MtF(男性の体に生まれながらも心は女性)のトランスジェンダーの少女が、バレリーナを目指す映画「GIRL」が、いよいよ7月に日本でも公開される。2018年のカンヌ映画祭でカメラ・ドール賞受賞した話題の本作は、ルーカス・ドントゥ監督によるフィクションだが、ストーリーは実在の少女ノーラの実話に基づいている。
舞台はベルギー。ここでは、2003年に同性婚が合法化され、トランスジェンダーへの対応では近隣の欧州諸国の中でもが際立っているといわれる。
現在ドイツでダンサーとして活躍するノーラは、どんな半生を歩み、家族はどう向き合ったのか。東京レインボープライド2019の開催前に、ノーラの生まれ育ったゲント郊外にてご両親に話を聞いた。
一卵性双生児の男の子として生まれて
1996年1月、一卵性双生児の男の子たちが生まれた。
同じ遺伝子を分かち合ったはずの二人だが、母親のアーニャさんは、「生まれた途端から、二人は何かが違っていたのよ」と回想する。
全く同じように育てた二人なのに、アルノーは自動車のおもちゃや外遊びをしたがり、ノーラは家の中で人形遊びをするのが好きだった。
ベルギーでは、多くの子どもたちは長い休みの間に、1週間単位の習い事やスポーツ教室に入る。ノーラが、「サッカーではなくダンスをやらせて」と母親にせがんだのは5歳の夏。以来、ノーラは踊ることに夢中になった。すぐにその時の先生が主催するダンス教室に通い始めた。
「周りは女の子ばかりの黒一点でも、あの子は気にする様子もなかった……」
ある時、友人家族とともに週末旅行に出かけた。夕方になり、子どもたちが一緒にお風呂に入ろうとする頃、アルノーが血相を変えて助けを求めに来た。
「ママ、パパ、ノーラが……大切なものをハサミで切ろうとしている!」
ノーラはぽつりと告げた。
「僕は女の子なんだ」
その日から、両親は必死になって専門家や情報を探し求めた。
一家が住むゲントは、今では、大学病院にトランスジェンダー専門の外来があり、この分野に経験豊かな専門医(婦人科外科、泌尿器科、精神科、整形外科など)の他、臨床心理士やカウンセラーなどがいる。
だが、15年前には今ほどの組織的な窓口などなかった。
なんとか探して口コミで紹介されたところは、大人のトランスジェンダーが集うところだった。父親のベニさんは、そこに顔を出しノーラのために誰か情報をくれないかと相談した。
こうしてたどり着いたのが、臨床心理士のハイディさんだった。
「まだ小さいから、自然に、無理をせず、本人の気持ちを大事にして、皆で大切に受け止めてあげましょう」
ハイディさんは以来、今日に至るまで、定期的にノーラの成長を見つめる支援者の一人となった。
苦難を乗り越えて
ノーラ本人の希望で、アントワープ王立バレエ学校のオーディションを受けたのは9歳の時だった。
ここは、小学校後半から学業とバレエを同時に学ぶことができる寄宿制学校。思春期を迎えるまでは、男の子も女の子も一緒にレッスンを受ける。
初めて親元を離れても、ノーラは嬉々としてバレエに打ち込んだ。
ある新聞記事がルーカス・ドントゥ監督の目に留まったのは、ノーラが中学に上がる2008年のことだった。『トランスジェンダーの少女がバレリーナを目指している…』
ドントゥ監督は、いつかこの人のストーリーを映画化しようと心に決めたのだという。
一方、この新聞取材を受けたことをきっかけに、ノーラは、勇気を奮い立たせ、公にも女性としてふるまうようになった。
外では男の子、内では女の子という二重生活に自ら終止符を打ったのだ。
だが、苦難はそのすぐ後に訪れた。思春期に入ると、同校では男女別々にレッスンすることになっていた。
運悪く、このタイミングで、ノーラに理解のあった校長が退任し、ロシア人の新校長が着任すると、学校の対応は豹変した。
登校拒否に陥ったノーラは実家に戻る。
「引きこもり、鬱、拒食、自殺衝動、なんでもあって……」とベニさんは辛そうに語った。
踊らなければこの子はだめになる――。
断られても断られても、両親はノーラを受け入れてくれる別の学校を探した。ようやく地元の芸術系高校に受け入れられ、18歳で卒業する。
10代になってから、段階的なホルモン療法を進めてきていたノーラは、卒業と同時に外科手術を受けた。今では本人が希望しなければ手術なしでも性別登録を変更できるようになったベルギーだが、彼女にとっては必要不可欠だったのだという。
映画化は堂々と生きるために
その後のノーラの快進撃には目を見張るものがある。
先生のアドバイスでコンテンポラリーに転向することにしたノーラは、プロへの登竜門として世界的に名高いノーザン・スクール・オブ・コンテンポラリー・ダンス(英国Leeds)のオーディションを受けて合格。
3年後には、教官の薦めで、ドイツ・マインツにある州立劇場付属ダンス・カンパニーに、難関を突破して合格。昨年夏から本契約に移行し、プロ・ダンサーとして活躍しているのだ。
ドントゥ監督が初めてノーラと連絡をとったのは2010年頃。ノーラが首を縦に振るまで、辛抱強く説得し続けたという。
当初ドキュメンタリー化には気が進まなかったノーラだが、実話をベースにした創作ということで意気投合。今では、親友といえるほど仲良くなったドントゥ監督やそのキャストたちに、脚本や演出の隅々まで助言し続けた。
「映画が完成し、カンヌ映画祭に行ったことで、内向的だったノーラの何かがはじけたように変わった…。胸を張って、堂々と生きるようになった」
父親役の役作りに協力を惜しまなかったのベニさんは、いかにも嬉しそうな笑顔を見せた。
“昨年のカンヌ映画祭で、カメラ・ドール賞を受賞した際、ドントゥ監督は、「この賞を2人に捧げる。一人は、主演のヴィクトール・ポルスター、そしてもう一人はノーラ。トランスジェンダー女性で、この映画のモデルとなった人。彼女は私の中の英雄だ」と語った。
包容と勇気の物語として
映画「GIRL」が公開されて、称賛と同時に批判の嵐にもさらされた。
「トランスジェンダーが演じていないから偽物だ」「本当のトランスジェンダーの気持ちを反映していない」などだ。
だが、「トランスジェンダーが演じなければいけないなら、ゲイの役はゲイの人、孤児の役や孤児しか演じてはいけないということになる。ナンセンス…。世の中にはトランスジェンダーの人の数だけの異なる物語があっていい」とベニさんはきっぱり。
この映画は、実話をもとにしたドントゥ監督の創作だ。だが、ノーラとその家族の壮絶な生きざまをベースにしていることは揺るぎない事実だ。
「そもそも、この映画はLGBTやトランスジェンダーの物語ではありません。自分が自分として、親が親として、ありのままを受け入れ、勇気を奮い立たせて人生を生きること、『包容と勇気』をテーマにしたものです。」
「LGBTやトランスジェンダーに限らず、すべての人に向けたメッセージ。日本の皆さんにも、それをわかってほしい」
誰のために
プロ・ダンサーとして、大人の女性として、すっかり立派に成長したノーラさんの話をしながらご両親はしみじみと語ってくれた。
「とにかくこの子の幸せだけを考えて必死だった。知人がなんと思うか、親族がどういうかなんて、頭の中になかった」
「双子のアルノーは、焼きもちをやいたりすることはなかったのですか?」と尋ねると、一瞬考えてからこう答えた。
「確かに一度だけ爆発してね。僕はどうでもいいのかよ、って。15~16歳の頃でした。でも、それ一回切り。アルノーはいつも1000%、ノーラを守ってきました。守護の聖人のように、影となり日向となってね」
双子のきょうだいアルノーは、物心ついた時から、ノーラの最大の理解者だった。
アルノーは今では、地元のプロ・サッカー選手として活躍する傍ら、摂食コンサルタントとしても生き生きと自らの道を進んでいる。
彼らが嫌がらせや誹謗中傷を受けなかったはずはない。ノーラも、アルノーも、両親も、数え上げればきりがない。だが、自分が自分らしく、家族がそれぞれ幸せでいることを第一に、頑固なまでに無視して生きてきたのだ。
ありのままを受け入れ、元気をくれる仲間をつくること
ノーラの両親は、今から6年前、自らの経験をもとに、トランスジェンダーの子どもを持つ家族の会BERDACHE(ベルダシュ)を立ち上げた。ベルダシュとは、北米の先住民族文化に広く見られた、男女どちらの性でもない第3の性を持つとされた人々を指す。
ベルギーのオランダ語圏(人口約650万人)を対象としているにすぎないが、今では170組の家族が加わって、専門家の情報や、経験談、失敗談を共有できるコミュニティになっているのだという。
まずは家族が支えあわなければ崩壊してしまう。そして、ありのままを受け入れ、勇気づけてくれる仲間、コミュニティが絶対に必要だと、ベニさんは語ってくれた。
……
ノーラは今、自伝を書いている。
タイトルは「私自身への道(The Way to Myself)」。今夏には出版の予定だ。
新聞掲載や映画化を、一つひとつ踏み台にして、人生の新たなステップを切り開いていくノーラとその家族。それぞれの人生に幸あれ。その歩みが道となり未来へとつながっているのだから。
(取材・文:佐々木田鶴 編集:笹川かおり)