障がいのある子どもを育て、仕事をして、さらに大学院で学ぶことの意味 ~学ぶ喜びを看護学生に伝えたい~

まさか自分が障がいのある子どもの親になるとは思わず、実際に医師から知的障害を告げられた時には、なかなかその現実を受け入れることはできませんでした。

私は、看護学校の非常勤講師と保健師としてナースセンターでの就業相談員をしています。今年から教育についてしっかり学び、私自身が成長することを目指して通信制大学院に進学することを決めました。これには、看護学校の教員として丸10年が過ぎ、「学生に教えること」に対する私自身の姿勢が変わってきたことも大きく関わっていると感じます。

待機児童の問題や出産・育児後の復職支援など、仕事と育児を両立したい女性には厳しい状況が続いていますが、私自身も数々のライフイベントから仕事を続ける難しさに直面してきました。看護師免許と保健師免許を取得してから20年ほど経過しましたが、これまでのことを振り返りながらあらためて学ぶ意味を考えてみたいと思います。日々奮闘しているママさんたちの参考に少しでもなればうれしいです。

もともと私は看護師・保健師を目指していたわけではありませんでした。高校卒業後、建設会社で事務職員として働いていました。当時の悩みは、結婚までの腰かけのような気持ちで仕事をしていていいのだろうかということでした。リゾートブームの真っただ中で、勤務先の技術系の職員たちがホテルやマンションを「作り上げる」ことに羨ましさを感じていました。私が専門職に就きたいと思ったひとつのきっかけでもありました。

祖母が病気がちであったことや、仲の良い友人のほとんどが看護学校に進学していたことも影響して、約3年の事務職ののちに、看護学校に入学しました。看護学校の講義はどれも興味深く、もっと知りたいという気持ちをかきたててくれるものでした。そして、看護実習の中で保健師の存在を知ったのです。

保健師は人の一生における「健康」に関わる仕事をします。乳幼児健診、予防接種、母子指導、成人健診や健康指導などがそれに当たります。健康な日常生活を送ることに寄り添える保健師の仕事に魅力を感じて、看護学校、保健師学校を経て地元の静岡県で保健師になりました。

大好きだった祖母が寝たきりになったのはその直後で、1年後に祖母は亡くなりました。初めて肉親の死に直面して、保健師なのに祖母を救うことができなかったという自責の念が押し寄せてきました。そして私が結婚して間もなく、父が心筋梗塞を患い、入院治療をすることになりました。父は亡くすまいと強く思い、3年勤務してきた市役所での保健師の仕事をやめ看病に専念することにしました。

幸いにも父の病状は安定して、自分自身の時間が持てるようになりました。

そこで思い出したのは大学進学と学士の学位への強い憧れでした。地元の高校の同級生が大学へ進学する中、家庭の事情で就職したことが強く心にひっかかっていました。父の療養生活を支える中で、栄養に関する知識をもっと得たいという気持ちが強まり、夫と相談し、通信制大学の食物学科へ進学、食事や栄養に関する勉強をすることにしました。

ほどなく妊娠し出産を経て育児の大変さを思い知るようになりました。大学で学ぶモチベーションがいとも簡単にそがれてしまい、休学しました。いずれ復学するつもりでしたが、その時、思いもよらない出来事が起きました。当時3歳の長男が重度の知的障害を持っていることが分かったのです。私は保健師として子どもの発達をこれまでたくさん見てきました。知的障害のある子どもとお母さんに寄り添い、仕事をしてきました。それでも、保健師として関わることと、実際に障がいのある子どもの親として関わることは全く違いました。

長男は首すわりやお座り、歩行開始などの全身を使った粗大運動の発達は、他の子どもより早く、乳児健診でも特に異常を指摘されませんでした。しかし、言葉を話すのが遅く、指差しも全くありませんでした。まさか自分が障がいのある子どもの親になるとは思わず、実際に医師から知的障害を告げられた時には、なかなかその現実を受け入れることはできませんでした。自分の持っている知識や技術をすべて使い、長男を少しでも他の子どもに追いつかせようと思いました。しかし、その子育ては想像以上に過酷なものでした。

私が一生懸命になればなるほど、長男はパニックを起こしたり、暴れたりしました。少しでも長男に成長してほしいと私も必死で働きかけました。長男との気持ちがすれ違う中で、保育園の制服のボタンかけが出来るようになってほしいと思い、二人羽織のように長男の後ろから手をまわし、長男の手に自分の手をそえながら毎日毎日働きかけ続けました。半年が過ぎて、私がもうこの子には何をやらせても無理なのかと思いはじめたころ、突然長男が自分でボタンをかけられるようになりました。

最終的に長男がどんな箸でも食事ができるようになったのは8歳の時でした。手づかみでの食事が続き、それをスプーンに換えながら、右手にスプーンを持っても左手でつかもうとする長男に「スプーンで食べて」と何度も声掛けをしながらの日々はとても根気が必要でした。ここで長男が一生手づかみのままでいいと家族が諦めてしまっていたら、長男は箸を使えるようにはならなかったと思います。スプーンが使えるようになったら、次は訓練用の箸に換え、その後も時間はかかりましたが、長男は1つずつ自分のペースで生活のためのスキルを身につけていきました。そのたびに、長男も誇らしげに見えて、私達家族が報われたような、そんな嬉しい気持ちになりました。

長男とのやり取りから、どんな子どもにも自分の発達のペースがあることが分かりました。たとえ、障がいがない子どもでも、関わり方を間違えるとその子どもにとって悪影響なってしまうこともわかりました。大学の休学期間はとうに過ぎ、退学を余儀なくされましたが、退学後4年以内の再入学制度に救われ、それまでに取得した単位を維持しながら復学しました。

7歳になった長男の成長が見えてきていたことと、夫の理解が大きな後押しでした。子どもの発達について強い興味を持ったため、食物学科から児童学科に転学科し、保健師としても非常勤で復職しました。

パートタイムの保健師として市役所勤務をしていると、職場の先輩から地元の看護専門学校で在宅看護論概論の非常勤講師を探しているからやってみないかという話を受けました。これまで私は保健師として地域住民向けの健康講座で講師をした経験はあっても、看護学生の前で講義をする経験はありませんでした。不安はありましたが、人間同士だから、きっと分かり合えるはずと考え、看護専門学校の非常勤講師を引き受けることにしました。

看護専門学校に通う学生は年齢もキャリアも多様な背景を持っています。

シングルマザーもいれば、転職のために銀行員を辞めて入学してきた妻子持ちの男子学生もいます。前職が介護職だったとある学生は、自分が看護師になろうと思ったきっかけは、介護施設での勤務中に、入居者が急変し、看護師を呼んだが来られずに患者が亡くなってしまったというくやしさだと話してくれました。

私が看護教員になった当初は、教員としてしっかりしなくてはと思い、全てを知り尽くしているかのように隙のない態度で講義をするよう努めていました。しかし、学生にはすぐに見抜かれ、質問責めに遭い、返答に困ることが何度もありました。しかし、そういった経験を重ねるうちに、完璧であることよりも学生に誠実であることが大事だと気づきました。(今ではそんな経験も私にとっては心の糧だと感じられるようになりました。)すると、学生にも私の考えが伝わったのか、私の講義が一番楽しかったと言ってくれる学生もたくさん出てきて、私は学生に教えているのではなく、私が学生から教えられているのだとも気づきました。

私が心を開かなければ、学生も警戒します。

たとえ質問されてその場で私が答えられないことがあっても、次の講義までにお答えするねと言えば、学生も素直にお願いしますと言ってくれます。私自身が講義を楽しんでいると、学生たちも興味を持って講義を聞いてくれることが分かり、次はどんなことして学生を楽しませようかとわくわくした気持ちで講義に臨むことができるようになりました。

その頃には、在宅看護論だけでなく、小児看護学概論も担当していました。

小児看護学は、通常小児科看護師が担当することが多いです。私は保健師として子どもの発達を専門としてきたこと、児童学科で児童文化領域の学修をしてきたことを活かそうと考え、小児看護学概論の講義の中で、学生に絵本を読み聞かせることを思いつきました。私が看護学生に読み聞かせているのは「おおきな木」という絵本です。この絵本の内容はおおきな木が、大好きな坊やのために実を与え、枝を与え、最後は坊やに切り倒され切株になってもそれでも木は幸せだという切ない物語です。看護学生はこの読み聞かせのあと、木に同情したり、坊やを非難したり、自分も親にこんな風に接しているのだろうかと考えたり、自分の経験をこの物語に投影します。でも、小さな子どもたちは「こんな木はどこに生えてるの」「僕もこの木と話がしたい」と、この物語を現実の世界としてとらえているのだと看護学生に話すと、自分たちと全く違う感覚をもつ子どものとらえ方の違いを実感して驚きます。大人は自分の子ども時代を忘れてしまいます。

読み聞かせの感想をきっかけに子どもは小さな大人ではないという小児看護の原点を看護学生は理解しはじめているように感じました。私が学生に絵本の読み聞かせをすることで、ただ教科書を読むだけでは学ぶことのできない「心で実感する」という学びを学生に伝えることができたように感じました。私は自分の強みからオリジナリティーのある講義を通して、これからも学生と楽しみたいと思っています。

昨年の秋に通信制大学を卒業した私は、さらに専門的に看護教育を学びたいと思い、今年度から星槎大学大学院に進学しました。

現場での保健師の経験と大学院の学びを活かして、私自身が成長して、看護学生に学ぶことの喜びを伝えていきたいと思います。育児や仕事を続けながら、初めて論文を書くことや自宅学習、レポート作成、スクーリング参加し、科目試験などへの不安は尽きませんが、看護学生に絵本の読み聞かせをすることを修士論文研究のメインテーマにしたいと思っています。

振り返ってみると、育児、保健師、看護教員に共通することは「話を聞く」ということだと強く感じます。相手がどんな思いでどんなことを「聞いてもらいたい」のかをくみとっていくことの大切さを、今よりもっと学生にうまく伝えられるように学びを深めていきたいと心から思っています。

(2016年5月27日「MRIC by 医療ガバナンス学会」より転載)

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