2024年11月、私は中学2年生の時に学校で撮った写真をTikTokとInstagramに投稿しました。
家族や友人が笑ってくれるんじゃないか、知らない人にも多少はウケるかも…と思って投稿したその写真は、予想をはるかに超えて2000万人以上に閲覧され、何十万回もシェアされました。
投稿したのは1989年の写真で、私は長い茶色の髪で顔の3分の1を隠して希望に満ちた笑顔を浮かべていました。
髪で顔を覆っていたのは、斜視のある目を髪で隠すためです。私はこの形を作るために、撮影まで何週間も寝室の鏡の前で練習していました。
私は斜視があり、それで自分の人格まで決め付けられているように感じていました。たった一度でも弱視を隠せれば、周りから「目」以上の存在として見てもらえるのではと思っていました。
しかし数週間後に現像された写真を見て、ショックを受けました。
目を隠すのに失敗しただけでなく、隠そうとする意図がバレバレだったのです。
ふざけて割り込んできた虹彩(目の色のついた部分)が、髪の隙間からこちらをのぞき見しているかのような写真で、毎日教室で私をいじめていた男子たちは、机の上で転げ回って大爆笑していました。
母はその写真を「とてもきれい」と言ってフレームに入れ、棚の上に飾りましたが、私は数日後にこっそりその写真を引き出しに隠し、写真を並べ替えました。
母はすぐに気づいて「どうして片付けたの?」と尋ねてきましたが、私は「もう二度と見たくない」と答えました。

それから35年経った2024年11月に、私はTikTokとInstagramでコメディ動画を始めることにしました。
その10年前まで、脚本家や俳優としてお笑いの道で生きることを目指していましたがうまくいかず、やる気を失っていました。
しかし時間を経て、もう一度お笑いのネタやショート動画を再開させ、SNSに投稿しようと決意。その時に、約12年前に小さな劇場でこの写真が観客にウケたことを思い出したのです。
そこで、写真に「中学2年生だった1989年に撮影した学校写真。斜視の目を髪で隠そうとしたけど失敗」というキャプションをつけてTikTokに投稿しました。
BGMは、当時中学校のダンスパーティーでよくかかっていたAlphaville(アルファヴィル)の「Forever Young」。そのダンスパーティーで私が誘われることは一度もなかったけれど。
すぐに反応がありましたが、誰でも見れる投稿に慣れていなかったので、どれくらいの注目度が普通なのかよくわかりませんでした。
しかし、TikTokで再生回数が100万回を超えてようやく「何かすごいことが起きている」と実感しました。「いいね!」だけでなく、何度もシェアされ、友達をタグ付けして「😂😂😂」とコメントする人も続出していました。
私は、久しぶりに力がみなぎるのを感じました。お笑いこそが、私が初めて自分の居場所をみつけた場所でした。
誰かを笑わせるのは、相手の心を開き、驚かせ、抱えていたものを一瞬忘れさせて今この瞬間に引き込み、純粋に楽しさを感じさせられるということです。
私にとって、お笑いとはあまり話題にならない「誰もが共感できるおかしな瞬間」を見つけて面白おかしくすることでもあります。
Instagramにも同じ写真をシェアすると、すぐに閲覧回数は1600万人、再生回数は2500万回を超えました。
コメントもものすごい数で「バスでこの投稿を見て、10分間ずっと笑い続けた」と書き込んだ人もいました。
みんなが「私を笑っている」のではなく、「一緒に笑ってくれている」と感じました。
この1枚の写真は「自分を隠そうとしながらも見事に失敗してしまう」という、ほとんどの人が思春期に経験したことのある瞬間を捉えていました。
もちろん、教室にいた男子たちと同じように意地悪な人たちもいました。映画『Mr. ディーズ』でスティーヴ・ブシェミが演じた「クレイジー・アイズ」のようだというコメントも何十件も寄せられました。
映画『ナショナル・ランプーン/クリスマス・バケーション』に出てくる、「(斜視の子どもが)ラバに蹴られて目がまっすぐになった」 というジョークを書き込む人もいました。
もう13歳の時のように、そういったコメントで落ち込むことはなかったけれど、写真を撮影した時に感じていたビクビクした気持ちや、当時いつも持っていた恐怖感を思い出しました。あの頃は誰かと会話をするたびに、見た目について何か言われるかも、批判されるかもしれない、からかわれたらどうしようという不安を常に感じていました。
私はたくさんのコメントに返信しましたが、誹謗中傷はスルーしました。一緒に笑ってくれる何千人もの人々に守られているように感じました。
同じように斜視のある人たちからのコメントもありました。驚いたのは「私も斜視で、まったく同じことをやった」 という声が繰り返し寄せられたことです。
ある女性は、「40代になった今でもやっている」と書いていました。私はずっと、髪で目を隠そうとしたのは自分だけだと思っていました。でも、同じ経験をした人がたくさんいて、ただ彼らとつながる機会も手段もなかっただけだったのです。

斜視のせいで、私は高校時代ずっと孤立し、不安を抱え、落ち込み、誰かとつながりたいと必死にもがいていました。
単に見た目が異なるのが嫌だったのではなく、他の人と目を合わせることもできませんでした。
多くの斜視の人と同じように、私の目は左右同じようには動きませんでした。会話をするとき、片方の目(たいてい左目)を相手に向けることはできましたが、もう一方の目は自然と右の方向へ移動していきました。目の前の人を見ているつもりでも、それは片方の目だけで、相手には伝わりませんでした。
私は常にビクビクしていました。目を合わせようとすると、話している相手は私の右目の視線を追って、無意識に自分の左肩の後ろを振り返るのです。私が見ている左目には気づかず、視線がずれている右目ばかりを気にしていました。
斜視のせいで、人と普通に関わることがとても難しく感じていました。あの屈辱的な「肩越しの視線」を避けるために、思いつく限りの方法を試しました。話している時は、いつも床に視線を落とし、ただの内気な人だと思われてほしいと願っていました。
TikTokで「私も人と話す時にはずっと床を見ていました」 というコメントを目にした瞬間、息が止まるような衝撃を受けました。やっと、自分の仲間を見つけた気がしたのです。
アメリカでは、人口の約2~4%が斜視だと言われています。1989年当時のアメリカの人口は約2億4700万人なので、約500万人が同じような経験をしていたはずです。
でもSNSがない当時は、お互いにつながる手段を見つけられませんでした。それから35年経ってようやく、私は同じ経験をした人たちと出会えたのです。
多くの人が、ウケを狙った投稿をいいね!やシェアした一方で、「自分も斜視だった」 という人たちから、治療法や手術についての質問が殺到しました。
私のプロフィール写真を見て、目が「ずれていない」ことに気づいた人たちは、どうやって治したのかを尋ねてきました。中には「自分の子どもが斜視なのですが、いじめられた時にはどう対応すればいいでしょうか」と相談してきた母親もいました。心が痛みながらも、私はその質問に対する最適の回答を持ち合わせていないと答えました。
もちろん、斜視のある人すべてが、治療を望むわけではありません。自分の目をそのまま受け入れ、変えたいとは思わない人たちを私は心から尊敬します。本来、人は外から押し付けられた「これが良い」という基準のために、治療(ましてや私のように6回も)を受けなければいけないと感じる必要などないのです。
でも私は、生き延びるために治療を必要としていました。
私は3歳のときに2回手術を受けましたが、どちらも失敗に終わり、家族にとって大きなトラウマになりました。
母は私が再び手術を受けることをとても怖がっていましたが、ティーンエイジャーになった私にとって、手術の痛みやリスクよりずっとつらかったのは、学校でいじめられることでした。追い詰められ、「死にたい」 と思うようになっていた私は、何でも試す覚悟でした。
14歳で受けた3回目の手術は回復までに1か月かかりましが、手術後すぐにもっと良くなるための次の手術はいつ受けられるかと医師に尋ねました。
1年後に4回目、さらにその2年後に5回目の手術を受けました。手術を重ねるたびに目のズレは改善されましたが、医師にはわずかに動いてしまうだろうと言われました。
20代後半になると、そのズレがまた気になり始めました。話していると、相手が肩越しに後ろを振り返ることが増えてきたのです。その状態を長い間受け入れましたが、39歳で子どもを授かった時に、「ちゃんと目を見ていることを息子に伝えたい」と思うようになりました。
家族や友人はもうほとんどわからないと言いましたが、ある晩夫とレストランで食事をしている時に、善意のウェイターが私のテーブルに近づき、「こちらを見ていらっしゃいましたが、何かご注文はありますか?」と尋ねました。
私は丁寧に断りましたが、ウェイターが去ったあと、夫にこう言いました。「決めた。また手術を受ける」

家族や友人は私の目に慣れていましたが、悪意のないウェイターは、より客観的でした。
手術の予約をした後、一度は恐怖心に負けてキャンセルしましたが、1年以上経って再び予約して手術を受ける決心をしました。42歳の時に術後の回復室で目を開けた時、外科医が親指を立てて「これで完全に治った」と言いました。
TikTokとInstagramで大きな反響を呼んでから約1週間後に、35年間で受けた4回の手術について伝える動画を投稿しました。最初の投稿ほど大きな反応はありませんでしたが、温かい支援の言葉が次々と寄せられました。みんな私を応援し、喜んでくれました。
40年にわたる斜視の経験は、私の人間としてのあり方に深く影響を与えました。周りから「誤解される」ことから逃げられなかったからこそ、私は非常に共感力の強い人間になり、自分に正直であり続けることができました。
それに、私を面白い人間にもさせてくれたと思います。私は皮肉な瞬間をとんでもないものにしたり、ばかばかしいことを面白おかしくしたりするのが得意です。そのことに感謝しています。
(コメディアンの)キャロル・バーネットは、「悲劇は時間が経つとコメディになると母親から教わった」と言いました。私にとってそれは、必死に本当の自分を隠そうとし、恐れと恥に満ちていた子どもが、それ以上の存在として見られるようになった瞬間を意味しています。
筆者:リズ・ブラウン。アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルスとバーモント州ノースフィールドを拠点に活動する母親、作家、コメディアン。斜視のため40年間目を合わられなかった経験についての回顧録を執筆中。Instagram / TikTok
ハフポストUS版の寄稿を翻訳しました。