映画監督レティシア・コロンバニの小説家としてのデビュー作『三つ編み』(齋藤可津子訳、早川書房刊)だ。その評判はフランス国内に止まらず、32カ国での翻訳が決定している。
物語は、現代のインド・イタリア・カナダの三カ国を舞台に、三人の女性の人生を交互に語るもの。三者三様の苦しみと、そこからの解放を描き、その内容からフェミニズム小説と称されつつ、男女問わず数多くの読者から熱い支持が寄せられている。
筆者は縁あって、日本語版の解説を担当した。女性の苦しみと闘いを描きながら明るさに満ちた作品で、初見では仕事を忘れてあっという間に読み上げてしまった。
先へ先へと読者を引っ張る展開の面白さは冒険小説のようで、その果てには爽快で鮮やかな結末が待っている。そして解説を記すために再読を重ねるたび、登場人物たちがますます親密に温かく感じられるという、印象的な読書時間を過ごした。
フランスでなぜ、この小説がヒットしているのか。不思議な魅力とその理由を探るため、パリ在住の著者にインタビューした。彼女が、日本を舞台に小説を描いたらどうなるのだろうか。
「髪」が結ぶ、三人の女性の生き方
著者の声を伝える前に、小説のあらすじを簡単に紹介しよう。
『三つ編み』の冒頭を飾るスミタは、インドに暮らす二児の母。最下層身分「不可触民」に生まれ、過酷な差別を受けながら、娘により良い人生を与えるため、夫を残し家を出る。
二人目のジュリアは保守的な男女・家族観の強いイタリア・シチリア島の20代。代々家族で守ってきた伝統的手工業の工房で働くが、それが突然、閉鎖の危機に見舞われる。
三人目のサラはカナダ在住、三人の子のシングルマザーであり成功した弁護士として多忙な日々を過ごすが、がんが発覚した途端、人生が一転する。
主人公三人には一見、何の繋がりもない。それぞれの国でのそれぞれの生き方を描きながら、「髪」をモチーフに交差させ、編み込んでいくストーリーだ。
個人的な祈りが得た、世界の共感。
この小説の大ヒットを、著者自身はどう思っているのだろうか。
「ベストセラーは驚きでしたね。もともと、ごく個人的な思いで書いた作品でしたので」
コロンバニはあっけらかんと語る。1976年生まれの43歳、これまで映画監督として2本の長編作品を成した、パリ在住の母親だ。
「きっかけは親友のがん闘病でした。彼女に寄り添いながら、女性が生きている現実の苦しさを改めて考えさせられたんです。そしてそれは、世界各国に存在するということも」
親友との日々で特に印象に残ったのが、化学療法で毛髪を失った彼女に付き添い、カツラの手配に行ったこと。そこで信仰のために髪を捧げるインドの女性たちを知り、物語の構想が他の国に広がったのだという。
「インド、イタリア、カナダを選んだのは、文化や地域によってそれぞれに異なる女性の苦しみを扱いたかったから。それでも挫けず勇気を持ち、力強く自由を求める人物たちを書くことで、同時代を生きる女性たちにオマージュ(賞賛)を送りたかったんです」
フェミニストとして物語を作った
そんな祈りにも似た創作が、性別を問わず世界中から支持を得た理由を、コロンバニ自身は「登場人物たちをポジティブに描いたから」と考えている。
「女性の登場人物は、豊かで自由な精神を持ち、自立している姿で描きました。男性や社会にモノのように扱われる幼い人格ではなく、ですね。彼女たちと一緒に物語を動かす男性陣もそう。明るく前向きに、女性と手を携える人物が欲しかった」
「女性の自由と解放の物語を、強い女と悪い男の対立にしたくなかったんです」
その思いは、自らをフェミニストと明言するコロンバニの信念でもある。
「私にとってフェミニズムとは、アンフェアな性差別のある社会に異を唱えること。それを行う人がフェミニストであり、男性か女性かどうかは関係ない。性差別のない社会を作るために、男女が対立する必要はありませんから」
「人にはみな母親がいますよね。娘を持つ人も多い。フェミニストとは、自分の大切な女性たちが、より良く生きられる社会になってほしいと望む人たちなんです」
コロンバニの言うように、「フェミニズム」は男と女を対立させるものではない。広辞苑にも「性差別からの解放と両性の平等とを目指す思想・運動」とある。しかし社会を見ると、両性の平等を願う人が全員、自分を「フェミニスト」とは明言しない現実もある。
かくいう私自身も、男女両性が公平に生きる社会を願いつつ、「私はフェミニストです」と自己紹介することはこれまでなかった。「フェミニズム」を正しく理解している自信がないことに加え、この言葉に対する世間の理解や反応があまりに多様で、自分が「そうだ」と名乗った結果を引き受けきれないと、感じてきた。
コロンバニのように、自分をフェミニストと明確に捉える人は、どんな考え方をしているのだろうーーそれは『三つ編み』を読んだ直後に浮かんだ、率直な疑問でもあった。
尋ねて返って来た反応は、ごくシンプルなものだった。「人間を愛していれば、自然にフェミニストになる」と。
「人類の半分は女性ですから、その半数が痛めつけられている事実から目を逸らし、その状況を放置して、『人間が好き』なんて言えるはずもないでしょう? 女性を憎みながら人間を愛する、そんなことは誰にも不可能なんです」
フランスにも、男女格差は存在するが。
女性の解放を男女の対立で語りたくない、とコロンバニは言う。しかし女性が苦しさを強いられる社会には、男性はその苦しさから免除されているという、伝統的な価値観やシステムが付いて回る。
コロンバニは、もちろんそれを否定しない。
「フランスでも、目に見えにくい男女格差は根強く存在しています。例えばキャリアの上でのガラスの天井、給与格差などです。映画業界だって、女性監督の収入は男性監督よりまだ40%も低い。家庭内の家事分担でも伝統を引きずっていて、女性の方が多くを担っています」
根強い男性優位社会の現実を知りながらもなお、コロンバニは女性と男性を共にポジティブに扱いたいと願い、小説を書いた。そのフラットな姿勢こそ、「三つ編み」が性別問わず幅広い読者に愛読された要因なのだろう。
そもそも、なぜ彼女はそのフラットさを持つことができたのだろう。
「それは私自身が幸運にも、これまで人の善意に守られてきたからでしょうね。悪意のある人にももちろん出会いましたが、彼らとは距離を保つことのできる環境にありました」
「加えて、フランスにはフェミニズムの歴史があり、男女ともにフェミニストを自認する人が多くいる。これもやはり幸運なことと思います」
世界各国の男女格差を表す国際調査の一つに、「グローバルジェンダーギャップ指数ランキング」というものがある。世界経済会議が2006年から続けているこのランキング調査で、フランスは2018年、149カ国中12位という好位置につけている。「三つ編み」で舞台としたインドは108位、イタリアは70位、カナダは16位だ。
コロンバニは登場人物を考える際、「自分自身より厳しい環境」を敢えて設定したという。不平等な社会でも、光とともに生きることはできると示したかったから。
「世界にもフランスにも、私よりも厳しい環境にいて、明るく力強く闘っている女性たちはたくさんいます。そんな彼女たちにオマージュを送りたいと思ったのが、この作品だったんです。その思いが通じているのか、女性読者からは『励まされた』との感想を多く届いています」
書かれているのは、読者とは別の国の苦しみかもしれない。
しかし苦しみの原因は同じ、「女であること」だ。
それに共感して読み進むうち、女性たちがちゃんと前面に出て、光に照らされる結末に出会える。そうして励まされ、心を動かされた読者が周囲にこの本を勧めることで、『三つ編み』はフランス国内で100万部突破の大ヒットになったのだ。
日本を舞台とするなら。
そんなコロンバニは、日本をどう見ているだろう。日本のジェンダーギャップ指数は110位。男女格差だけに焦点を当てるなら、小説に描かれたインドやイタリアよりも順位が低い。
「日本に最後に行ったのは2003年ですが、メディアの記事は読んでいます。妊婦や年若い子を持つ母親が、働く意思を削がれるような状況があると」
「日本は出生率も低いのですね。女性が満足に働けない、かつ子を持つこともできない。生き方を女性の意思で選べない社会になっているのでは、と感じます。女子受験生の点数操作をした医大のニュースも衝撃的でした」
2017年以降、世界中でセクハラや性暴力の被害を訴えるMetoo運動の嵐が吹き荒れたが、日本ではこの動きが諸外国ほど広がらなかったことも注視していたという。
「日本の性別不平等があまりに固定しているからではないでしょうか。どうせ何も変えられない、だから証言するのも怖い、と、多くの女性たちが考えてしまったのでは」
そう考えるコロンバニが、日本を舞台に『三つ編み』のような物語を書くとしたら、どんなものになるだろう。その問いかけに彼女は「舞台は労働現場」と即答した。
「日本の企業では、男性の上司や同僚のために女性社員がお茶やコーヒーを入れることもあると聞きました。日本の方には普通のことかもしれませんが、私にはとてもショッキングです」
「賢い日本男性は当然、自分でお茶やコーヒーを淹れられるはずですよね? そんな簡単なことを敢えて他者にさせる行為には、その相手を軽んじ、服従させるという精神性が表れています」
「私が日本を舞台に女性の解放を描くなら、そんな日常のシーンを切り取りたい。映画の手法の一つに、『意味を持つ細部』をカメラでクローズアップするやり方があります。小さな習慣にも、それを毎日生きる女性たちには『自分の価値を下げられている』という意味が含まれているのだと、伝えたいと思います」
世界をもっと明るくするために
「それでも世界は、明るい方に向かっているんですよ」
コロンバニはインタビューの最後を、朗らかな声でそう締めくくった。国際社会は男女格差を「是正すべきもの」とする方向性で一致しているし、『三つ編み』がベストセラーになったことも、その一つの証だろう。
「より光に満ちたフェアな世界を、善意の男女と一緒に作りたいし、作っていけると信じています。フェアな世界を望まない人は、暗がりの中にいればいい。私たちは前に、進む。私が『三つ編み』で贈りたいのは、そんな希望のメッセージです」
……
一読者として私は確かに、彼女からの希望のメッセージを受け取った。
加えてこの「フェミニズム小説」は、私に大きな発見と救いを与えてくれた。
抑圧された女性が自由を得る物語に、「悪い男と対立する強い女」という固定観念は、必要ない。「発見」は、私自身が知らぬ間にその固定観念に囚われていたことで、「救い」は、それが過ちと分かったことだ。
両性の公平を望む女性の私は、男性を敵にしないでもいい。フェミニズムは、この物語のように明るくポジティブなものでも有り得るのだと。
そして何より『三つ編み』は、とても面白い小説だった。
それを今一度強調しつつ、一人でも多くの人に読んで欲しいと願う。
男女がフェアに生きられる社会を望む、すべての人たちに。「より明るい世界」を、一緒に作っていくために。
(取材・文:髙崎順子、編集:笹川かおり)