イスラエルやガザが地続きにある、中東・サウジアラビアの西の玄関口、ジッダ。わずか1400キロ北の同じ大地で起きている紛争のことはみじんも感じられないような港町だ。
紅海には、東京タワーほどの高さに噴き上げられる世界最大の噴水が設置され、経済大国を目指す同国を象徴する。実際に、中心を貫く幹線道路では、車がひっきりなしに行き交い、巨大な国旗を掲げる街は活気に溢れていた。
そんなジッダの町で人々と交流すると必ず聞かれたことがあった。

「インスタ交換しませんか?」
筆者がジッダに滞在していた3日間、若者を中心にあらゆる人にそう声をかけられ続けた。外国人であることが主な理由だと察するが、さらに、日本人とわかると、好きな日本のアニメや侘び寂びなど、自分と日本文化との関わりについて熱心にアピールする人に多く出会うことができた。
街には、日本食レストランが多いわけでもなく、日本らしいなにかが目につくわけでもないのだが、縁は見える形でも確かに深まっている。
例えば2024年6月に、日本のデジタルアート集団「チームラボ」がジッダで運営する広大なデジタルアートミュージアム「チームラボボーダレス」。これまで10万人以上が訪れている。

サウジアラビアは、長らく外部に門戸を開いておらずベールに包まれた国だった。
イスラム教の二大聖地メッカとメディナを抱えるサウジアラビアは、世界中のイスラム教の人々が目指す国だったが、教徒以外には基本的に門戸を閉じてきた。
しかし、2019年に異教徒にも「開国」し、日本を含め観光ビザが認められるようになった。だが戒律の厳しい国で、カメラをぶら下げて自由に写真が撮れる国ではない。メッカには異教徒は町にも入ることは許されない。
一方、別の側面もある。イスラム教二大聖地メッカとメディナが近郊にあるジッダには毎年数百万人の巡礼者が訪れ、その玄関口としてジッダは発展してきた。世界中から訪れるイスラム巡礼者を通じて、世界に開かれてきた3000年の歴史のある国際都市という顔だ。

そんな歴史を背景に、ジッダの人々は、異国文化に慣れ親しんできた。
「曽祖父や祖父の時代は、巡礼者のために一階を開放して寝泊まりしてもらい、家族は二階以上に住んでいました。巡礼者は3カ月ほど滞在する。宿がない時代、それがあたり前だったのです」とジッダに住むヒューダ・アルクタブさんは語った。通行する巡礼者にも水やタオルを渡し、人々を歓待したという。
そんなアルクタブさんは、ジッダ歴史地区できょろきょろする私に、声をかけてくれた女性だ。日中の暑い日差しを避けるため、飾り窓からの薄明かりがさす築250年の建物に共に入った。元商家を改装したその建物内の喫茶店で、そのままお茶をすることにした。
歴史地区には650の昔ならでは家々があり自分はガイドをしているということ。金曜は家族のための曜日だということ。国をあげて新しいことをしようとする今の流れを歓迎しているということ――。
アラブコーヒーを飲みながら、ドライナツメヤシをつまむ。話に集中してしまい、足元にまとわりつくアラブの蚊に5カ所ほど気づいたら嚼まれてしまっていた。

声をかけてくれたのはアルクタブさんだけではない。今回の旅で、サウジアラビアの現地の人々から聞いた言葉には、数々の国の中でも特に日本への熱量を感じた。
空港までのタクシーで運転手との会話では、「日本から来たのですか?行きたい!何をみたいか一つだけ選ぶとしたら桜かな」と話す男性運転手。
国際映画祭の帰りのバスで、イベント手伝いの20代と思われる男性は「こんにちは!わたしはNARUTOが大好きです。インスタ交換していいですか?」と。
サウジアラビア政府により日本から誘致された「チームラボボーダレス ジッダ」の入り口には、大学を卒業したばかりの3人組女性たちの一人は、私がノートに日本語でメモをとっていると「きゃー!これは日本語!」とのぞき込む。ノートにペンでカタカナの彼女の名前を書き綴ると、さらに喜んでくれた。
ひとしきりして、ジッダの街並みをかたどったマグネット土産を「思い出に」と渡してくれたのは、別のもうひとりだ。
親日国といわれた国を訪れた中でも、特にこの日本への熱量の高さは特筆すべきものだった。

「目だけ」の女性たち
ただ、ここまでに書いてきた女性たちは、実は少数派だ。顔が見えるからだ。
町ですれ違う女性たちのほとんどは、目だけしか見えない。多くの女性は頭までを覆い、目だけを出しているニカーブとアバヤと呼ばれる全身を覆う上着を着ているからだ。町で通りすがっても、大きな目だけがのぞく姿には3日間でもなかなか慣れなかった。

街中では、女性が車を運転したり、働いたりすることが許されてから時間があまりたっていないためか、女性の運転を見かけたり、女性一人で食事をする姿を見ることは珍しい。
ただ、女性をめぐる環境は服装から得られる単一の印象とは少し違うらしい。
ジッダで見かけた多くの女性は黒いアバヤを身につけていた。しかし、現地在住の日本人ガイド金森陽子さんによると、アバヤの色、口やほおなどどこまで覆うかどうかは、個人の自由なのだという。一方で、多くの人が黒を選んでいる。確かに街中の衣装屋をのぞくと、ほかの色もたくさん売られていた。結婚式やイベントで着るアバヤは、日本では想像できないようなデザインのキンキラキンの装飾が施されているものが多かった。
また、女の子がアバヤを着始める時期は、初潮の頃と一般的に言われているが、母親などの姿を見ている子どもは、幼いころからアバヤを着たがるのだという。
実際、アバヤは灼熱のサウジアラビアでは機能性があり、着心地は快適だ。風が適度に通り抜ける。慣れないと頭に巻き付けるベール(ニカーブ)がすべり落ちるのが難儀だが。
そして、社会の中の女性の地位と、夫婦関係の様相もまた違うらしい。
確かに、店でオーダーを男性店員に伝えるのは男性だが、指示して決めているのは女性。スーパーでも男性の姿が多いのだが、その手にはスマホがありスピーカーフォンから妻と思われる人から買うものの指示を受けている様子も見られた。
男女で分かれる文化
社会のさまざまな場面で、女性のエリアと男性のエリアに分かれていることに日本人の自分は驚く。当然、モスクでの祈りの場所は男女分かれている。レストランも、家族席以外は、男性と女性で案内される場所が異なるところもある。
休日前の夜、やっと涼しくなった川沿いの公園では驚かされる光景があった。真っ黒のアバヤを来た集団が、思い思いに芝生の上でピクニックしているのだ。闇にとけて目の部分が浮かぶように見える。その数、百を超えるグループ。
子どもたちを芝生で遊ばせ、お茶をしている。そこに男性はいない。大きな笑い声やはっきりとした声は聞こえないが、ベールの下での口は動いているはずだ。すごい勢いで話しているのだろう。たくさんの人の話している声が、塊となりもわっと公園に広がっている。
また、筆者が、サウジアラビアの新幹線にあたるハラマイン高速鉄道にひとり乗車している時には、半ば強引に「ここに座れ」と女性に手を引かれた。戸惑っていると、「男性の隣じゃいやでしょ」と言われ別席に案内された。二人指定席の私の隣が男性であることを気遣って、わざわざ女性が集まっている自分たちの席に、異人を招きいれてくれたのだ。

遠かった国とのボーダレス
中東初として誘致された日本のチームラボの広大な「チームラボボーダレス ジッダ」の展示のひとつに、東京とサウジがつながっているものがある。
雲のようなかたちの巨石がうねりながら空間を移動していく作品は、サウジにいる人が触れたシグナルが東京に送られ現れるというしかけだ。東京での午後4時の動きがジッダの午前10時の鑑賞者の動きと連動する。全く同じものはできないという。唯一無二の動きの作品が国境と空間をボーダレスに超える。
何でも行った気になれる動画があふれる昨今、遠いはずだった場所が本当の意味で近くなる体験を久しぶりに今回の旅で実感した。文化も慣習も全く異なるが、砂漠広がるこの地とつながれたと思える何かを得られた。
サウジアラビア王国文化省と紅海国際映画祭Red Sea Film Festival事務局より招待を受け、現地のツアーに参加しました。執筆・編集は独自に行っています。