環境省は2月18日、東京電力福島第一原発事故後の除染で出た「除染土」などを保管する中間貯蔵施設(福島県双葉町、大熊町)を報道陣に公開した。
東京都渋谷区とほぼ同じ面積の中間貯蔵施設には、東京ドーム約11杯分(約1400万立方メートル)の除染土が保管されており、2045年3月までに県外で最終処分されることが法律に明記されている。
この「責務」を前提に、地元も先祖代々受け継いできた家や土地を一時的に手放すという重い決断をした。国も「果たされなければいけない大切な約束」としている。
一方、全国的な理解醸成は進んでいない。環境省の調査では、除染土の県外最終処分について「知っていた」と答えた人は、福島県外で約2割にとどまった。最終処分量の低減に向けた再生利用の実証事業も進んでいない。
現場を見ること、知ることは、福島の置かれた状況を理解することにつながる。中間貯蔵施設はどういうところなのか。全国の人に「自分のこと」として考えてもらうために必要なことは何か。現場から考える。

大熊町の「特定帰還居住区域」へ
報道陣は18日午前9時過ぎ、福島県郡山市のJR郡山駅前に集合し、環境省が用意したバスに乗り込んだ。国道288号などを通って東に進むと、約1時間40分後に大熊町大川原地区の交流施設「linkる大熊」に到着した。
同地区の避難指示が解除されたのは2019年。その2年後にlinkる大熊が“復興の拠点”としてオープンした。図書コーナーやキッズルーム、温浴施設、食堂などが整備されており、近くには町役場や災害公営住宅、幼小中一貫教育の「学び舎ゆめの森」(2023年始業)もある。
「学び舎ゆめの森」がある場所は以前、「南平4」という仮置き場だった。除染土などが入った黒い袋(フレコンバッグ)が置かれていたが、それらが中間貯蔵施設に搬入されたため、地元に学び舎を建てることができた。
バスはそんな街の風景を映しながら進み、同町下野上地区の「特定帰還居住区域」に到着した。将来にわたって居住を制限するとされてきた「帰還困難区域」内にあるエリアの一つで、2020年代の避難指示解除を目指して除染が進んでいる。
この日は凍てつく寒さの中、重機に乗った作業員が器用に表面の土を取り除いていた。環境省によると、除染が行われているのはもともと畑だった場所で、表土を10センチほどはぎ取る作業を行っているという。
中間貯蔵施設への除染土の輸送は、帰還困難区域を除く地域で2021年度末までに概ね完了した。現在は特定帰還居住区域などで発生した除染土が輸送されている。
中間貯蔵施設を歩く
昼食を挟んだ後、一行はいよいよ中間貯蔵施設のゲート内に入った。約1600ヘクタールという広大な敷地をバスで進んでいくと、約330人の児童が通っていた旧熊町小学校が見えた。
大熊町によると、熊町小学校は震災当時のまま時間が経過し、施設の老朽化が際立ってきたため、2024年2月に期間限定で開放された。当時の在校生や教職員らが訪れ、残された私物を持ち出したり、友人との再会を果たしたりした。
「今は中間貯蔵施設となっているが、ここには紛れもなく人の生活の営みがあった」。バスに揺られながらそんなことを考えていると、まもなくして「大熊3工区」と呼ばれる土壌貯蔵施設に到着した。
ヘルメットとマスク、手袋を着用してバスを降り、芝生の上を歩いていく。中間貯蔵総括課の五味俊太郎課長から、「歩いている場所の下に除染土が貯蔵されています」と説明があった。
除染土は遮水シートや土で覆い、ここでは15メートルの高さまで積み上げられている。未除染の森林から離れた中央付近の空間線量率は思ったよりも低く、測定機器に示された値は「毎時0.2マイクロシーベルト」程度だった。
公衆被ばくの線量限度「年間の追加被ばく線量1ミリシーベルト」を1時間あたりの放射線量に換算するなどして算出した値が「毎時0.23マイクロシーベルト」のため、それより低いということになる。

次に訪れたのは、中間貯蔵施設の本格工事が始まるまでの間、施設予定地内に除染土などが入ったフレコンバッグを一時的に保管していた「ストックヤード(保管場)」の跡地。
今は役目を終え、フレコンバッグの姿はないが、中間貯蔵施設の30年はこの地から始まった。その事実を刻むように、数センチほど高くなったアスファルトの上には丸い形をした跡がついていた。フレコンバッグの底の跡だという。
五味課長は、「第一原発が近いということもあり、除染をした後に保管場を作った。周囲の放射線量が高かったため、遮蔽土のうも置いた」と、当時を振り返った。
実際、空間線量率の推移を記録した環境省の資料を見ると、大熊東工業団地の一部ストックヤードでは搬入開始前の2015年2月3日、「1時間当たり20マイクロシーベルト」近くあった。
一方、搬入が始まった同年3月13日には「同5マイクロシーベルト」を下回るまで低減されていた。

最後に見学したのは、報道陣に初めて公開したという双葉町側の「廃棄物貯蔵施設」だ。公開された施設の敷地面積は約3.7ヘクタールで、鉄骨鉄筋コンクリート造の建物の中には2869個の「黄色い箱」が4段ずつ積み上げられていた(2025年1月末時点)。
黄色い箱は「鋼製角形容器」といい、仮設灰処理施設で発生した「灰」が封入されている。
仮設焼却施設では除染廃棄物、災害廃棄物、草木などの可燃物を燃やし、減容化するが、そこで発生した焼却灰はさらに減容するため、仮設灰処理施設で溶融処理をしている。
この灰が入った黄色い箱の前に立つと、空間線量率は「毎時21.7マイクロシーベルト」と比較的高い値を示した。ただ、箱から離れるにつれて線量も大幅に下がっていった。
放射線はどこまでも届きそうなイメージがあるが、①離れる②遮蔽する③近くにいる時間を短くすることで、外部被ばくを低減できる。施設周辺では空間線量率などを測る環境モニタリングも行われている。
見学後、報道陣はヘルメットやマスク、手袋、靴などのスクリーニング(汚染検査)を終え、バスに乗り込んだ。そして、中間貯蔵施設の出口に向かう途中、双葉町郡山地区にある「正八幡神社」の前を通った。
地域のシンボルだった神社は、帰還困難区域の中とは思えないほど綺麗な状態を保っている。鳥居も立派で、雑草もほとんど生えていない。そんな景色に見惚れていると、バスの中でアナウンスがあった。
「地元で大事にされてきた神社が正面にあります。平安時代が起源とされる歴史ある神社と聞いています。神社を将来に残すため、地元の方々が許可を得た上で訪れ、定期的に手入れをしています」
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県外の理解を醸成する「新たな一手」は
中間貯蔵施設から「linkる大熊」に戻った後の記者会見で、ハフポスト日本版は環境省に二つの質問をした。一つ目は、福島県外の理解についてだ。
環境省が2024年3月に発表したWEBアンケート結果によると、「除染土を2045年3月までに県外で最終処分すると法律で定められている」ことを「知っていた(「少し知っていた」も含む)」と答えた人は、県内で54.8%に上る一方、県外は24.6%にとどまった。
さらに、この傾向は2018年から横ばいで推移している。理解を醸成するためには「新たな一手」が必要ではないのか。
これについて、環境省環境再生・資源循環局の長田啓参事官は「県外の理解が得られていない状況については改善していかなければならない。認知度は時間が経つにつれて下がると聞いたこともあるが、なんとか横ばいなので上がるようにしていきたい」と語った。
都道府県東京事務所の所長らに中間貯蔵施設を見てもらう取り組みや、福島第一原発と中間貯蔵施設で復興の歩みを学ぶ「ホープツーリズム」を進めているとも語り、「現場を見た人の理解の深まりはほかの周知方法とは格段に違う効果がある」と述べた。
その上で、3月15日に大熊町のJR大野駅前にグランドオープンする「CREVAおおくま」に、同省の「中間貯蔵事業情報センター」が新設されることから、「電車で来た人にも中間貯蔵施設の情報に触れてもらえる」と期待を寄せた。
次に、偽・誤情報対策について尋ねた。福島第一原発の処理水の海洋放出の際は、特に外務省が安全性に関する発信をSNSで積極的に行っていた。環境省は除染土を巡る情報とどう向き合うのか。
長田参事官は、「今のところ具体的な対応を検討しているわけではないが、参考にする」と答えた。
また、福島県の内堀雅雄知事は2月18日の記者会見で、「除染土の県外最終処分は必ず実現されなければならない。期限まで残り20年しかないことから、政府として取り組みをさらに加速させてほしい」と言及した。
◇
原発事故後の除染作業で発生した除染土などは、福島県内各地の仮置き場に保管された後、2015年3月から双葉・大熊両町にある中間貯蔵施設(約1600ヘクタール)に運び込まれている。
その量は「東京ドーム約11杯分」(約1400万立方メートル)。これにより、仮置き場も約1370カ所から約110カ所に縮小し、福島全体の復興が進展した。
一方、重要なのは「中間貯蔵施設は決して『最終処分場』にはならないということが法律に明記されている」という点だ。
原発事故で避難を余儀なくされ、先祖代々受け継いできた土地や家屋を一時的に手放す決断をした人もいる。福島はすでに重すぎる負担を背負っていることから、国は2045年3月までに除染土を県外で最終処分すると約束している。
そのため、環境省は除染土の最終処分量を減らそうと、安全に処分できる除染土(放射性物質の濃度が1キロ当たり8000ベクレル以下)を道路の盛り土などの公共事業に再生利用する計画を立てている。
再生利用については、中間貯蔵施設内や飯舘村長泥地区で行われている実証事業を通じて安全性が確認されている。
国際原子力機関(IAEA)も2024年9月、除染土の再生利用や最終処分に関する取り組みはIAEAの安全基準に合致していると結論づけた最終報告書を公表している。