今開かれている通常国会で注目されているのが「選択的夫婦別姓」。
結婚後も夫婦が希望すれば、それぞれ結婚前の姓を名乗れる制度です。実は1996年に「法制審議会」(法務大臣の諮問機関)が導入するよう答申していましたが、国会での議論はこの30年進んできませんでした。しかし、自民・公明が少数与党となった今国会に立憲民主党が導入に向けた法案を提出する方針で、議論が活発化しています。
自民党の野田聖子・衆院議員は21年前、自らの流産の経験を赤裸々につづり、女性の国会議員として、結婚し、母になることの困難さを世に問うた『私は、産みたい』(新潮社)を出版。その本には、党内の反対派議員から「そんなこと(夫婦別姓制度の導入)をやっているから子どもができないんだ」となじられ、不妊治療をしていると言い出せなかった、などのエピソードも。
野田さんが「ライフワーク」と掲げる選択的夫婦別姓制度の導入が再び日の目を見る今、何が必要かを聞きました。

30年進まない議論、国会に「当事者」不在
――法制審議会(法務大臣の諮問機関)は1996年、民法を改正し選択的夫婦別姓を導入するよう答申しています。それから約30年。なぜ、議論が進まなかったのでしょうか?
実はこの問題は、賛否が分かれているから議論が進められないのではなく、国会議員にとって『関心がないから議論されてこなかった』というのが実態だと思います。というのも、結婚して名字を変える「当事者」の9割は女性。結婚を考えたとき、自分が名字を変える可能性があると想定している男性は少ない。一方、国会議員の9割は男性で、当事者ではないから関心がない。だから、議論しているふりはするけど先送りしてきた。そういうことも、自民党が議席を減らした原因の一つだろうと思います。
政治は、弱き者のためにあるというのが大前提で、その法律で生きづらいとか、自分を曲げなきゃいけないとか、そういう人たちがいるのであれば、声を聞いて変えていかなきゃいけない。
女性の約25%が「積極的に結婚したいと思わない理由」として「名字・姓が変わるのが嫌・面倒だから」というアンケートの結果もあります(令和3年度、内閣府調査)。日本は、結婚してから出産する人が多い国です。名字が変わることが結婚の障壁だというなら、夫婦別姓を認めることは少子化対策でもあり、人口減少という難題解決にとっても合理的な変更だと思います。
「旧姓の通称使用」拡大は応急措置
――自民党の中には、『日本の伝統的な家族観が崩れる』などとして、別姓を認めるのではなく旧姓の通称使用を拡大すればいいという意見も根強いですね。
基本的に、通称使用は日本だけで、国際的には通用しない。「夫婦同姓」は明治時代にできた比較的新しいルールで決して「日本の伝統」ではありません。明治から社会は大きく変わりました。多くの女性が通称使用で不都合を感じているというのは経団連からの報告にもあります。
私が女性活躍担当大臣だったとき、通称使用の範囲を大きくしたのは、あくまで「別姓」というゴールまで待てない、いますぐ通称で仕事したいという人のため。結果としてさまざまな場で使えるようにはなりましたが、制度化にふさわしいかというと違う。通称使用は、あくまでも一時的な「応急措置」という位置づけだったのに、いつの間にか、それが「悪用」されているのかなと感じます。
――今国会には、立憲民主党が導入を目指して法案を提出する方針ですが、自民党案として、通称使用でまとまる可能性もあるのでしょうか?
私は、1996年に法務省が準備した改正法案が一番まともだと思っています。
もし、通称使用が自民党案として出てきても、今の国会状況では通過できないのではないかと思います。
「党議拘束」に縛られないのは「どん底」経験から
――選択的夫婦別姓、そして共同親権の導入の際にも、野田さんは自民党の意見、「党議拘束」と異なる場合も自分の考えを貫くと表明されている。なぜそれができるのでしょうか?
共同親権について、党議拘束に従わず導入に反対した時は怒られましたけど、そんなことをしてきたから自民党もだんだん見放されてきたんじゃないかと思ってるんで。私はもう失うものもないし(笑)。
そう思うようになったターニングポイントは、2005年の「郵政選挙」(郵政民営化法案に反対する野田議員は自民党の公認を得られず、選挙区には「刺客」の候補が立てられた)ですよね。

それまで私は自民党の優等生だったし、アイドルだったし、『自民党のため』にがんばる人だった。ところが、小泉さん(小泉純一郎元総理)とたった一つの法律で対立したら、何もかも失うわけですよ。でも、それでも選挙に勝てた。崖っぷちの経験をしたことで、「自民党のため」ではなく、地元の有権者、国民のために私は政治をする、ということが確認できる大きい経験でした。
もう一つのターニングポイントは結婚と、子どもが生まれたこと。結婚すると「今後は仕事よりも夫を取るんだろう」などと言われ、「仕事ができなくなるのでは」と過小評価された。そして、障がいのある子を産んだことでさらに「税金泥棒」などと酷いことも言われた。女性が、結婚、出産を経て、だんだんと不利になっていくのを肌身で感じましたよ。
一方で、子どもが生まれたことで、母という仕事は重い、と学びました。大臣だった時でさえ、例えばインフルエンザになったら副大臣が代わりに仕事をするし、私の代わりはいくらでもいる。でも母親には「副ママ」なんていないわけです。毎日、大勢の人が、綱渡りの中で生きているんだということを知りました。
こういうことを知らなかったら、子どもは増えないな、と実感しました。だから、私の場合は、子どものおかげで世間が広がったし、教育、医療、福祉関係者ともつながり、法律を作ることもできた。自民党が好きではないという人ともつながって、そういう方の声が聞けたのも子どものおかげです。
ハラスメント問題、意思決定の場に多様性が必要
――今、フジテレビのガバナンスの問題が浮上しています。野田さんは総務大臣だった2018年にテレビ朝日の女性記者が財務省の事務次官からセクハラを受けたという被害を知ったとき、すぐにメディアで働く女性記者と懇談する機会を作り、実態を聞いた上で、省庁幹部へのセクハラ防止研修の義務化などの緊急対策をまとめましたね。今回の問題をどう見ていますか?
あの時、社内で被害に遭ったという通報があったなら、しっかり受け止めて、その人の立場に立って対応するというセクションを作りましょう、となったが、今回の問題では機能していなかったのかなと感じています。
――政治と同じく、メディアの意思決定の場にも女性が少ないことがこうした問題の根底にあると思いますか?
まさにアンバランスの問題で、10人の会議で10人が男性だったら、悪意はないにしても弊害はあると思う。政治もだけどメディアも変わっていかなくてはいけないと思いますね。

総裁選に出たわけ
――野田さんは20年以上、政治の場で少子化対策を訴えてきたが、2024年の出生数はついに70万人を割る可能性が出るなど、少子化は加速しています。「あのときこうしておけば」と思うタイミングやポイントはありますか?
私の思い、というより、データによると、日本で子どもの数が減り始めたのは約50年前。でも日本の経済が活性化する時期と重なっていて、当時の専門家たちの多くは、子どもの数が減ることと経済は関係ないとしていた。一番の問題は、経済でも法律でも、女性や子どもは見えない存在で、主役じゃなかったから、女性や子どもがどうすれば助かるかという政策も出てこなかった。
社会で、女性はもとより、子どもという存在を「見える化」しなきゃいけない。そのためには、日本では法律か役所(省庁)があるとガラッと空気が変わるので、20年前に『誰が未来を奪うのか 少子化と闘う』(講談社)という本にも書きましたが、少子化対策として「子ども省」の創設を提案しました。
そして2021年の総裁選、20人の推薦人を何とかかき集めて、初めて出たときに、ただ一点張りで訴えたのが「こどもまんなか庁」を作って「こどもまんなか」社会を作ろうということ。総裁選の方の結果は当然、全然でしたが、その一点だけを訴えて大きな問題にするために私は出たわけです。その結果、「こども家庭庁」ができた。こども家庭庁があることによって、子どものための予算も政策も議論の俎上に上がることが増えました。
――20年かけて、目的を達成した、ということですね。野田さんは「明治の価値観」からのアップデートを、と訴えていますが、今、変えなくてはならないことは何だと思いますか?
私は20年先ばっかり見ているって言われるのだけど、少子化対策も子ども政策も、課題解決のために、知識もデータもあって、こうやるとできる、というのは見えてきます。
今取り組んでいることの1つは、女性が「損をしないための」政策の実現。例えば、更年期障害というのは医療の中で軽い扱いを受けてきた問題でした。更年期に伴うホットフラッシュやうつ症状などに対して有効な治療法があることが医学的には既に判明していることなのに、男性に問題が見えないから重要な問題とならず、知らされてこなかった。
フェムテック(生理や更年期など女性の体の悩みをテクノロジーで解決すること)についても広げていきたいですね。生理も男性にとって決して無関係な問題ではありません。誰もが、お母さんから生まれてきているのですから。
もうひとつ大切にしたいのは、性教育をちゃんとやりましょう、ということ。性犯罪の規定が見直され「不同意性交等罪」などが新設されました。たとえ夫婦間でも同意のないセックスを強要したら処罰される可能性がある。男性側に知らない人も多いですし、まだまだ知識の普及が大切です。
――最後に、野田さんが言う「パラダイムシフト(それまでの考え方や価値観の劇的な変化)」を起こして社会を変えるためには、何が必要だと思いますか?
「失われた30年」、男性の知見は出尽くしていますよね。女性の力でできること、イノベーティブなことはいっぱいある。でも、自分たちがコンプレックスを抱えていたら、軽く見られていると思い込んでいたら、同じテーブルに着けない。女性には自分を過小評価せず、自己肯定してほしい。
何より皆さんが元気になってくれることが私の願いです。そして、増えてはきましたが、まだまだ女性議員が少なすぎる。子どもがいる人が当選できる時代になりつつあるのは画期的な変化です。皆さん、選挙に出てください(笑)。

【今回の「時代のKポイント」:「明治の価値観」変える「野田式・成功の方程式」とは】
野田さんと最初に会ったのは『私は、産みたい』が出版された20年前。当時、永田町の中心で「少子化は女性だけの問題ではない」「人口減少は国の屋台骨に関わる重大な問題だ」と野田さんが叫んだとき、「天下国家を語るべき国会議員ならば、安全保障や国際経済について物申すべき。少子高齢化など、何を“女・子供”の話をしているのか」と忠告を受けたという(『私は、産みたい』あとがきより)。
今回のインタビューで野田さんが強調したのは、「こうすれば変えられる」という「成功の方程式」だった。「変えたい」と思うことを「データ、科学」を使って「見える化」して、仲間を作り、法律や役所といった「形」にすることで問題を主流化し社会の「パラダイムチェンジ」を起こす。その代表例が「こども家庭庁」なのではないか。
2025年は昭和100年、見渡せば「昭和」どころか、時代に合わなくなった「明治の価値観」もたくさん生き残っている。
野田さんは2月19日、超党派の「政治分野における女性の参画と活躍を推進する議員連盟」の会長に就任した。「自らの正義を貫くだけでなく、対立する正義があることを互いに認める『多様性社会』を目指す」という野田さん。「明治の価値観」をどう時代に合わせてアップデートしていくのか。これからの行動に引き続き注目していきたい。
ジェンダー・男女共同参画担当のNHK解説委員を務めたジャーナリストの山本恵子が、キーパーソンにインタビューし、注目すべきポイントを解説。ジェンダー平等を目指す社会でここが変化の局面(K点、Kポイント)になりそうだという現在の動きを取り上げます。