一橋大法科大学院の学生が、自身がゲイであることをアウティングされて校舎から転落死してから、もう3年が経った。
事件の経緯についてはこちらをご覧ください
私は彼の死が報道された一昨年から、年に一度この時期にこのようにブログを更新して、自分なりに彼への思いを綴っている。
2017年 彼が亡くなって2年。また、彼のいない夏が来る。
昨年の夏から今年の夏の間に、大きな変化があった。
1つは、彼の通った一橋大法科大学院のある国立市が、条例を作ったこと。
もう1つは、彼の遺族が元同級生と和解をしたことだ。
ただ、大変残念なことに、一橋大側との和解協議は打ち切りとなり、裁判は継続されているという。
こうしたこの1年の状況を知ったら、彼は何て言うのだろう?
彼は喜んでくれるだろうか?
「まだまだだ」と残された、幸運にも生き延びている私たちを叱るだろうか?
私は、会ったことも話したこともない、名前も顔も知らない彼のことを今でもずっと考えている。
彼はあの時どんなことを思ったのだろうか?
もし彼に私が出会えていたら何か出来ただろうか?
もし私が彼の立場だったら、死という選択をせずに生き延びることが出来ただろうか?
考えても答えの出ない問いばかり。
だって、もう彼はいないから。
彼に直接聞くことなんて出来ないから。
私もまた、『彼のように死に追い込まれるかもしれない』という恐怖と隣り合わせの生活を続けている。
正直言って、自分に明日があるのか分からない。
彼が生まれ育った地域と、とてもよく似た地方に私も生まれ育ち、そして今も住んでいる。
そして常に胸に「きっと大都会の東京に行ったら、こんな苦しみから逃れられるんだろうなぁ」という希望を抱いている。
でも。
でも、彼は憧れたであろう夢の大都会で、そして憧れて必死に勉強して入学することができたであろう名門・一橋大学法科大学院で、彼の命を絶たざるを得なくなってしまった。
憧れて、希望を抱いて向かった地で、まさかこんな酷い目に遭うなんて。
そんなこと、彼は少しも思っていなかっただろう。
私だってそんなこと彼の死を知るまで少しも思っていなかった。
私が地元の若いLGBT当事者のための居場所「名古屋あおぞら部」( Twitter @nagoya_aozora )を創立してから、もうすぐ丸2年が経つ。
この2年間でのべ450人超にご参加いただき、本当に多くの悩むLGBT当事者たちに出会ってきた。
希望する性別の制服での登校が認められず、進学する学校を変えざるを得なくなってしまった学生。
LGBT当事者であることなどから学校やクラスメイトに馴染めず、不登校になった経歴がある若者。
名古屋あおぞら部の会場に着くなり、「人生で初めて自分以外のLGBT当事者に出会えた」と喜び安心し、大粒の涙を流した学生。
「初めて他者に自分がLGBT当事者だと名乗ることが出来た」と喜ぶ若者。
学校の保健体育のテストで、同性愛者であるにも関わらず、教科書通り「思春期になると異性に恋をする」と回答させられた学生。
地元で知らないうちに自身のセクシュアリティが噂され、地元に帰れなくなっている若者。
一橋大の彼のように、死に追い込まれるかもしれない若者は、地方にまだまだたくさんいる。
私も一橋大の彼のように、そして名古屋あおぞら部に来る多くの若者たちのように、自身のセクシュアリティを明かすことが出来ずに生きている。
だから、誰か周りの人がLGBTを誹謗・中傷するような発言をしていても、大声で止めることはできない。
小さな声でそういった発言を否定したり、さりげなく違う話題に変えたりくらいしかできない。
でも、例えそれだけのことでも、救われるLGBT当事者はいるし、救える命がある。
この記事を読んでくださったあなたもどうか、もし誰か周りの人がLGBTを誹謗・中傷するような発言をしたときには大声で止めることは出来なくても、ほんの小さなことで良いから声を出してくれると嬉しい。
あなたに救える命があるし、その場に居合わせたあなただからこそ救える命がある。
今年もまた、彼のいない夏が過ぎてゆく。