今こそ広めたい「竹箸のある暮らし」コロナ禍で問い直す“サステナブルな地域経済”

「国内で供給できる資材が余っているのに使わず、途上国の森林を乱伐することが本当に経済的なのでしょうか」
写真:大塚淑子
写真:大塚淑子
サステナブル・ブランド ジャパン

「前年比で言えば、売り上げは半分以下です」と、コロナショックの影響がいかに大きいかを話してくれたのは、熊本県の南関町で竹の箸をつくるヤマチクの山崎彰悟さん。地方の名産品を都市部で広めようと苦闘してきたが、インバウンドや五輪関連のイベントがすべて白紙となり、2020年の夏までに見込んでいた売り上げが消えた。しかしそれでも、山崎さんの目線は前を向き、確実な光を見ているように強い。どんな思いと戦略でこれからに臨もうとしているのか、山崎さんに同社の取り組みについて聞いた。 (やなぎさわまどか)

「竹の、箸だけ」という名の下に

山崎さん
山崎さん
サステナブル・ブランド ジャパン

ヤマチクの創業は1963年。創業時からずっと変わらずに、国産の竹だけで箸を製造している。

と、この一行だけでも受け取り方は千差万別だろう。竹の箸ってどんな箸だろう、使ったことあるかな、と心で自問する人もいれば、自分の箸が何でできているかなど気にしたことすらない人もいるかもしれない。また、竹という植物がどのくらい身近か、もしくは、竹がこの国の資源としてどう扱われているかを知っているかも、人によって大きく異なる。

ただ事実として、ヤマチクはすでに半世紀以上もの間、国産の竹だけを使い、年間500万膳の箸をつくり勝負してきた生粋の竹箸メーカーだ。それがどれほどすごいことかは、世界で唯一、竹の箸のみを商材にしている企業ということでも伝わる。他社が参入できない高さまで技術の壁を打ち立てながら、手頃な価格で全国の食卓を支えてきたのだ。同社3代目の山崎さんは現在、専務として、セールスやブランディングといった根幹から同社をリードしている。

「竹って大変なんですよ。まず良質なものを見極めて切り出さなくてはいけません。直径が30センチ近く、長さも20メートル近い巨大な竹を切って、山から降ろす作業だけでもかなりの重労働です。中は空洞ですが水分が多いし、曲がり方も反り方も1本1本微妙に違います。それに皮の方が強度も高いので、緑の表皮を削り過ぎたら箸としての機能性が損なわれてしまう。そうした素材を揃った箸へと加工するために、わたしたちは専用の製造機械を開発することから始めています。機械がつくれないと安定した箸の製造は難しいですね」

サステナブル・ブランド ジャパン

特異な加工を経て完成したヤマチクの竹箸は、しみじみと見惚れるほどに整っている。軽くて持ちやすく、しなやかで扱いやすい。木材では実現できない繊細な箸先は、竹だからこそ可能なのだという。

使い手を快適にするヤマチクの箸は、OEMとして大手ブランドに貢献するほか、都市部の百貨店などでの催事やポップアップストアで販売してきた。また、それらと並行して約1年前からはオリジナル商品「okaeri」のリブランディングにも取り組んでいる。自社のオンラインストアにも、サイズやカラーなど幅広く揃った竹箸のラインナップが並び、時間をかけて選ぶ楽しさが味わえる。

しかし冒頭の話の通り、2020年はコロナショックによって売上高が激減。山崎さんはこれまで都心や世界を見据えて、外へ外へと向けていた意識を切り変えて、同社の基盤となる地域に向けた取り組みを強めていた。

ストップした受注と、止められない仕入れ

サステナブル・ブランド ジャパン

「製造は続けています。今のうちにどんどん作って、箸の在庫を増やす時期にすることにしました。売り先が減ったとはいえ竹の仕入れは止めません。うちを支えてくれる切り子さんたち(竹を切り出す職人のこと)を守る必要がありますし、彼らがいなくては何もできませんから。受注が止まってもこれまで通り仕入れを続けるからと伝えました。それに自社の社員たちも不安にさせたくないので、経営状況を共有して、このくらいキャッシュがあるから安心して勤務を継続してほしいと話しました。むしろ、時間に余裕ができた今だからこそ、今までやったことない業務や、新しいことにも積極的に挑戦してもらいたいと話しています」

これまでは山崎さんが各地を巡って営業をし、社員さんたちは製造に専念し続けてきたが、従来のやり方にも囚われていない。社員からの希望があれば、取引先との会議や商談の場への同席や、地域の商店や施設に向けた新規営業も推奨している。

「自分たちの箸に自信があるので、受注が止まったというよりも、せっかくつくった箸が誰にも届けられない辛さがあるはず」と社員たちの心情も汲み取った。実店舗はない代わりに、父の日など記念日の前には工場を臨時の販売所として解放し、社員たちが販売する機会を設けた。箸のユーザーと直接的に接した経験は、社員の意識をさらに向上させ、より良いものづくりを目指す好循環を生み出した。

さらに商品化をかけた新作のデザインコンペを社内で企画。商品化されたら1案につき1万円、優秀作には10万円の賞金付きで、同社のクリエイティブディレクターがすべてのプレゼン内容を審査するというから本気だ。

「社内旅行にも行けなくなったので、その分せっかくなら社員たちのためになることに使ったほうが良いじゃないですか。コンペ以外にも、近所の小学校と一緒に箸のデザイン企画をしたいとか、地域の産婦人科医院を通じて出産祝いの品に箸を贈りたいとか、端材でつくる竹のアクセサリーとか、みんなが色んな希望やアイディアを上げてくれています。彼らは箸の作り手ですが、箸のユーザーでもあるので、考えることが緻密だし、どうやったらより知ってもらえるだろうかと具体的に考えているんですよね。へぇー、そんなこと考えてたのかぁという発見と、こんなときでも前向きにお客様のことを考えてくれることが嬉しくて、もうどんどんやってくれ!と応援しています」

地域から「竹箸のある暮らしそのもの」を提案したい

ヤマチクがある南関町は、熊本駅から車で約1時間。文字通り地域経済を担う企業のひとつとして、どのような企業のあり方が理想的なのだろうか。山崎さん自身は「地域の企業としての役割が2つある」と言う。

「ひとつは地域で雇用をつくり続けることです。いくらこの町が好きだから住みたいと思ってもらえても、仕事がなければ暮らすこと自体が難しくなってしまう。だからうちは今も新卒採用を止めずにいます。そしてもうひとつは、地域の自慢の存在になることです」

地域の自慢になりたい、と素直な願いを臆せず口にできる経営者に感動を覚えた。自慢とは、あの会社なら何かやってくれそうだ、という期待だったり、メディアに出れば自分ごとのように人に伝えたり、知人が就職したら誇らしく思うような存在だと話す。

「コロナ前は、都市部だから売れる、と考えていました。しかし大都会の販売先が店舗を閉めてオンラインショップにする事態になった。では、僕らが今ここにいる意味や、ここでできることの価値って何だろうかと考えたんです。熊本からできることで、みんなに喜んでもらえることは何だろうか、と」

遠く離れた都心とは別に、県内の販売先を増やし、できるだけ地元の人とのタッチポイントをつくること。近場の交渉なら社員も積極的にセールスに行ける。聞けば、地元の人にもっと気軽に買ってもらえる場所が前から求められていたことも分かった。

並行して自社のオンラインストアでは、地域の名産品や伝統工芸を竹の箸とともに販売することにした。

「南関町の食べ物ってすごくおいしいんですよ。でも地元の人はこの品質に慣れちゃってるからあんまり宣伝もしなくて、全然知られてない。食だけでなく、歴史ある陶器の窯元もあるんです。名品をつくってるのに電話とFAXだけだったりして、もともと知ってもらう機会が少なかったのにコロナで陶器市までなくなってしまった。でも食も食器も、箸に欠かせない文化ですから、それなら箸と一緒に、うちが地域のプラットフォームになれたらいいと考えました」

箸をつくってはいるが、箸だけ残ればいいわけじゃない。ヤマチクの竹箸は、箸がある文化の中で生きてきたのだ。山崎さんは、製造背景に存在していた文化までもが消えかねない現状を危惧している。

「箸という字は竹かんむり。元々は竹だったんです。それがいつの間にか、安価の輸入木材やプラスチックが主流になってしまったのは、経済性や効率化という概念からです。竹の仕入れだけを見たらコスト高になるのかもしれませんが、国内で供給できる資材が余っているのに使わず、わざわざCO2を排出しながら木材を輸入したり、途上国の森林を乱伐することが本当に経済的なのでしょうか」

熊本や福岡の山から刈り取った天然竹でできたオリジナルの箸 okaeri
熊本や福岡の山から刈り取った天然竹でできたオリジナルの箸 okaeri
サステナブル・ブランド ジャパン

素材はもちろん、老舗メーカーとして品質の高さも譲れない。さらに、品質の確保こそが持続可能な企業であるために重要だと説く。

「たかが箸と思われるかもしれませんが、日々の生活に根ざしたものを変えることで、その他のことに対する目線も変わるんです。サステナビリティや環境問題って、決して我慢を強いることではなくて、良いものを長く使うことでもある。そのためには、使い心地がよく機能的であることが欠かせません。良いものであることは最低条件であって、逆に環境を言い訳にクオリティの低さを免罪符にするのは違います」

コロナによって世界中の混乱を目の当たりにした一方で、よく見えるようになった身近なこともある。ヤマチクのようにサステナビリティを問い直し、強みを生かして今できる地域貢献に努めることこそ、世界を見ている証なのだろう。

「事業の課題も見えてきたと思っています。人の本質も、苦しい時だからこそ見えることがあって、おかげさまで素晴らしい社員や職人さんに支えられていることも実感しました。会社は社員のことを考えて、社員はお客様のことを考える。それによって、お客様が会社のファンになってくださるような、その循環を増やしていこうと話しています」

やなぎさわまどか

神奈川県出身。ナチュラリストの母により幼少時代から自然食や発酵食品で育つ。高校在学中から留学など度々の単身海外生活を経験。都内のコンサルティング企業に勤務中、東日本大震災で帰宅難民を経験したことをきっかけに暮らし方を段階的にシフトする。現在は横浜から県内の山間部に移り、食や環境に関する取材執筆、編集、翻訳通訳のマネジメントなど。

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