発達障害の私が母になり、産後うつになった。「本当はもっとのびのび育てたかった」気持ちに気づくまで

4月2〜8日は発達障害啓発週間です。発達障害のある私が母になった。“正しい子育て”“正しい母親”のハードルは果てしなく高く、いつしか心も体も疲弊していき…。
2歳半、家庭内がだいぶ明るくなったころ
筆者提供
2歳半、家庭内がだいぶ明るくなったころ

結婚して5年、発達障害の私は妊娠した。障害特性を鑑み、熟考を重ねた末の決断だった。翌年、子どもは元気に生まれてきてくれた。 

妊娠がわかってから、私は暇さえあればSNSにかじりついていた。そこにある情報を精査することもなく、ただひたすらに取り込んでいく。

「この恐ろしい世界から子どもを守るために、誰にも責められない母にならねば」

そんな気持ちで、SNSの海に漂う“母親としての正解”“子育ての正解”をかき集めてインプットした。 

しかし、SNSにハマればハマるほど、道ゆく人に非常識な“子連れ様”だと思われている気がして怖くなった。子どもと二人きりのときすら、母親としての一挙一動を誰かにジャッジされているような感覚があった。

「お願いだから泣かないで。少し黙ってて」

「私だって頑張ってる!ダメな母親だと責めないで」

子どもと向き合っている間はずっと、そんな思いが胸の中に充満していた。けれど、言葉にはできない。いつも全力で支えてくれる夫にさえ言えなかった。なぜなら、そんなの全然“正しいお母さん”らしくないから。 

過剰適応で自分を守ってきた

私は、発達特性に由来する数えきれないほどの失敗を通して、「正解を探し、正解に従う」という習性を身につけてきた。

いわゆる「過剰適応」というものだろう。周囲に溶け込むために、特性を抑え込んで“普通の人”を演じようとするあり方だ。一見うまくやれているようでも、無理に空気を読もうとしすぎたり、他人の期待に過敏に反応したりすることで、本人は強いストレスを感じる。

なぜ、そこまでやるのか? 社会で生き延びるために必要な術だと、身をもって知っているからだ。

子どものころから、周囲との差を感じて苦しんできた。場の空気にそぐわない言動をして、笑われたり怒られたりしたことは数えきれない。「適当にやっておいて」と曖昧な指示を出されると頭の中がパニックになり、動けなくなった。当然、学校でも会社でも“使えない人”扱いだった。

そうした傷つきの積み重ねから、「みんなと同じ価値観を持っているふりをし、同じように振る舞えば、誰にも責められない。排除されることもない」と信じ、できる限り周囲の行動を模倣するようになったのだ。

妊娠して母としての責任感が芽生えてから、その傾向はいっそう強くなった。“正しいお母さん”でいれば、誰にも冷たい目で見られない。怒鳴られることもない。私も子どもも、安心して生きていけるはず。そう思い、SNSから世間の声を吸収し続けた。

正解のハードルは果てしなく高かった。子どもの行動で他の人に迷惑をかけないのは当たり前。仕事も家事もきちんとこなして、パートナーとも良好な関係を維持し、いつも笑顔で。

「やるからには万全の準備をして、正しくこなさなければ」と腹を括った。それが“正しいお母さん”の証明なのだから。

“正しい子育て”に押しつぶされた

生後半年、母が鬱でも子は明るかった
筆者提供
生後半年、母が鬱でも子は明るかった

しかし、現実はひどいものだった。発達障害由来の睡眠の不安定さに夜間授乳が加わり、まともに眠ることができない。子どもの泣き声が聴覚過敏対策のイヤホンを突き破り、神経を削る。ネガティブな妄想を膨らませやすい脳は、毎日のように「子どもの呼吸が止まっている夢」を見せる。

気晴らしにと出かけても、子どもがいつ泣き出すかと気が気でない。誰かに抱っこ紐のバックルを外されるかもしれない。ベビーカーを蹴られるかもしれない。危険な目には遭わなくても、急に怒鳴られることくらいはあるかもしれない。常に強い不安を抱えていた。

それでもなお「みんなもっと頑張っている。母親なら折れている場合じゃない」と自分を奮い立たせた。どんどんやつれていく鏡の中の顔は、見ないふりした。

そんなある日、ふいに涙があふれて止まらなくなった。頭も体も、どうしようもなく動かない。医師からは「仕事を中断し、子どもともなるべく距離を置くように」と告げられた。産後うつだ。

どれだけ頑張っても正解から外れてしまう情けなさ、家族に迷惑をかけている罪悪感に胸が潰れそうだったが、赤ん坊は母親の回復を待ってくれない。ぼんやりした頭のまま数時間おきに乳を吸わせ、笑顔であやしてやれないことに絶望して泣き、薬を飲んで無理やり眠った。

“正しい子育て”は私のため

1歳誕生日
筆者提供
1歳誕生日

心身が回復していくにつれて、私は少しずつ、自分の本心と向き合うことを試みた。“正しいお母さん”を目指すうちに埋もれてしまった、私自身の子育て観を掘り起こすために。

心の奥底から出てきたのは、「本当は、もっとのびのび育てたかった」という願いだった。子どもの「やりたい」を尊重してあげたかったし、その子のペースをゆったり見守れる母親になりたかった。

しかし、実際の私はどうだろう。何よりも大事にしたかったはずの子どもの気持ちをないがしろにしてはいなかったか。

例えば、あのときのこと。まだ1歳だった子どもが、電車の中で嬉しそうにおしゃべりをしていた。駄々をこねていたわけでも、泣き叫んでいたわけでもない。ところが私は、なんとか静かにさせようと必死になった。誰かにとがめられるのが怖くて、目の前の子どもの自己表現を抑えつけた。

初めて子どもに怒鳴ってしまったときもそうだ。子どもが自分の思い通りにならないことに怒りを覚えたのではない。「ぐずられてもイライラせず、笑顔で丁寧に接する」ことができないのが悔しくて、その苛立ちをぶつけたのだ。

子どもを守るつもりが、いつのまにか自分の安心やプライドを守ることに必死になっていた。そう気づいたら、ただただ情けなく、子どもに対する申し訳なさでいっぱいになった。 

正しくなくてもいい

この春、子どもは3歳になった。私は相変わらず発達障害の親で、子育てにいろんな困難を抱えている。

今でも不安が強くて外ではビクビクしているし、体調が安定せずちょっとしたことで寝込む。子どもに「ママ、またねんね?」と言われるたび、ギャン泣きに耐えられず夫にパスするたびに、定型発達の親との違いを感じて苦しい。まだ「正解でなくていい。そのままでいい」と、胸を張って言うことはできない。

ただ、小さな変化も感じている。ある日、公共の遊び場で、子どもが持っていたおもちゃをほかのお友だちに取られた。以前の私だったら、「悲しかったね。でも、そういうこともあるよ。仕方ないよ」「あっちのおもちゃで遊ぼうか」と声をかけていただろう。

けれど、その日は勇気を出して「○○ちゃんが先に遊んでたんだよ。返して」と言いに行った。「周りの大人に、空気の読めない親だ、大人げなくて面倒だなと思われているかもしれない」という気持ちを抱えながら。

あのときの行動は、正解ではなかったかもしれない。それでも、他人の目より子どもの気持ちを優先できた経験は、私を少し強くしてくれた気がする。

“正しい子育て”“正しい母親”という呪いは、今日も日常に侵食してくる。だけど、子どもの気持ち、自分自身の気持ちと向き合いたいと願う私が、確かにここにいる。迷いながらも、小さく芽生えた「私らしい子育てのかたち」を大切に育てていきたい。  

(文:小晴 編集:毛谷村真木/ハフポスト日本版)