「教育」や「雇用」を通じて難民を受け入れる新しい支援の形が模索されている。
そのパイロット事業の一つが、国際協力機構(JICA)による「シリア平和への架け橋・人材育成プログラム」(通称:JISR)だ。政府が2016年、シリア隣国のヨルダンとレバノンに避難するシリア難民を対象に、5年間で最大100人の留学生とその家族を受け入れることを表明したことから始まったものだ。留学終了後は、日本で就労する道も開く。
その「元留学生」たちが今、続々と日本社会に羽ばたいている。
元留学生の一人、あるシリア人男性に話を聞きに行った。
トヨタ式の「カイゼン」でイラクの現地スタッフを育てる
「私は今、イラクです」。現地のインターネット環境のせいかビデオ通話は繋がりにくい。ようやく映った粗い画面の向こうに、陽気に笑う男性の顔があった。
モハンナド・アル・ヤクゥブさん(35歳)。2017年に留学生として来日し、現在は日本のITベンチャー「キャスタリア」で働く。
同社はイラク南東部バスラで、子ども向けのプログラミング教育事業を手がける。地域の公立小学校にプログラミングの出前授業を提供するほか、現地の教員を対象とした指導者の育成も進める。年内には、現地でプログラミング塾を立ち上げることも予定しているという。
この事業で、両国を行き来しながらプロジェクトマネージャーを務めるのがモハンナドさんだ。
イラクの事務所のホワイトボードに並ぶのは「KAIZEN」の文字。日本で経営学を学んだ際に、ムダを省き効率化を図るトヨタの生産方式「カイゼン」に出会い、感銘を受けたという。毎日の業務の終わりには、ローカルスタッフとの反省会を欠かさない。
「最初は、教えても聞いているだけだったイラク人スタッフが、今では一生懸命メモを取るようになった。モハンナドが彼らを育てたんです」。キャスタリアの山脇智志社長は誇らしげに語る。
就活での挫折…そして会社との出会い
モハンナドさんはシリアの首都ダマスカス出身。名門・ダマスカス大学の電気工学部を卒業後、エンジニアとして働きながら、同大学の経営学の修士課程に進学した。その矢先、シリア内戦が勃発。身に危険が及ぶようになり、修了を諦めて隣国のヨルダンに避難した。
避難先で働きながら、再び進学する方法を模索していたときに知ったのが、日本へ留学するという道だ。「安全で安定していて、テクノロジーが進んでいる国」。そんなイメージが決め手になった。
妻と2人の幼い子供を連れて2017年に来日。国際大学(新潟県南魚沼市)の国際経営学研究科のMBAプログラムに進学した。
しかし、就職活動で挫折を味わう。日本語の能力が障壁となり、卒業を迎えても内定が決まらなかったのだ。そこに、新型コロナの感染拡大が追い討ちをかけた。決まっていた面接は相次いでキャンセルに。留学生として在留できる期間は最長3年のため、1年以内に就職が決まらなければ日本にいられなくなる。すがるような気持ちで、JICAの担当者と二人三脚で履歴書を練り、面談の練習を重ねた。
そんななか出会ったのが、現在働くキャスタリアだった。採用にあたって、「シリア難民」という背景はどう映ったのか。
山脇社長はきっぱりとこう話す。
「単純に彼の資質を見て採用した。いい仕事をしてくれそうか、それだけです」
アラビア語と英語が堪能で、MBAを修了し、エンジニアとしての職歴もある。中東でのIT教育事業を担う人材を探していた矢先、モハンナドさんはまさに適任だった。ネックだった日本語能力も社内でサポートすれば問題なしと判断した。
アラブ圏でのビジネス成功の鍵を握る“若手ホープ”
同社は、ゆくゆくは「アラビア語が話されている全ての国」への進出を目指すという。少子化が進む日本とは対照的に、とりわけエジプトやイラクといった中東の新興国は子どもの人口が多く、IT教育の需要が伸びることが見込まれるからだ。それだけに、山脇社長がモハンナドさんに寄せる期待は大きい。
「日本で作ったプログラミング教育やビジネスの型を、いかに現地に合った形で育てていけるか。それは、日本式のビジネスを学び、現地の言葉で伝えることができるモハンナドにしかできない」
また、IT教育の普及は母国シリアの復興にも欠かせない。モハンナドさんはこう意気込む。
「紛争が始まってから、シリアの教育の状況はとても悪い。生徒がいても、肝心の先生がいない。一番の答えはeラーニングだと思う。将来、IT教育でシリアに貢献したい」
非政府も“担い手”となる新しい「難民受け入れ」
紛争や迫害で家を追われた人は5月、史上初めて1億人の壁を超えた。難民、国内避難民はこの10年で倍増し、一次庇護国の政府による保護や、周辺国の難民キャンプなどに逃れた難民を第三国が受け入れる「第三国定住」だけでは間に合わなくなってきている現状がある。
そこで、国連は2018年、社会全体で難民受け入れを進めるための「難民に関するグローバル・コンパクト」を制定。その中で提唱したのが、政府だけではなく、企業や大学、市民団体などマルチセクターによる「難民の補完的な受け入れ」の促進だ。たとえば、教育や雇用などの機会を通じ、企業や大学が難民を「社員」や「留学生」として受け入れる方法がある。こうすることで、難民は、保護や自立に繋がる機会へのアクセスを得ることができる。
モハンナドさんが留学のきっかけを得たJISRも、難民の補完的受け入れに位置付けられる試みの一つだ。留学生の日本での就職も見据えて、JICAがハブとなり、大学、企業、市民団体、国連などと協働して、留学生の日常生活や日本語学習、インターンシップ、就職活動の支援などをする。留学生には将来的に、シリアの復興を担い、シリアと日本の経済や外交をつなぐ存在となってもらうことも期待している。
一方で日本は、難民認定数が国際的に見ても極めて少ないことなどから、難民に「厳しい」国として知られる。JISRも、シリア難民の第三国定住を認めない代わりの「妥協案」と批判される現状がある。
しかしながら、JISRのプログラム作りに協力した国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の阿阪奈美さんは、シリア人留学生が日本社会で活躍することが、難民の積極的な受け入れに向けた空気を作り上げることに繋がると考えている。
「日本では難民というと、『保護される、与えられるだけの存在』というネガティブなイメージを持つ方も多いと思います。しかし、高等教育の機会や適切なサポートがあれば、彼らも日本社会で活躍し、貢献できる。そのことを、シリア人留学生の活躍を通して、日本社会に知ってもらいたいと思います」