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2023年から続くイスラエルとハマスによるガザ地域における紛争は、2025年に入り停戦合意がなされ、一時的に落ち着きをみせているように見える。だが、恒久的な停戦に至るかは不透明な状態であり、いつ戦火が再び燃え上がるか予断を許さない状況が続いている。
そんな中で、トランプ米国大統領がパレスチナ自治区のガザをアメリカが所有し、ガザ住民を別の場所へと移住させると提案したことが波紋を広げた。当事者性を欠く一方的な提案であり、国際法違反の可能性も指摘されている。
なぜ、移住を強制させられ、住み慣れた故郷の土地を明け渡さねばならないのか。この異様な提案をしたトランプ大統領は、家と土地を一方的に奪われるということの現実味を想像できていないのだろう。
まさに、土地を奪われ続けることのリアルを克明に記録した映画『ノー・アザー・ランド 故郷は他にない』が現在公開中だ。2025年のアカデミー賞長編ドキュメンタリー部門にもノミネートされているこの作品は、ヨルダン川西岸のパレスチナ人居住区「マサーフェル・ヤッタ」出身のパレスチナ人とイスラエル人ジャーナリストが、イスラエルの入植者たちによる理不尽な占領の実態を捉えている。
この作品に映されたものはまぎれもない現実で、まさにこの場所で今も土地の簒奪(さんだつ)が続いている。本作は、巨大な力による支配と収奪がいかに理不尽であるかを世界に伝える貴重な記録となっており、いま公開されることにひときわ大きな意味があるものだ。
イスラエル人とパレスチナ人、友情は成立するか
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本作の主人公は、監督でもある2人の青年。マサーフェル・ヤッタで生まれ育ったパレスチナ人の青年バーセル・アドラーさんは、イスラエルから次々にやってくる軍と入植者たちが人々の家を破壊していく様子を、幼い頃からカメラに記録し世界に発信し続けていた。
そんなバーセルさんの活動にシンパシーを感じたイスラエル人ジャーナリストのユヴァル・アブラハームさんが、バーセルさんの元を訪れる。2人は協力してこの地で起きている理不尽な現実を世界に発信していく。
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問答無用で家から退去させられ、家財道具が外に放り出され、家が取り壊されていく様子が生々しく記録されている。
家を失った人々は、洞窟などでの生活を余儀なくされ、暑さも寒さもしのぐ術を失う。生活のインフラである井戸をセメントで埋められ、子どもたちの通う学校すら容赦なく破壊されていく。目の前にいるのは、同じ人間であるはずなのに一切の容赦がない。
非道の連続が映される中、主人公2人の立場を超えた友情がかすかな希望となる。イスラエルがパレスチナに対して蛮行を働いている。それだけ見れば、この紛争を止める手段はなく、憎しみあうしかないように思えるが、この2人の友情が成立している事実が、今起きている紛争を止めるためのヒントとなる。
監督たちは、本作の核心は「イスラエル人とパレスチナ人が、この地で、抑圧する側とされる側ではなく、本当の平等の中で生きる道を問いかけること」だと語る(公式プレスリリースより)。作中でも2人は対話し続ける。
バーセルさんは大学を出たのに建設業の職しかないと嘆く。ユヴァルさんとの立場や置かれた環境の違いが浮き彫りになるが、そうした違いを乗り越え、人は分かり合えることを示唆している。監督の2人は非道を告発するだけでなく、解決の道筋を身をもって示しているのだ。
土地の簒奪は現在進行形で続いている
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本作を見ると、「土地を奪われる」ことの意味がよくわかる。土地を失うというのは、ただ単に引っ越せば問題解決という、簡単な話では全くない。実態は命以外は何もかも失うということに等しい。気軽に移住すればいいなどと言えるはずがないのだ。この地でイスラエルが行っているのは、人を追い出すのではなく、人を住めなくすることであり、人権の蹂躙(じゅうりん)だ。
本作はガザではなく、ヨルダン川西岸における出来事を記録しているが、巨大な武力を背景にした公権力が故郷を蹂躙しようとしているという点において、ガザでも同じことが起きているといえる。ガザの方がより大規模な武力行使を伴う分、命の危険も大きく犠牲者も多い。人々は住む家を破壊されテント生活を余儀なくされており、寒さで赤ん坊が死んでいっている。
ガザでも、マサーフェル・ヤッタでも、本作で描かれた簒奪はまだ終わっていないのだ。
バーセルさんは今もSNSを通じて、故郷が蹂躙されていく様を世界に訴え続けている。本作のアカデミー賞ノミネートが発表された2日後にもマサーフェル・ヤッタは攻撃にさらされている。
本作が日本で公開された2月21日の数日前にも、バーセルさんは、重機が家屋をつぶす様子を配信していた。
筆者は、映画宣伝部からバーセルさんとユヴァルさんの2人の取材を打診されたが、今年に入って目まぐるしく変化していくイスラエル・パレスチナ情勢の影響を受け、宣伝部も連絡を取り切れずに取材が実現していない。
トランプ政権下のアメリカでどう評価されるか
トランプ政権下となったアメリカでも本作は公開されることとなったが、配給会社はつかず、自主配給として公開したようだ。当初は1館のみでの上映だったが満席続きとなり、100館以上にまで拡大されていくという。
前述した通り、本作はアカデミー賞長編ドキュメンタリー部門にノミネートされており、高い評価を受けている。しかし、明確なイスラエル政府批判の姿勢を持つ本作が受賞できるかどうかは不透明だ。
2024年のベルリン国際映画祭では観客賞と最優秀ドキュメンタリー賞を受賞したが、政治家も巻き込んだ論争に発展し、監督たちが殺害予告を受ける事態となった。
仮に本作がアカデミー賞を受賞した場合、トランプ政権下のアメリカでも波紋を呼ぶ可能性は高いだろう。実際、アカデミー賞の前哨戦となる米国内の映画賞では苦戦を強いられている。
多くの人にとって、故郷はなにものにも代えがたいものだ。それが圧倒的な理不尽で奪われている現実がある。しかも、大国のリーダーにそのリアルが全く伝わっていない。アカデミー賞がすべての政治性を背負うことはそもそも不可能だろうが、より広く、世界にこの実情を伝える必要がある。
アカデミー賞にはこの映画を広める力があることは確かだ。国際社会が暴力の道を追認するのかどうか、岐路に立っている今、この映画の持つ意義は大きい。
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