
2017年度には、667万3843円の費用がかかったという。
なぜ、こんなメッセージが盛り込まれているのだろうか。
■小中学校の教科書は昔「有料」だった
小中学校の教科書はかつて無料ではなく、子供の保護者たちが買うものだった。
「義務教育は、これを無償とする」ーー。憲法26条にはそう書かれている。だが、実際には学用品や体操着、算数セットやピアニカは大人が自腹で買っている。
では、どこまでが「無償」なのか。
1964年2月の最高裁判決は、無償の範囲を「授業料だけ」と判断した。
つまり、最高裁は、この時点では、教科書は「無償でなくてもいい」としたのだ。
では、どうやって教科書は無償になったのか。そこに至った背景には、高知市長浜地区の母親たちが、1961年に始めた運動があった。
■お母さんたちからスタートした教科書無償化運動
高知県教育委員会の古いウェブサイトには、2012年1月、高知市立長浜小学校が開いた「教科書無償運動50周年記念パネル展」で、この地域から教科書無償が始まった経緯が紹介されている。
「その頃、教科書は、毎年、新学期をむかえる前に各家庭でそろえることになっていました。3月になると保護者たちは、古い教科書をゆずってもらったり、古くて使えないものや、ないものだけを買いそろえたりして苦労していました。新しい教科書を全部そろえると小学校で700円、中学校で1200円ほどかかりました。一日働いて300円ほどの収入しかなかったのですから、子どもの数が今に比べて多かったその当時は教科書をそろえてやるだけでもたいへんな出費でした」
「1960年(昭和35年)ごろになると、物価も値上がりをはじめ、教育費の保護者負担を軽くしようという動きも出はじめました。このころ、長浜地区の中でも、学校の先生たちや市民会館の館長さんといっしょにお母さんたちの読書会がはじまりました。2年ほどたつうちに、『わたしたちが習った歴史と今の子どもたちが習っている歴史は全然ちがう。わたしたちも子どもの教科書を使って勉強しなおそう。』という声が出はじめ、憲法の学習もはじまりました」
その憲法に書いてあったのが、「義務教育の無償」だった。
「その中で、憲法26条に記されている『すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。』という部分が問題になりました。『義務教育はこれを無償とするというのだから、教科書を買うのはおかしいのじゃないか。』『教科書はもともと政府が買いあたえるべきものだ。』『教科書がただでないということは、憲法で定められたことが守られていないということではないか。』ということが、話し合わされました」
「そして、1961年(昭和36年)3月に、長浜地区で行われた会合の中で『いくら請願しても効果はない。ただで配るまで買わずに頑張ろう。』という提案がなされ、校区のいろいろな団体が中心になって『長浜地区小中学校教科書をタダにする会』がつくられました。この会は、各地で集会を開き、署名運動をはじめ、いっしょにたたかう団体もふやしていきました。教科書の無償要求は、憲法を守るための運動であるということに気づいた人々は、この運動をもりあげささえていきました」
「その要求の正しさが理解され、1週間もたたないうちに長浜地区で1600名もの署名があつまりました。その要求を高知市の教育委員会にもちこみ、『憲法を守るために教科書を買わない。』というたたかいを始めました。運動は、新聞やテレビにもとりあげられ注目をあびました」
「教育委員会は、『教科書をタダにする会』との交渉によって、無償の要求は正しいと認めましたが、全員に教科書を配るという約束は絶対にしませんでした。買える能力のある人は買ってほしいという教育委員会の要求をはねのけ、2000名の児童生徒のうち約8割にあたる1600名が、教科書を買わずに新学期がスタートしました。学校では、教科書を持たない多くの子どもたちのために、先生たちはガリ版刷りのプリントを使って毎日授業を進めていきました」
「その後、運動の正しさがたくさんの人々や団体・政党に支持され、全国的な運動に発展し、国会で大きな問題として取りあげられました。政府もついにこの要求の正しさを認め、1962年(昭37年)に法律をつくって、翌年から段階的に教科書が無償で子どもたちに配られることになりました。私たちが、今なにげなく手にしている一冊一冊の教科書には、このような運動があったのです」
長浜小学校、高知市が独自に始めた教科書の無償制度は1961年春から始まり、その後、全国に広がり、「義務教育諸学校の教科用図書の無償に関する法律」が1962年4月1日に施行され、国全体で教科書の無償化に取り組むことになった。その後、66年度までに小学校全学年まで拡大された。
■有償化を唱える声も...
無償になった後も、たびたび「有償化」の議論が起きた。
文科省のサイトによると、1977年以降、財務省の財政制度審議会などで有償化や貸与制などの指摘がなされているという。たとえば、2005年度予算における「歳出改革への取組み」のなかでも、こう提案されている。
「これまでの建議で長年にわたり指摘されている義務教育教科書無償給付制度についても、児童生徒数の減少に見合った予算額の減少が見られないという問題がある。無償制の継続が、国民の教科書に対する関心・意識を高めることなく大幅な単価増を許容してきた一因と考えられることも踏まえ、無償給与に係る予算総額を縮減するとともに、引き続き、貸与制の導入も含め、有償化の実現に向けた検討を進めるべきである」
そうしたことなどを背景に、文科省も改めて通知を送っていた。1982年の通知では、こうある。
「最近、現下の厳しい財政状況等を背景に、義務教育諸学校の教科用図書の無償給与制度の趣旨、必要性など制度の基本にかかわる論議が行われ、その関連で、学校教育活動における教科用図書無償の意義の理解や教科用図書の取扱いについて種々の意見が出されております」
「いうまでもなく、義務教育諸学校の教科用図書の無償給与制度の趣旨は、憲法第26条に定める義務教育無償の精神をより広く実現するものとして、我が国の将来を担う児童・生徒に対し、国民全体の期待をこめて、その負担によって実施しようとするものであります」
「恩着せがましい」教科書袋の文言は、そういう経緯があったようだ。