市議会議員をしておりますが、政教分離と言われますが、ぼくは仏教がとても好きです。僕が仏教が好きなのは、とても考え方がさっぱりしているからです。
人は何で悩むのか、に対して「なにかに執着する心があるからだ」でおしまい。そして僕にとって、それは全く正しく、反論の余地もないものです。
思い返すと、おばあちゃんが死んでから、法事でお経を唱えていたときに、「しかし、なんでお経なんか読むんかな?」と素朴な疑問を持ち、デジタル世代な僕はすぐにGoogle先生に尋ねてみると、なんとまあ前向きな内容だ!と思って驚いたものです。
最近だと、「般若心経 ラップ」といえばSNS上でけっこうヒットしている記事にぶつかります。
自己啓発本などに書いてある成功法則や、古今いろいろある処世術の本などもだいたい言ってることが同じだというのは、みんな一緒だと思いますが、仏教もまたそんなフシがちらほらあります。
成功するしないは良いんだけど、とにかく自分の生きている時間に満足しているかどうか、また迷いがあるかどうか、については本当に大体みんな一緒のことを違う表現で言い換えているだけだなと思います。
仏教はその中で、めーちゃくちゃ論理的に解説されていて、僕の思考力では反論を思いつくことすらありません。ただただ、ブッダまじすげーなと思うばかりです。(←失礼)
さて2012年2月のとある日に、僕とお坊さんと墓石屋さんと、ちょっとMTGをして、BOWS-CAFEというものを始めてしまうことにしたのでした。
CAFEといっても月に1回開催するイベントです。
話す内容は、そのときに集まった人で大体決めます。
とにかく相手を否定するのではなく、まず聞き、話し、聞き、話す。
お寺という場所はなかなか不思議で、どうもここならいろんな話をしてもいいんじゃないかという気持ちになるから不思議です。
それにお坊さんがセットでついてくると、もうなんかいろいろ隠したりするの面倒くさいな、という気持ちになるのが不思議です。
1回500円をみんなで支払い、お茶とお菓子を用意して、ほっこりと話す。
ファシリテーター(場のまとめ)は、お坊さんがやらないようにしています。
お坊さんがやっちゃうと、なんかありがたい言葉もらえるのかしら・・・ってみんな期待しちゃって、お坊さんばかりが話しちゃう場になりかねないからです。
そうじゃなくて、みんなで話したい。
ゆっくり続けてたら、なんともう3年目になっちゃいました。
続く