自転車事故で大けがをして2017年に政界を引退した自民党の谷垣禎一前幹事長が10月31日、安倍晋三首相と首相官邸で面会した。谷垣氏が公の場に姿を見せるのは事故後、初めて。時事ドットコムなどが報じた。
テレ朝ニュースによると、「永田町でも活躍を期待する声もあるが?」と報道陣から聞かれた谷垣氏は以下のように答えた。
「老兵は死なず消えゆくのみというのが一番、適切じゃないかと思います」
■マッカーサー元帥の真意は?
この「老兵は死なず消えゆくのみ」という言葉は、GHQの最高司令官だった、アメリカのダグラス・マッカーサー元帥の名言として知られている。
著作家・宇山卓栄さんによると、マッカーサー元帥は朝鮮戦争で国連軍総司令官に任じられたが、戦況を打開するために「中国東北部に原爆を落とす」と主張。中国・ソ連との全面戦争を回避したいトルーマン大統領と対立し解任された。
産経ニュースによると「老兵は死なず」の言葉は、その10日ほど後の1951年4月19日、アメリカ上下両院の合同会議で行った演説に盛り込まれていたものだった。
マッカーサー元帥は演説で共産化した中国の脅威を論じてトルーマン大統領に反論した上で、結びの言葉として次のように言ったのだった。
「私は52年の軍務を終えようとしている。...だが、(陸軍士官学校入校)当時、兵舎で最も流行っていた歌の一つの繰り返し句は今も覚えている。『老兵は死なず、ただ消え去るのみだ』と、この上なく誇らしげに謳っていた。そしてあの歌の老兵のように私は今、軍歴を閉じて、ただ消え去っていく。神の示すところに従って自らの任務を果たそうとした一人の老兵として。さようなら」
戦場で死ぬことなく軍を去ることになった自身のことを誇った言葉だった。
日本大百科全書によると、マッカーサー元帥はこの演説のあと、政界転身を図った。1952年の大統領選に野心を燃やしたが、支持は集まらず、レミントンランド社・会長として晩年を送ったという。本心では表舞台から消え去りたくなかったのかもしれない。