
「自分が生まれた国だって嫌いになることもある」──。
この数年、韓国社会に絶望感を抱き、移民として海外移住する若い世代が増えている。激しい競争社会で、いくら働いても明るい未来は描けず、若者が被害に遭う事件事故も相次いでいる。
映画「ケナは韓国が嫌いで」(3月7日より日本公開)は、そんな社会から抜け出し、移民としてニュージーランドで暮らし始める20代の女性、ケナが主人公。監督は、インディペンデント映画「ひと夏のファンタジア」などで知られるチャン・ゴンジェさんだ。
なぜ若者たち、中でも女性が海外へと「脱出」するのか。「ここでは幸せになれない」というケナの不安は、日本でも共感を誘うだろう。
「移動は自分の可能性を探る行為」だと話すチャン・ゴンジェ監督に、インタビューで詳しく聞いた。
「ヘル朝鮮」や「スプーン階級論」が流行語に
原作の小説「韓国が嫌いで」(チャン・ガンミョンさん著)が韓国で発売されたのは2015年。当時は、「地獄のような朝鮮」という意味の「ヘル朝鮮」や、日本の「親ガチャ」と同じように、親の経済力や地位によって階級が決まり、それを自力で変えることは難しいといった考えを表す「スプーン階級論」などの言葉が流行していた。
若者たちがこうした閉塞感を抱くようになった理由の一つとして、修学旅行中の高校生ら304人が犠牲になった2014年のセウォル号沈没事故の影響があるとも指摘されている。
日本で翻訳版が2020年に発行されると、日本とも重なる社会状況や、リアルな心情描写が話題を呼んだ。
映画の主人公ケナ(コ・アソンさん)は、28歳の会社員。仁川からソウル都心の江南まで片道2時間かけて満員電車で押し潰されながら通勤している。家族仲は良いが、古い団地住まい。冬の寒さで家の中でも布団に包まって過ごし、単調な仕事や、上層部のご機嫌とりに熱心な男性上司にもうんざりしている。
新聞記者を目指す恋人がいるが、実家の階級の違いを目の当たりにする上に、「就職したら僕が君を支える」と的外れなプロポーズめいたことまで言われる。
ケナは一見、安定した生活を送っているようにも見え、何か決定的な出来事があったわけではない。それでも、「韓国では生きていけない」とニュージーランドへの移住を決意する。
自身を「競争力に欠けている」と言うケナ。1977年生まれのチャン・ゴンジェ監督も、ケナとは世代も性別も違うが、常に何かに追われ続けているような切迫感に、居心地の悪さを感じてきたという。
「韓国は多様性への許容力が弱い国なのだと思います。ジェンダーやセクシュアリティ、人種をはじめ、地域、学歴、経済状況などでの格差や差別、排除、嫌悪が蔓延している。それをおおっぴらに行うことは減りましたが、より巧みに、隠密にやるということは今も行われています」

実際に、ケナのように韓国から「脱出」する若者は少なくない。背景には、苛烈な学歴社会や競争社会がある。
「インソウル」という言葉があるように、韓国では「名門大学や大企業が集まるソウルにいてこそ成功できる」といった考えが根強い。家族や社会からのプレッシャーもあり、若者たちはソウルの大学を目指し、大企業に入るための就活競争に参加する。
劇中でケナが指摘している通り、韓国の自殺率はOECD加盟国の中でワースト1位。こうした社会から逃れるため、国外への移民を望む若者が増えているというのだ。
「恋愛も難しい」のはなぜか
競争社会に疑問を投げかける原作が出版され、すぐに読んだチャン・ゴンジェ監督は「私も韓国が好きではないのだと共感した」という。
映画化にあたってはケナと同じ20代の女性を中心に取材を重ねた。その中には韓国社会では「恋愛も難しい」と考えている人たちもいた。
「取材で一番感じたのは、韓国は女性が生きていくには疲れる国なのだということです。この数年で変化はありますが、韓国では今でも、恋愛をしたら結婚すべき、結婚したら子どもを生むべき、2人目を生むべき、家を持つべき、子どもも立派な職業に就くべき…といった社会規範があります。入試や就活と同じように、恋愛にもレールが敷かれていて息苦しいということだと思います」

ケナが大学から7年以上付き合っている恋人のジミョン(キム・ウギョムさん)は、同い年だが、兵役に就いていたため、ケナのほうが先に就職した。ニュージーランドへの移住を決めたケナを、「韓国も悪くない国だよ。一人当たりのGDPは世界の20位以内だ」と引き止めようとする。
「ケナの移住の決断を理解できないジミョンは、保守的な20代の青年の典型的なモデルです。一生懸命がんばればどうにかなるのだと、伝統的な価値を守ろうとします。
しかしケナは違います。この社会は公平ではない、変えるべきだと思っていて、変わらないのであれば自分自身が去るのが正しいと、別の場所、別のシステムへと向かっていく。その違いが2人を別れさせたのだと思います。
ケナは、韓国でのジミョンとの『未来を約束する』恋愛の仕方から、ニュージーランドではその時々に好きな人に忠実であるという恋愛の仕方に変わっていきます。恋愛に限らず、ケナはニュージーランドについたばかりの時は既存の価値観に縛られていますが、徐々に変化していく過程が大事だと思いました」
社会を支配する「最後までやり抜けば必ず叶う」というストーリー
今いる場所から離れ、恋人や家族、仕事も手放すケナ。ニュージーランドへの脱出、韓国への一時帰国、新たな旅と、移動を繰り返すことで、自分の考えを見つめ直す。
その空間的な移動とは対照的に、韓国の若者たちの多くは、「スプーン階級論」の流行が象徴するように、「個人がいくら努力しても、社会階級を移動するのは難しい」と感じている。2021年の統計庁の調査では、「努力すれば個人の社会的・経済的地位が上がるか」と尋ねたところ、その可能性が低いと答えた成人は6割を超え、悲観的な見方が強かった。

チャン・ゴンジェ監督は、この階層間移動の難しさが、韓国を去る人が多いことと関連があると考えている。
「階層間の移動は、社会が安定するほど容易ではなくなります。どの階層であれ、本来はコミュニティや社会が自分たちの安全や暮らしを守ってくれるものだと思いますが、それができなくなっているのが今の韓国です。個人化が進み、何か問題が発生すると、自分だけで対処しなければならない、社会やコミュニティは守ってくれないといった不安や恐れが大きくなっています。
移動というのは新しい場所や可能性を探る行為です。ケナや若者たちが移動しているのは、場所を変えることで、自分を守ってくれる場所を探そうとしているからだと思います。
実際にケナのように行動できる人は一部で、変われないという人もいます。韓国では、『決まった場所で一つのことを最後まで諦めることなくやり抜けば必ず叶う』というストーリーが支配的です。しかし、私はそのように生きなくてもいいと思っています」

女性が声を上げた弾劾賛成デモ
「ヘル朝鮮」が流行語となった2015年からちょうど10年が経つ。競争社会や若者の閉塞感は変わったのだろうか。
この間、韓国では社会を揺るがす大きな事件が相次いだ。
2016年の江南駅トイレ殺人事件や、デジタル性犯罪「n番部屋事件」などでは若い女性が標的となった。150人以上の犠牲者が出た2022年の梨泰院ハロウィン雑踏事故は、若者が多く亡くなり、安全対策の不備があったことからも、セウォル号事故を彷彿とさせた。
「セウォル号事故で10代だった人々は今20代で、ケナもこの世代です。梨泰院事故の犠牲者に多かった世代でもあり、再び同じ世代が惨事に巻き込まれたことで大きなショックが広がりました。2015年からの10年で、安全に対して何も感じず、人命が軽視されることが繰り返され、個人的にはさらにひどくなっているとも感じています」
それでも、チャン・ゴンジェ監督が社会が前進したと感じていることの一つはフェミニズム運動の盛り上がりだという。2024年12月に非常戒厳令を布告した尹錫悦大統領の退陣を求めるデモでは、大勢の女性たちが街に繰り出し声を上げた。
「弾劾賛成デモには若い女性が多く参加しました。MeTooや(朴槿恵元大統領を罷免に追い込んだ)ろうそくデモなどの運動を通じて社会が変わったという経験があったからこそだと思います。
今、変化に対する欲求はいつにも増して大きくなっています。私自身は、若い政治家がもっと増えてほしいと思っています。大人の世代は韓国社会をそこまで生きづらいと思っておらず、今の時代に差別なんてないんじゃない?とさえ考えている。若者、その中でもなぜ女性が韓国を去ろうとしているのか、もう一度社会全体で考えるべきだと思います」

(取材・文=若田悠希/ハフポスト)
◾️作品情報
『ケナは韓国が嫌いで』
3⽉7⽇(⾦)ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、シネ・リーブル池袋ほか全国公開
配給:アニモプロデュース
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