「冗談でしょ?」17年前に付き合った相手とよりを戻す→2度目の別れの理由を聞いて衝撃を受けた理由

交際を始めて3カ月が経った頃、一緒にいる未来が見えないと別れを切り出された。それから17年後…。

「スペイン革のブーツ」というボブ・ディランの曲に激しく惹かれた。愛車のフォルクスワーゲンでヘビロテしていた。

愛とその終わりについて描いた曲で、車内で繰り返し歌った。愛が盛り上がり、そして冷めていく。そのどちらの情景も気に入っていた。30歳にしながら、愛の悲しみを感じていたからだろう。曲の歌詞を噛み締め、どれほど恋愛を切望しているか改めて気づかされた。歌を歌う相手が欲しいと思った。

オンラインデートサービスを試してみることにした。私のお気に入りの曲名をプロフィールに掲げた人に目が止まった。「Owen1170」という名前の人物は、私が取り憑かれるほど大好きな曲を挙げていたので、すでにこの人に自分のことを知ってもらえているような気持ちになった。

マッチングアプリ初心者の私だったが、Owen1170は素敵に見えた。プロフィール写真には、目を半分閉じたブロンド髪の男性が長い指でギターをかき鳴らしている姿が写っていた。趣味は読書とライブ鑑賞。ノートルダム大学でアイスホッケーをし、大学院も出ている。結婚歴はなく子どももいないが、結婚して子どもが欲しいという点が私と共通していた。

何度かメールのやり取りをしたところで、Owen1170から電話がかかってきた。低く、メロディーを奏でるような声で、本当の名前はOwenではなく、Johnだと打ち明けられた。Owenという名前が好きで、流行ることを願っているようだった。どちらの名前で呼んでもいいと言われたので、Johnと呼ぶことにした。

お互いの家の中間地点で会うことになった。Johnはミネソタ州最大の都市ミネアポリスの中心部に住んでいた。私の家は郊外にあり、間にある映画館で待ち合わせした。

この数カ月後にJohnと出会うことになる筆者=2021年
Photo Courtesy Mary Christine Kane
この数カ月後にJohnと出会うことになる筆者=2021年

初対面のJohnは想像通り素敵だった。ウエスタンブーツとシャツを合わせたファッションは都会のカウボーイのようだった。その日の別れ際、Johnが2回目のデートに誘ってくれた。私は帰宅すると、一緒に見た映画のチケットを日記帳に貼った。

私たちの関係は「猫とネズミ」だった。私が猫で、Johnがネズミ。すごく楽しいデートをしたかと思いきや、Johnからの音信が途切れるということがたびたびあった。理由は決まって「仕事が忙しかった」。会社を経営していたため、午前1時〜2時までオフィスで過ごすこともあったようだ。「たぶん私よりも仕事の方が好きなのかもしれない」。そう考えていた。

交際を始めて3カ月が経った頃、一緒にいる未来が見えないと別れを切り出された。大きな驚きはなかった。Johnの言い分は、私がキャンプを好きなところと2人で過ごすために郊外まで運転してこないといけないことが引っかかるというものだった。「自分にはもっと都会のギャルの方が合うと思う」。そう口にするJohnに対し、「その『ギャル』という言葉、まったく都会っぽくないけどね」と言い返した。

私にとってJohnは運命を感じた相手だったので、Johnの言い分を聞いてもなかなか気持ちに折り合いをつけられなかった。同じ曲を好きだったじゃない?拒絶と悲しみを感じながらも別れを受け入れようとする時にも、繰り返しこの曲が流れていた。

サヨナラから1週間後、運転中にJohnを見かけた。クラクションを鳴らし、手を振った。アドレナリンが出て、体が震えた。さらに数週間後、また同じ道でJohnを見かけた。ミネアポリス〜セント・ポールのエリアの人口は370万人超。近隣地域に住んでいたり、同じ集団の中で過ごしたりしていれば、時折出くわすことはもちろんある。でも、私たちはたまたま出くわすというよりは、体内にお互いを引きつけ合う磁石が内蔵されているようだった。

街中や住宅街を歩いている時にお互いに気づくこともあった。立ち話をすることもあった。拒絶のチクリとした痛みが和らぎ、偶然に会うたびに気持ちは楽になっていった。偶然が起きるまでの期間は、数カ月ということもあれば、数年空くこともあった。

ある時はフレンチレストランで偶然一緒になった。耐え難いほど退屈なデートから抜け出した私にJohnは同情してくれた。また別の時には、銃を持った人物がいるという噂を受けてミネアポリス中心部にあるビルが閉鎖されたことがあった。何事かと外に出てみると、記者や警察、消防の人たち混じってJohnの姿があった。

この頃にはJohnへの執着も消えていた。どんな人間か知れば知るほど、恋人の対象としては相応しくないと思うようになっていた。それでもなお、不思議だった。私だけでなく、友人たちも同様に不思議がっていた。なぜJohnと私はこんなにも偶然に出くわすのか。やはり2人は一緒になる運命なのではないか。

ある冬の夜、カフェで窓際の席に座っていると、Johnが通りかかった。白いストライプ柄の青色のニット帽と、背中を丸めながらも弾むように歩く「冬の歩き方」ですぐにJohnだとわかった。私の席にやってきたものの、緊張した様子ですぐに去っていった。次の瞬間、携帯電話が震えた。「結婚したんだ。元カノとつるめなくて。でも会えてうれしかった」というメッセージが表示された。

2人の未来に続く扉がバタンと閉じる音がして、心がえぐられた。ずっと持ち続けてきた「お互いに運命の人だ」という考えは捨て去らねばならなかった。かつて私を捨てた相手が結婚し、一方で私はまだシングルのままという現実に寂しさが増すようだった。

次にJohnを見かけたのは4年後。私は婚約者と一緒に買った寝室が4つもある大きな家に一人で住んでいた。相手の2人の子どもと共に住んでいたが、「ぴったりはまることのないパズルだった」という理由を挙げ、3人は出て行った。がらんとした家に一人、ほとんどの時間を猫と地下室で過ごし、ソファに座ってNetflixばかり見ていた。

ある日の仕事終わり、誰もいない家に帰るべくバスに乗ったところ、8列目にJohnが座っていた。お互いに「そこにいたんだ」という具合にニコッと微笑み合った。

Johnの隣に座り、婚約者と別れたことや一人には大きすぎる家のこと、ネトフリについて話した。Johnから離婚したと打ち明けられ、まったく予期していなかったことを告げられた。結婚生活を送りながらも、逃げ出したのは私の方だったのではないかと考えていたのというのだ。2人の未来につながる扉が再びゆっくりと開いたような気がした。

Johnからよりを戻したいと言われた。うれしくて、気持ちが昂った。ただ、人生がごたついていて、誰かと付き合う気分ではなかった。その気になった時にはまた扉が閉じてしまうだろうか。広く暗い家の中で一人で過ごしていると、Johnからメールが届いた。USの「With or Without You」という曲を歌い、録音して送ってくれた。ボブ・ディランの「スペイン革のブーツ」と同様に、このU2の曲も愛を待つ人のことを歌ったものだった。Johnが猫になり、私がネズミになった。

Johnの美しい歌声とシンプルなギターの音色が暗い家の中に広がり、Johnの思いを感じ、胸に澱のようにたまっていた悲しみが少し消えた。泣きながら眠りについた。

Johnと偶然出くわすたび、いつもこれが最後かもしれないと思った。だが、まだ終わりではななかった。

住宅街で友人2人と別れたところで、Johnが道路を渡ってこちらに向かって歩いてきた。夕食を食べに行くところだったようで、一緒に食べることにした。

屋外のレストランに座った私たちの間に、6月の柔らかくて心地よい風が吹き抜け、幸せを感じた。ここに来るまでにお互いの人生について多く見てきた。食事の際、Johnは目がくしゃっとなるほど一口が大きいこと。値段やカロリーを気にすることなく、食べたいものを注文する。聞き上手だが、あまりよく覚えていない。何を聞いても真剣に受け取り、精一杯答えてくれる。いまだにカウボーイブーツとウエスタンスタイルのシャツを着ている。

初めて映画館で会ってから17年の年月が過ぎ、Johnからデートに誘われた。OKした。

流行りのレストランでディナーをし、テーブルサッカーをしていちゃついた。私の家に戻り、昔と同じようにJohnがギターをつま弾いてくれた。昔のようにソファでいちゃつき、ぎゅっと抱きしめてくれた。私のことを心から思ってくれている人に抱きしめられていると感じた。Johnは泊まらずに帰っていった。

翌日、Johnからの連絡はなかった。その次の日も。こちらからかけると、Johnは謝ってきた。「楽しかった。仕事で忙しかったんだ」。

本当の理由を尋ねると、Johnから衝撃の答えが帰ってきた。「自宅に戻りながら、やっぱり郊外にいることに居心地の悪さを感じていることに気づいた。もっと都会の人と付き合うべきだと思ったんだ」。

冗談でしょ?17年前とほぼ一言一句同じことをのたまうではないか。

「スペイン革のブーツ」の中で、ディランは「用心して」と3回も歌っているのに、長い指でギターを奏でながら心地よい声で歌う男性に恋をした時にはまったく気づかなかった。「用心して」。その恋愛がどんな形であれ、恋愛に対するアドバイスとしてぴったりな言葉ではないか。

Johnとの最後のデートからまもなく、私は別の人と恋に落ちた。同じ生活圏内で暮らしてきたが、それまで出会わなかった人だ。どうやら私の「電子」はこの男性に向くよう調整し直されたようだ。Johnのことはもう6年も見かけていない。

Johnと別れ、新しいパートナーと笑顔を見せる筆者(左)=2022年、アメリカ・ウィスコンシン州
Photo Courtesy Mary Christine Kane
Johnと別れ、新しいパートナーと笑顔を見せる筆者(左)=2022年、アメリカ・ウィスコンシン州

Johnとのことを振り返って考えると、私たちは恋愛という結びつきではなく、別の理由でお互いを必要としていたのだと思う。Johnを見かけるたびに気持ちは上がり、しかも人生の中でも特に落ち込んでいるタイミングに出くわすことが多かった。Johnにとってもそうだったのではないかと思う。

恋愛の対象にはならないとお互いに確信したため、Johnに会うことはもうない気がして寂しさを感じる。世界は驚きに満ちているから、絶対はないだろうけれど。高齢者向けの介護付き住宅でまた偶然出くわすかもしれない。そしたらうれしいだろうな。その時は2人の思い出のあの曲を一緒に聞こうと思う。

ハフポストUS版の記事を翻訳しました。