結婚しないまま40歳になった。早まらなかったからこそ見えてきたものがあった

結局のところ、パートナーを持つことの本当の素晴らしさは、ただ結婚していればいいというものではなく、正しい相手を見つけられていることなのだ。

最近、身の回りのモノを整理することをルーティンにしている。この間もパジャマ姿のまま、残しておきたい古い手紙やら写真やらを選んでいた。長いことしまい込んだままにしていた数々の思い出たちだ。結婚式関連もたくさんある。席札も写真も、招待状にいたっては専用の箱に入れて保管している。その箱には、友人や家族らの人生、そしてその人たちと一緒に歩んできた私の42年間の旅路が思い出として詰まっている。

20代に入った頃、友人から結婚式の招待状が少しずつ届き始めた。当時の私にとって、恋愛は優先順位の上位にはなかった。21歳でアメリカ・ニューヨーク市に移り住み、俳優としてのキャリアを築くべく必死だった。オーディションと飲食店での接客バイトに明け暮れる日々で、数人の男性と交際したが将来を共にすることを見据えるといった真剣なものではなかった。セリフを覚え、家賃の支払いを滞らせないようにすることばかり気にしていた。

しかしながら、30歳が見えてきた頃には、次のメリル・ストリープになる資質を持ち合わせていないと悟った。大学を出ておらず、資金もない、コネだって持ち合わせてない状況のなか、粘り続けてきた俳優業からなんとか這い出し、安心して暮らせるように安定した仕事を見つけると心に誓った。

俳優の夢をあきらめ、現実の世界へ…その間にも駒を進める友人たち

ちょうど30歳で大手出版社のアシスタントとして働くという、現実の世界での大きな一歩を踏み出した。同僚たちよりも10歳ほど年上で、年収は3万5000ドルほど。それでも進むべき道を一歩前に進んだことに違いなかった。持ち札をうまく使えば、キャリアを築けるとわかった。交際相手を見つけることは、その時もまだ優先すべきものには思えなかった。まわりに追いつき、私だってやればできるところを証明する方が大事だった。

そんなふうにしている間に、友人たちは将来のパートナーと出会い始めていた。社会に出て最初の10年間に、友人たちはきちんと仕事をし、真剣に交際してきたのだ。公園での散歩やバーでお酒を飲んでいる時など、仲を深める恋人たちの話に耳を傾けた。

私はさらなる高みを目指してまわりが見えなくなるほどで、落ち着くことは頭になかった。30代に入ってすぐは、仕事でも気持ち的にも苦悩と成長の日々だった。借金を抱え、ルームシェアの暮らし。そんな状況もあって、誰かと付き合うことに足を踏み出す気にはなかなかならなかった。

とはいえ、まったくデートをしなかったわけではない。オンラインでやり取りした人もいれば、実際に会った人もいた。友人が出会いをセッティングしてくれたこともあった。なかには長続きする人もいたが、関係が真剣味を帯びそうになるといつもパニックに陥った。結婚の可能性を示してくれる相手もいたが、代償が大きいと感じてしまった。まずは自分自身のキャリアや経済力の道筋をつけ、内なる葛藤と向き合わずして結婚に踏み出すところは想像できなかった。自分に自信を持てていないのに、他人に自分の将来を約束するのは違うと感じた。

女性の友人たちはほぼみんなわかっていたようだ。郵便受けに次々に結婚式の招待状が舞い込み、まわりはみんな人生の駒を着実に進めているのに、私だけただの傍観者だと思い知らされた。招かれた結婚式にデート相手と参加すると、不安の波がドッと押し寄せてきた。夫婦で参加している人たちと同じテーブルをあてがわれ、必ず将来についてどう考えているのか聞かれる。このぐらいの年齢になると、答えを持ち合わせている人が多いのだろうが、私は違った。

徐々にだが、自分が若くして結婚するタイプではない、あるいは一生結婚しないということを受け入れることができた。たまたまではなく、私自身が意図的に選択したことなのだ。あちら側に行くチャンスがなかったわけではなく、行かないと自分で決めたのだ。歩んできた道のりを振り返り、意図的な選択の積み重ねだと思えるようになると、結婚式につきまとった居心地の悪さは少しずつ薄れ、そのうちきれいさっぱり消え去った。

しかし、友人らが出産するようになると、また迷いが訪れた。出産を控えた女性たちが妊娠中に無性に食べたくなるものについて教え合う場に居合わせると、不安がむくむくと湧いてきた。ミモザを口にしながら、指輪をはめていない薬指をそっと隠す自分がいた。「子どもはいますか」という悪意のない、必然的な会話は、何か悪いことをしてしまったと責められているように感じられた。

普段は問題なく過ごせていても、妊娠・出産をお祝いするベビーシャワーの場では少しばかり感情が不安定になった。

自分の世界に戻ってしまえば、いるべき場所にいるという確信と安心感があった。自分のことを疑い、他人と比べてしまうたびに、自分の選んだ道は正しいと思えるようになっていた。職場のメンターは刺激を与えてくれるし、ちょうどいいタイミングで新たな扉を開いてくれる。頑張って開拓してきた人間関係と忙しなく働いてきた努力が、広報の仕事へと導いてくれた。 

テレビや出版業界で活躍する尊敬する人たちと関わるようにもなり、歩んできた道は間違ってはいなかったと確証できる。同僚たちは素晴らしき友となり、清々しい気持ちで朝目覚める。

「自立」と「大人であること」を証明するもの

大きな転機は35歳の時に訪れた。著名な雑誌出版社の要職を射止め、一人旅でフランス・パリを訪れ祝福した。かわいらしいAirbnbを予約し、予定に縛られることなくパリの街を自由に散策し、『マイ・インターン』や『ホリデイ』などの映画の主人公みたいな気分を楽しんだ。料理教室に参加し、ルーブル美術館を堪能し、セーヌ川のほとりを歩き、クロワッサンをたくさん食べた。かつて夢に見ることしかできなかった経験を実現できたことに胸がいっぱいになった。

一人旅は私にとって自立と大人であることの証明だ。この2つは、パートナーと人生を築く以前に自分に備わっているべきものだと思っている。

それから数年もしないうちに、返済できないと思われた借金を完済した。想像していた結婚式の祭壇に立つ自分の姿よりも、自信にあふれ、安心感のある人物になっていた。

キャリアウーマンになったということではなく、誰かの隣に立つ前に1人でもやっていける人間になったということだ。

それ以降、私にとって一人旅は自分探しと同時に自分と再びつながる手段となっている。ある時、旅先のコロラド州がすっかり気に入ってしまった。コロラドの山々は、私の20代と30代を語るのに欠かせないタクシーと高層ビル群とは対照的な心落ち着く静けさをくれた。経済力もついて、何にも縛りつけるものがなくなっていたこともあり、人生の新たな一章を始める静かな空間を見つけたと思った。

38歳で、17年間過ごしたニューヨークを離れ、デンバーに移住した。そこで起業し、まもなくビジネスが軌道に乗ったことで、本格的に交際相手を探し始めた。そして、会った瞬間につながりを感じた男性と出会った。

一緒にいて楽だったのに、交際から1年ほどで相手が結婚に興味がないとわかり別れた。昔とは違い、私の方が結婚したいと思うようになっていたのだ。40歳という年齢もあり、子どもを産めるリミットが迫っており、母親になることはないかもしれないと思うようになっていたところだった。しかし、子どもを産むよりも、まずは信頼ができて愛おしく思えるパートナーに出会うことが先決だ。もし子どもとパートナーのどちらかでも優先順位の上位にあったならば、もっと早い段階で追い求めていたはずだ。実際のところは、ニューヨーク時代の私は誰かの妻になることも子どもを持つことも、まったく準備が整っていなかった。

この恋人との別れが成熟した人になる転換点となった。結婚して家庭を持った友人たちの選択を理解する上で、だ。親しい友人にコロラドでの暮らしぶりを打ち明けたところ、向こうは結婚生活について詳しく話してくれた。そして、経験に基づいたアドバイスをくれるようになった。

パートナーを持つ本当の素晴らしさとは

かつて深い敬意を持ってとらえていた結婚というものは、何層もの複雑さと困難をはらんでいることを知った。ある友人は、結婚10年目を迎えたころから夫婦間の愛は友情に変わったと教えてくれた。また別の友人は2人の子どもをもうけながらも、正しい選択だったのか確証がないという。幸せな結婚をしている友人たちであっても、疑問が頭をもたげたり、大きな妥協をしたりする瞬間があるのだ。

若い頃に抱いていた完璧さという幻想は薄れ、結婚生活や子育て、家族関係にまつわる困難さという現実に置き換わった。

私のデート相手は離婚経験があり、過去の失敗を教訓にしている男性たちになった。彼らの経験の普遍性に共感しかなかった。関係がどの段階まで進んでいるかにかかわらず、誰もが人生や愛について常に教訓を得ながら生きていることを知った。その時々で、自分にとっての最善の選択をしていくことしか私たちにはできない。

結局のところ、パートナーを持つことの本当の素晴らしさは、ただ結婚していればいいというものではなく、正しい相手を見つけられていることなのだ。

箱からあふれんばかりの招待状はどれも思い出以上のものが詰まっている。1通1通に、それぞれの愛、成長、自己信頼の旅が反映されているのだ。

好奇心と勇気を持って、自分のペースと自分のやり方で人生を楽しみ、選んだ道は選ばなかった道と同じぐらい深い意味を持つと信じること。生きるべき人生を形作る決断やその瞬間すべてを見落とすことなく追うことができるのは、自分自身のタイムラインだけだ。

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筆者のジリアン・サンダース氏はライターであり、コロラド州デンバーに拠点を置くライフスタイル関連のPR会社の創業者でもある。現在、1作目の著書を執筆中。愛、友情、恋愛関係(ロマンティック、プラトニック、ファミリアル)の複雑さをテーマにしている。

ハフポストUS版の記事を翻訳しました。