「長男さんは、母親に経管栄養を行ってでも、できるだけ長生きしてほしいと言ってます。でも、長女さんは、もはや口から食べられないのなら、自然に最後を迎えさせてほしいと言ってます」
若い研修医が板挟みになっていることがあります。この段階になると、ご家族の想いが強く出てくるものです。様々な意見をぶつけられるということは、研修医が家族から信頼されている証拠でもあります。でも、大変です。
ただでさえ、人の死は、いろんなことを清算しようとしています。この繊細な状況にあって、ご家族それぞれが医師をあいだに挟んで本音をぶつけてきます。異なる意見がぶつかり合うことを避けてもいるのでしょう。ここは察しておきたいところ。でも、その判断を医師が肩代わりすることはできません。
ひとつ研修医にヒントを言うならば、ご家族に「あなたは(母親を)どうしたいですか?」という投げかけで終わらせないことです。
たとえば、ご長男さんが「経管栄養を開始してほしい」と求めてきたら・・・。
「なるほど、ご長男さんとしては、チューブを通じて栄養を入れてでも長生きしてほしいと思われるのですね。ところで、お母様はどのようにお考えでしょうか?」と掘り下げてみてください。「お母さまが元気だったときのことを教えてください。そのお母さまだったら、いまの状態にあって、自分のことをどのようにしてほしいと言われるでしょうか?」
それぞれの想いは大切です。ただ、ご家族の意見を一致させてゆく足がかりとは、それぞれが「自分の親をどうしたいか」という主張から脱却することにあるのです。もっと言うと、「子の想い」と「親の想い」という背反性を乗り越えることこそが、清算のはじまり・・・ といえるのかもしれません。
イメージがうまく出てこないようなときには、ご本人が元気だったときの写真を持参していただくこともあります。私たち医療者が聴き手になることで、思い出話が盛り上がることもあるんですね。やがて、ご本人がそこにいるかのような温もりが、カンファレンスルームに生まれてくるものです。
それから改めて、子どもたちが一緒になって「母親だったら、どうしてほしいと言うだろうか?」と想い巡らせることができたなら・・・、やがて、ひとつの回答に辿り着くかもしれません。