先週のこと。ノートパソコンでリアリティ番組を見ているとキーボードから小さな虫が這い出てきた。
カプレーゼサンドイッチを食べながら「Naked and Afraid of Love」というテレビ番組を見ていた。こぼれ落ちたパンくずはパソコン内部に入り込み、小さな虫の食料となっていた。ハッとした。ずぅーとテレビを見続けていること、這い出してきた虫、2日間も家から外に出ていないこと…どれをとっても気持ち悪かった。
毎日4〜7時間もテレビを見ているなんて誰にも言えず、もう1年以上自分の胸に秘めてきた。クリエイティブライティングを教える身として、学生たちには動画などのデジタルコンテンツには創造性をダメにするものがあると教えていたのだから。しかし、もし私が短編作品に出演するとしたら、1人暮らしでペットもいない寂しい中年の非常勤職員で、リアリティ番組と炭水化物と自己嫌悪にまみれて生きている人物の役どころといったところだろう。主人公ではあり得ない。

去年はつらい1年だった。フルタイムの仕事を2度失い、経済的な生活基盤が揺らいだ。
新たに見つけた職場ではパニック発作に似た不安発作が起き、なかなか収まらなかった。オンライン会議中に急に気持ちが崩壊し、カメラをオフにしミュートにするまで頭が回らず、机の下に潜り込んだこともあった。画面から消えた私の泣き声が、画面上に響きわたり、同僚を驚かせてしまった。その仕事は辞め、心機一転することにした。しかし、新たな職場でも数週間後には息を吸うことが難しくなり、上がった息を整えるためにトイレに駆け込むようになった。ノートパソコンを開いたまま、その職場から逃げ出した。
明らかにフルタイムの仕事には耐えられない状態だったので、非常勤で教えたり、単発のバイトをしたりして生活費を稼ぎ、疲弊して帰宅するという日々を送ることになった。テレビが打ちのめされた気持ちからの逃避手段となった。リアリティ番組を何時間見続けても、感情をかき乱されることがないという安心感があった。外出しようものなら、不安に襲われないという保障はない。テレビ漬けの日々は、誰にも言えない恥ずかしい習慣から毎日を生き延びる術となっていった。
このままでは、状態がさらに悪化することは見えていた。すでに、家を出ようとすると頭の中に不安がドスンと落ちてくるようになってしまっていた。耳に入ってくる音はすべて不快なほど大きく感じるし、世界が進むスピードが速すぎてまったくついていけない。「バチェラー」や「バチェロレッテ」を見過ぎて感覚が麻痺していて、ローズセレモニーやグループデートの世界以外では機能することができなくなっていた。
もしこのままの生活を続けていたら、人生がますます崩壊してしまう。授業に現れず、家にこもってテレビを見続け、家主から滞納している家賃を催促される未来が想像できた。手遅れになる前に人生のコントロールを取り戻そうと、30日間の「脱テレビ生活」を送ると決めた。
ルールは簡単。30日間、テレビを見ないこと。
生活が改善されるかを見るのに、1カ月はちょうどいい長さに思えた。1つ習慣を変えれば、 その他にも変化が起きるかもしれないという期待もあった。食事を楽しめるようになりたかった。ぐっすり眠れるようになりたかった。生活を改善したかった。願わくは、なぜ常に追い詰められているように感じるのかその原因を突き止めたかった。
脱テレビ生活を始めてすぐは大変だった。初日は、1人で黙々と夕食のスパゲティを食べた。聞こえてくるのは冷蔵庫のブーンという音と、家の外を行き交う車の音だけで、惨めな食事時間だった。テレビ禁止なので、午後7時にはベッドに入った。
最初の1週間は日記に惨めな気持ちを書きつづった。毎週見ていた番組の最新回を見逃した。必然的に読書によりどころを求めることになった。もともと本を読む方ではあったが、8シーズンやそれ以上続くテレビ番組を見る時間を確保するため、本は読まなくなっていた。
少し戸惑いながらも再び本を手にしてみると、すぐに小説に楽しさと慰みを見出した。面白くないと思ってしまいこんだ本を引っ張り出してきた。
夜や週末が来るたびに自分の思考に向き合わねばならず、非常につらかった。30日間のテレビなし生活を最後まで続けるには、テレビを見る習慣の代わり(可能であればより健康的な習慣)を見つける必要があった。
そこで新たに始めたのが1日1万歩歩くことだ。こちらも最初はただ惨めなだけだった。
「歩くのは退屈だし、なかなか1万歩まで届かない」と、ずらりと並んだ同じ見た目の家々の前を歩きながら考えていた。ジョギングするでもなく、走るでもなく、ジムに行くでもなく、近所を歩いて回ることで精一杯。それでも、最終的には犬の散歩をする人や新年の誓いを守ろうと頑張っている人たちが集う都心のハイキングコースで歩くようになった。
歩くモチベーションを保つのには苦労した。母に手を貸してもらった。歩きながら電話をし、お金の悩みから仕事の不安まで溜まったうっぷん晴らしに付き合ってもらった。見かねた母から「脱テレビ」をいったん辞めてみてはと提案されたこともある。
「それはダメ。やらなきゃダメなの」
電話口の母に向かって大声を張り上げた。変わると決めたのだ。それでもやはり毎日歩くことは大変で、ランニングシューズを履きながら母にメールを送ることもあった。そのたびに母はハートの絵文字を返してくれた。
テレビなしでの生活が終わりに差しかかる頃には、テレビは私なりの寂しさへの対処だったのだという大きな気づきがあった。リアリティ番組の出演者が言い争う声なしでは、ひとりぼっちの寂しさに耐えられなかったのだ。テレビで気を紛らせているうちは、自分の人生がちっぽけなものになってしまったなどと考えずに済むから。
シーンとした家で、誰とも連絡を取らずに過ごすのは精神的に消耗する。大切な人たちに傷ついている姿や不安や落ち込みで震えている姿を見せたくなくて、一人家にこもるようになっていた。メンタルヘルスで悩んでいるのは自分のせいだと思っていたし、私のつらさがまわりの人に伝播するかもしれないと心配し、誰にも頼らず立ち直ろうと頑張っていた。
テレビを優先させるがあまり、友だちをほとんど失った。夕食やイベントに誘われるたびに、行けない理由をでっちあげてテレビを見て過ごしていた。そのうち、誘われなくなった。
テレビなしの生活はそんな私を変え、誘われたら断らずに出かけるようになった。会話で気まずさを感じることもあったけれど…。「こんにちは、ジュリーです。散々な人生を送っています」という名札を付けているような気分になることもあった。それでも何とか乗り越えた。気心の知れた友人が週末一緒に歩くようになった。読んだ本を教え合っていると、テレビよりも人と交流する方が楽しいと思うようになった。
たまに大好きな占星術師のYouTube番組を1〜2時間見てしまうこともある。ソーシャルメディアをスクロールして午前中が過ぎていく日もたまにある。動画を生活から完全に切り離すことはまだできないが、配信サービスは遠ざけている。
30日目を迎えた。本を6冊読み、短編の物語を書き上げた。体重も500グラム落ちた。今よりも収入がいい仕事に応募したほか、マルチビタミンの摂取を始めた。定期的にパンツにアイロンをかけるようにもなった。友人からは肌の調子が良くなったと言われた。

テレビを見続ける「ビンジ・ウォッチング」とは完全にサヨナラできたと自信をもっていた。しかし、37日目に「バチェラー」を複数回見てしまった。ただ、画面を見ながらそれまでとは違う感覚になった。のめりこまなくなったのだ。お馴染みのテーマに飽きを感じた。リアリティ番組よりも現実の生活を楽しもうと努力していることの表れだった。
Hulu、Netflix、Apple TVが恋しくなることもある。春休みに1週間だけテレビなし生活の間に見逃した番組を一気見する計画だが、それ以外はまたテレビを遠ざけた暮らしを続けるつもりだ。ずっと消費することで寂しさを覆おうとしてきた。でもそれは寂しさを増大させるだけだった。
今は散歩道で知った顔を見つけるのが楽しみだ。シラサギが川魚を食べる様子を眺めるのも楽しい。
さらに1カ月が過ぎ、気分は向上した。寂しくてテレビに救いを求めた頃のことを優しい気持ちで振り返ることができる。テレビは安全のように思えたが、結果的に感覚を麻痺させただけだった。1万歩歩くことで、私は外の世界でもやっていけるという自信につながった。今ではずっと家の中にいると体を動かしたくなるようになった。脳も元気を取り戻したようで、また創作物の執筆を始めた。
最近耳にしたことに、「私たちは消費するか、創造するかのどちらかだ」という言葉がある。私は創造する側の人間でいたい。テレビ番組の脚本づくりを指導している人に会いに行き、いつの日か番組づくりに貢献するという夢の実現をめざしてみようと思う。
ハフポストUS版の記事を翻訳しました。