衆院選、自民圧勝で芽生える不安
22日、荒天の中、私は夫と、10歳の娘、1歳の息子を連れ、投票に行った。 結果は自民党の圧勝だった。どうして? 不安で胸が苦しくなる。 朝日新聞を開くと、これらの記事が目に入った。
政策を考えた上で、投票先を決めたのか?
記事を読んで、失礼かもしれないけど、私の頭にこんな疑念が浮かんだ。
「皆、各政党、候補者の政策を鑑みて、投票先を決めたの? 本当に自分の頭で誠心誠意考えたの?」
テレビをつけると、どの番組も小池都知事の排除発言、ワンマンぶりを非難。同じ自民党に属しながらも安倍首相の批判をも辞さない将来の首相候補、小泉進次郎氏のさわやかな笑顔が画面に華を添える。これでめでたし、めでたしなの? 狐につままれたような気分になった。
スウェーデンの哲学入門『自分で考えよう』を読む
心が乱れた時、迷った時、私はいつもスウェーデンの哲学入門書『自分で考えよう』を読み、頭の中を整理する。
考えることで、世界が変わることもある
本の中には、「考えることで、世界が変わることもある。でもただ考えればいいわけじゃない。人間は、まちがった、悪い考えを思いつくこともある。正確に、公正に、はっきりと、わかりやすく考えなくてはならない」と書かれている。
もしも社会のリーダーが、公正と善の意味を理解していなかったら?
ソクラテスやプラトンといった哲学者達は、公正や善といった言葉の意味を真に理解するため、じっくりと哲学的に考えたと作者は述べた上で、こんな問いを読者に投げかける。
「もしも社会のリーダーが、これらの言葉の意味を理解していなかったら、どうなる?」 それを読んで、私は自分の心に芽生えた不安の正体を知る。不安なのは、日本社会のリーダーが、公正や善の言葉の意味を真に理解しているか、疑わしいからだろう。
本当に正しいか、疑う
デカルトは、この世のあらゆるものを疑った。疑いつづけることで、疑いようのない完ぺきな真実にたどり着けるにちがいないと信じていたから。
それを読んで、私は思う。「日本に暮らす私達は、メディアの情報を疑うことを怠り、鵜呑みにし過ぎてやいないだろうか?」
市民を守る社会のきまり
哲学者の中には、「みんなに共通の道徳などはない」と考える人も多いそうだ。だからほかの人を傷つけたり、ものを盗んだり、うそをつく人が出てくる。
命や家やものを失うことから市民を守るため、社会の決まり、法が発達してきた。多くの哲学者は「人を支える社会のきまりがなくなったら、盗みや殺しあいが、あとを絶たなくなるだろう」と考えた。
果たして日本は、市民を守るきまりや道徳が発達した国なのだろうか?
政治家は私達のよいお手本か? 私達は子ども達のよいお手本?
またカントは「人はみな、その国の道徳を高めようと、つねに心がけるべきだ。われわれは社会のほかのすべての人にとって、よき手本となるべきだ」と考えた。
では安倍首相をはじめとする政治家達は、本当に私達のよき手本なのか? 今回の選挙で有権者である私達は、、これからの日本の将来を担う子ども達のよき手本となれたのだろうか?
『おおきく考えよう』を読む
続編の『おおきく考えよう』も、続けて読んだ。
自分で選択せずに、他人の意見に従いすぎてやいない?
哲学者の中には、「人生は常に選択の連続だと理解していない者は、真の人間ではない」と考える人もいるらしい。
作者は読者にこう問いかける。 「きみは自分で選択せず、他人の意見に従いすぎてやいないか? ほかの人がいいと言う音楽を、単純にいいと言っていない? だれかの言いなりになって、他人を苦しめてないかい?」
そして自分の行動に対し、「わたしのせいじゃない」「自分に罪はない」と言い張るばかりで、責任をとろうとしない人がいること、哲学者の多くが、自分の行いや責任に責任をとるべきだとしていることを指摘。
首相や他の政治家は、「わたしのせいじゃない」と言ってやしないだろうか? 責任をきちんととっているのだろうか? 私達、有権者はどうだろう?
原発と福島のこと、忘れてない?
人間は農耕を盛んにするため、川の近くに灌漑をつくったり、大規模なコミュニティを組織し、家をあたため、社会のさまざまな施設にエネルギーを供給できるよう、原子力発電所を築いたりしてきた。
科学技術の発達により、私達人間はさまざまな破壊兵器や有害物質をも生み出し、地球上の生命を脅かし、オゾン層を破壊し続けている、と作者は述べている。
私達の誰しもが貧しくなったり、病気になったりする可能性がある
哲学者のジョン・ロールズは、創造力を駆使し、理想の社会をつくる思考実験を思いついた。この実験で持続可能な開発により、持続可能な社会をつくるとする。この時、私達は、自分達がどの階層に属するかをあらかじめ知ることはできない。
だとすると、この実験で男も女も、才能あふれる人も、そうでもない人も、富める人も貧しき人も、健康な人も病気の人も皆が生きやすい社会をつくるにはどうしたらいいか考えなくてはならなくなる。
思考実験により、実際の社会だって同じだと気付かされる。今大企業でバリバリお金を稼いでいる人だって、会社が倒産したり、リストラされたり、病気になったりする可能性がないわけじゃない。だから私達は、皆が生きやすい社会をつくるためどうするべきか頭を使って考える必要がある。
欲深い浅はかな人同士が手を組んで、戦争や強奪をおこす
哲学者のジャン=ジャック・ルソーは、以下のように考えた。
私達はルソーが指摘した通り、より多くのものを手に入れようとして、いつまでも満足せず、地球は誰のものでもないと感じるようになってしまっているのか?
流れに身を任せてはいないか?
セーレン・キルケゴールは、あまりに多くの人が、流れにただ身をまかせ、ほかの人がするようにしていると考えた。そういう人は基本的に自分の考えがなく、他人の受け売りばかり。
作者は流れに身をまかせるのは問題だとし、その例として、第二次世界大戦で、人類が時の流れに身をまかせたことで、何億人もの人が命を落としたことを挙げている。「戦争反対」とみなが声を上げれば、戦争などおきないはずだと作者は力強く説く。
おそろしいことが起きるのを、ただみているだけでなく、1人1人が責任ある行動をとるべきだ、と。
自分で考えよう
私達は本来、自由で、選択肢を持つはずだ。でも私達に思想の自由はあるのか、今回の選挙でますます不安になってきた。いや、きっとある。私達がどうしたらよい社会を作れるのか、どのように自分達の善性を伸ばせるのか、考え続けるのであれば。そう、自分で考えるのだ。作者は現代では、どれだけの考えが自分独自のものか、その考えが何に基いているか知るのは難しい、と述べている。確かにその通りだ。
それでも私達は考えよう。考え、選択することは、私達の持つかけがえのない権利だから。考えることで、自由を得られるかもしれないから。