2012年に政府とカレン民族同盟の間で停戦合意が結ばれ、60年以上続いた紛争が終結を迎えようとしていた。セーブ・ザ・チルドレンは、ミャンマーで20年以上にわたり支援活動をしてきたが、紛争が激しかった地域に支援を届けることは困難であった。
私は、停戦合意の翌年、2013年4月に、カレン州の戦闘が続いた地域では初めてとなる子ども保護事業を立ち上げ、3年半にわたり子どもたちを暴力や搾取から守るための事業を実施した。
事業を実施する筆者(写真左)
■暴力や迫害が日常化していた地域で子どもたちを保護するために
紛争中、人々は殺人や拷問の被害に遭ったり、暴力や迫害の恐怖から逃れるために隣国へ難民として逃れたりすることが日常化していた。
また、2013年5月に事業のスタッフとともに訪れた村では、長期化した紛争により、子どもの教育や保健といった社会福祉サービスはほとんど機能していなかった。
このような中で、私たちが最も深刻な課題と捉えたのが、子どもたちへの激しい虐待、育児の放棄など、子どもの生命を脅かす問題であった。
日常生活で子どもを殴る、蹴る、傷つけることは当たり前と捉えられ、子どもが深刻な病気にかかってもそれを放置し、子どもが命を落とすケースが後を絶たなかった。
そこで、私たちは、暴力や虐待などの問題から子どもたちを保護するための支援を行うことを決定した。
子どもたちが身体的な虐待で傷つけば、村の人びとと協力して、悪路の中、子どもを村から一日がかりで町の病院に連れて行った。
そして、言葉の異なる医師や看護師との意思疎通を助け、子どもたちが適切な治療を受けられるように支援した。
また、子どもたちへの暴力を予防するために、暴力のない子育てに関する話し合いの場を設け、コミュニティや親の意識を高めていく活動を実施した。
子どもの権利や保護について学ぶ子どもたち
■子どもを守りたいという強い気持ちと行動が、紛争の傷跡を乗り越える助けになる
活動を行うにあたり、最初に直面した課題は、紛争の当事者であった事業関係者と信頼関係を構築することであった。
事業地では、村以外の地域出身の援助関係者に対する不信感が根強く、事業のスタッフ(全員カレン州出身)でさえも地域で受け入れられているのかという不安があった。
さらに、いつまた紛争状態に戻るかわからないという不安定さがあり、村への通行すら許可されないこともあった。現地で影響力を持つ有力者との粘り強い交渉を重ねた結果、事業の目的や活動の計画に対する理解と支持を取り付け、ようやく事業を実施することができた。
しかし、困難は続く。60年間におよぶ紛争により、教育を受けたことがなく、文字の読み書きもできない地域の人々にとっては、子どもたちのための支援に携わる意義も理解しづらい。
そこで、子どもへの支援に関する研修や会合を重ね、地域の大人の子ども保護に対する意識向上に取り組むとともに、彼らと活動を共にして、子どもたちへの支援を確実に届けられるようにした。
2年目と3年目は事業地の拡大や、地域の人々が子どもを守る活動を自ら継続して実施していけるよう力をつけていくことを大切にした。
「自分たちが子どもの頃、戦火の中で逃げることに精一杯で、新しいことを学ぶなんて夢にも思わなかった。」
ある村のリーダーが私に伝えてくれたことだ。だからこそ、私たちが活動を始めた頃、村で子どもたちを守り、大切に育てたいし、子どもたちに自信を持ってほしいと思うようになったと語ってくれている。
このように、子どもたちの状況を改善したいという情熱とコミットメントを村人と共有したときこそが、紛争が地域に残した課題を乗り越え、事業も前に進み始めたときだったと思う。
■子どもたちの今を大切にすること―子どもを暴力や虐待から守る意義
子どもが重ねる時間と、大人が重ねる時間の意味というのは決定的に違う。読者の皆さんも、ご自身が大人になってからの1年と、子どもだった頃の1年の経験の違いを思い出してみてほしい。この貴重な子ども時代の経験は、その後の発達の基礎となる。
だからこそ、私たちが大切にしているは、子どもたちが「今」を安心安全に過ごせるようにすること。
事業の中で設置した子どもの居場所
しかし、暴力や虐待は、子どもの「今」をいとも簡単に奪ってしまう。そして、回復には、長い時間と努力が必要である。
そこで、私が一番力を入れて取り組んできたことはそのような問題がそもそも、地域で起こらないようにすること、そして、万が一起こってしまった場合には、地域の人びとが迅速に、子どもたちに寄り添って支援を提供できるようにすることである。
紛争後の社会で子どもを守る意義とは、すべての子どもたちの「今」を大切にすることにある。
公益社団法人セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン
海外事業部
西口祐子
*現在は、レバノン駐在員としてシリア難民支援を担当