ルッキズム近辺について思うこと〜Tik Tokに関する原稿を書いて

Tik Tokにハマった結果、美意識が歪み、2年ほどで10キロ痩せた。美容や整形、ダイエット、完璧なスタイルのK-POPアーティストばかりを見ているうちに、自分の体型が許せなくなったのだ。
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hocus-focus via Getty Images

2月1日、Addiction Reportで公開された原稿が、大きな反響を呼んでいる。

詳しくは読んでほしいのだが、タイトル通りTik Tokにハマった結果、美意識が歪み、2年ほどで10キロ痩せた顛末である。

Tik Tokで美容や整形、ダイエット、完璧なスタイルのK-POPアーティストばかりを見ているうちに、自分の体型が許せなくなったのだ。

そんな日々からなぜ我に返ったのかというと、1月31日、体重計に乗り、「モデル体重」を数キロ下回っているのを見たことによる。その瞬間、「このまま行くと戻れなくなる」と焦り、たちまち覚醒。数時間で書き上げたのだ。

その時点で、「ここが摂食障害の入り口かも」という予感があった。これ以上体重を減らすと食べられなくなる、という確信じみた思いもあった。

思えば、昨年末くらいから焼肉などは食べられなくなっていた。太るのが嫌で食べられないとかじゃなく、ああいうものは、それなりの体力がないと身体が受け付けないのだ。生野菜などもそうで、結果、病院食のようなものしか食べられなくなっていた。その果てに自分が望むよりも体重が減り、何よりも体調が著しく悪化。そうして2年ぶりくらいに「我に返った」わけである。

読みながら「バカだなー」と笑ってもらえれば本望だ。

が、容姿の問題は、「女」として生まれたこの半世紀、常に私につきまとう問題でもあった。というより、デビューしてからの四半世紀と言ったほうがいいだろう。

なぜなら、25歳でデビューしてから50歳の今に至るまで、容姿のことで知らん奴らに嫌なことをずーっと言われ続けてきたからである。

もちろん、デビュー前だっていろいろな悩みはあった。もともとアトピーだし、思春期にはいろんなことが気になるし。だけど物書きとしてデビューするまでは、面と向かってひどいことを言う人に会ったことはほぼなかった。特に大人になってからはそんな非常識な奴、そうそう出会わない。

それがどうだろう。デビューした途端、外見に関して、知らない人たちからネットやSNS上でひどい言葉を投げかけられるようになったのだ。 

顔や体型についてはもちろん、年を重ねるにつれ何かと「加齢」や「劣化」をあげつらわれる。少し太ればそのことを指摘され、具体的にこの部分の肉が、などと辛辣に評される。アンチからは「これほど醜い人間を見たことはありません」などの暴言も日常的に受け続ける。

そういうモロモロを、私は自分では特に気にしてないと思ってた。

まぁ、女の書き手で社会に物申したりすると当然あるよな……くらいな感じで笑って受け流しているつもりだった。

しかし、そういう一言一言が25年にわたって自分を深く傷つけているということを、「『見る福祉』というTik Tok」を書いて、初めてくらいに改めて、思い知っている。

最近、「ルッキズム」への批判の声をあちこちで聞く。それに照らせば、私はルッキズムの呪いに苦しむ一人ということになるだろう。

その一方で、私は10代の頃からヴィジュアル系バンドが大好きなバンギャでもある。

孔雀のように着飾り、濃いメイクをして長い派手髪をなびかせる成人男性のステージングを見るのが三度の飯より大好物。そんな人間がルッキズムについて語っていいものか、という思いも長年抱えてきた。

さて、唐突だが、私は戦争に強く反対する一人だ。

その理由のひとつに、「戦争になったら男が化粧をしたりミニスカートをはいたりツインテールをしたりするヴィジュアル系が禁じられそうだから」というものがある。

歴史を振り返ってもわかるように、非常時、「キラキラした化粧をしてステージに立ち、女子にキャーキャー言われる」成人男性がどんな扱いを受けるかは、火を見るよりも明らかだ。

思えば安保法制の頃くらいから、「万が一、世相的にV系が弾圧された場合、キラキラした“目に楽しいもの”が大好きな私はどうすればいいのだろう……」という不安を抱えてきた。

そうして思いついたことがある。それは、「そうなったら“南国のカラフルな鳥”とかで代用するしかないのでは」ということ。以来、そんな画像をひそかに収集している。

有事への備えが「食料の備蓄」とかでなく、「非常時にヴィジュアル系の写真の所持さえ禁じられた際のための鳥の写真の備蓄」なのだ。しかもそれぞれの鳥が「〇〇(曲名)のMVの〇〇(メンバー名)」という感じで、メンバーのジェネリックになっている。

っていうか私、なんと高度な遊びを一人でしているのだろう。他にすべきことがあるのではないだろうか。

さて、ルッキズムに話を戻そう。

この手の話になると、よく「褒めるならいいのでは」という意見を耳にする。

ネガティブな反応はよくないが、ポジティブなものだったらいいのではという声だ。私もそれには漠然と、「いいんじゃないの」と肯定的だった。

が、数年前、「褒められた」ことによって困った展開になったことがある。

ある病院での出来事だ。そこはたまに行く病院だったのだが、ある時、普段より気合いを入れた服装で行くと(その前後に撮影される仕事などがあった)、「おじいちゃん先生」にむちゃくちゃ褒められたのだ。

いつもは仏頂面の先生が満面の笑顔で褒めることに戸惑いつつ、「これは喜ぶべきなんだろうな」と思い、へらへらしていたその時の私。

が、困ったのは次に行く時だ。

病院というのは、だいたい体調が悪い時に行くものである。で、その時が来たわけだが、あれほど褒められてしまうと、「がっかりさせてはいけない」という謎のサービス精神が私の中で発動。

ものすごく体調が悪いのに、病院に行くためわざわざ風呂に入ってフルメイク。髪も服装も気合を入れて受診。その結果、体調をさらに崩すということになってしまったのだ。

結局、そんなことが何度か続いた果てに、私は体調が悪くなると別の病院に行くようになった。もう何をしているんだかわからないが、このような経験により、「善意での『褒め』も面倒を生み出す」ことに気づいたのである。

ということで、Tik Tokにハマって痩せたことを機に、ルッキズムについていろいろ考えている昨今。

ちなみにTik Tokは、今後の政治や選挙にも大きな影響を与えると言われているが、原稿は、脳がどのように作り変えられているかの実体験でもあるので、この機会にぜひ、読んでほしいと思っている。  

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