「命を守るため今すぐ逃げてください。できる限り高いところに逃げてください」
元日の能登半島地震発生後、兵庫県のテレビ局「サンテレビ」は、8言語で事前収録していた動画で津波の避難を呼びかけた。SNSで動画が拡散され、大きな反響を呼んだ。
動画の作成を提案したキャスターは、1995年の阪神・淡路大震災で被災。それが原体験となり、テレビ局就職後は災害や防災の報道に従事してきた。
多言語での避難呼びかけ動画を作成した思いを聞いた。
「一人でも多くの命を救いたいという思いで」
避難の呼びかけ動画は、日本語に加え、英語、韓国語、中国語、ベトナム語、ネパール語、タガログ語、ポルトガル語で収録された。
南海トラフ巨大地震などに備え、「ただただ一人でも多くの人の命を救いたいという思い」で作られた。
阪神・淡路大震災で被災。「災害報道に貢献したい」とメディアの道へ
多言語での避難呼びかけ動画を提案したのは、サンテレビ社会報道部のニュースキャスター、藤岡勇貴さん(39)だ。
藤岡さんは、防災の取材をする中で、阪神淡路大震災をきっかけに生まれた多言語コミュニティ放送局「FMわぃわぃ」に話を聞き、災害時の多言語発信の重要性を痛感していた。
FMわぃわぃは、阪神・淡路大震災発生時に日本語が分からずに困った外国人の経験を元に立ち上がった放送局。
取材時、外国出身のMCから聞いた「災害の時は言葉が分からなくて、どうしたらいいか不安だった。本当に困った」との言葉が胸に残っていた。
「津波」や「避難」などは日常会話ではなかなか使わない言葉だ。言葉が分からなくて避難ができないというようなことがあってはならないと、多言語での避難呼びかけ動画の作成を企画した。
動画には、FMわぃわぃを通じて繋がった、大学の准教授や神戸大学の学生などが参加した。
藤岡さんは、「防災」や「阪神・淡路大震災を知らない世代に語り継ぐ」ことをテーマに取材を続けてきたが、その背景にあるのは、藤岡さん自身の被災経験だ。
藤岡さんは10歳の時、淡路島の洲本市で阪神・淡路大震災を経験。自宅も屋根瓦が落ちたり、ひびが入ったりという被害があった。
「地震が起きた際は、近くで寝ていた祖母が私と弟のところに来て、布団で覆い被さって守ってくれました」
阪神・淡路大震災の経験に加え、2004年10月には、死者・行方不明者が98人に上った台風23号で実家が浸水し、全壊認定を受けた。
阪神・淡路大震災での被災や台風23号の経験を元に、「災害報道に貢献したい」と報道の道を志し、2007年に青森県の放送局に就職した。
青森でアナウンサーとして働いていた2011年には東日本大震災が発生。青森県にも大津波警報や津波警報が出ており、スタジオから「必死に避難を呼びかけた」。
しかし、当時は青森県内で停電が発生しており、テレビも見られない状態にあったところが多かった。その時は「テレビの無力さを感じた」という。
その経験も元に、今回の多言語での避難呼びかけ動画は、YouTubeとXにも掲載。動画が拡散され、「もし電気が止まっていたとしても、このようにネットで拡散されるのだったら、意味はある」と感じた。
日本語に不慣れな外国人は、日本語で放送されているテレビ番組を見る習慣がない人も少なくない。ネットで情報を届けたいという狙いもあった。
「素晴らしい対応」「教訓生かしている」など大きな反響
動画は、2022年7月から撮影を始め、編集などを経て2023年12月に完成。能登半島地震発生のわずか1ヶ月前だった。
動画は、今回使用された「津波警報」、そして「大津波警報」、津波の心配はないが地震が起きた際に火災や避難上での注意事項を呼びかける、3種類。
多言語だけでなく、聴覚障がいを持つ人にも伝わるようにと、手話を入れたり、それぞれの言語で、フリップに避難呼びかけの文言を手書きで書いたりした。
実際にXやYouTubeで発信されると、コメント欄や返信欄には「あらかじめ多言語で作っておくのは素晴らしい対応」「阪神・淡路大震災の教訓を生かしている」などの声が届いた。
サンテレビは、阪神・淡路大震災の際、「被災局」でありながら混乱の中でも放送を実施。早朝の地震発生後、家からスタジオに駆けつけた社員が、映像も届かない時に電話取材をしつつ、状況をフリップに手書きして放映したという。
それから29年が経った今年、当時の震災の経験を生かした多言語動画を公開した。
いつ、どこで起こるか分からない災害。
いざという時に備え、「多言語動画も改善できる点を改善し、緊急時に向け備えたい」と話す。
(動画:サンテレビの公式YouTubeアカウントに掲載された多言語での避難呼びかけ動画)