12年付き合った恋人と破局し、断酒した。人生で一番幸せな自分でいるのに、厳しい現実にぶち当たっている

断酒することで、デート相手が見つかりやすくなると思っていた。

14年ぶりにデートの約束ができた。ワクワクしながらも緊張していたのだが、何よりも完全にシラフな状態でデートに臨もうとしていた。待ち合わせ場所に到着し、相手が来るのを車の中で待った。すばらしい気分で、見た目もイケている自信があった。うまくいくはず。

到着したという相手からのメッセージを受け取り、車から降りた。さらに緊張が高まる。相手と目が合った。私の好みにぴったりで背が高く、見た目もドンピシャだった。映画館に行き、特大サイズのポップコーンをシェアした。ポップコーンにバターとMilk Duds(チョコボール<キャラメル>のようなお菓子)を振りかけてくれた。チョコ菓子が口で溶けていくのを感じながら、最高な時間を過ごした。

3回デートを重ねたけれど、私たちに次のデートは来なかった。

この2年半、断酒を続けている。退屈さはないが、孤独を感じることはある。2024年にデートをしたのは1人だけだった。

断酒のきっかけは、12年間付き合った人と別れたことだった。一緒に過ごした年月は、飲酒とドラッグの歴史でもある。一緒にお酒を飲み、ドラッグをやった。2人の関係が不安定になり、一緒に暮らしていた家から追い出されて破局した。その翌日、お酒とドラッグをすっぱり断ち切った。

断酒はどんな変化をもたらしたのか。これまでに感じたことないほど幸せで、安定した人間になった。断酒前は、「勇気」が必要なときはお酒の力を借りていた。かなり依存していた。私にとってお酒をやめることは、心からの感謝を感じさせる淡いピンク色の雲の上に浮かんでいるような最高な気分だ。

断酒することで、デート相手が見つかりやすくなると思っていた。実際は、そんなことはなかった。かなり苦労しているのが現状だ。いろんなマッチングアプリに登録し、どんな可能性も逃さないようにと、マッチングできるかもしれない相手にメッセージを送れる有料サービスにも申し込んだ。

何百人ものプロフィールをチェックした。プロフィールにショットグラスやワイングラス、または瓶ビールを持った写真を使っている人は、危険信号だ。デートアプリにお酒を片手に持った写真を使っているからといって、アルコール依存症だということではないが、付き合いで飲酒をする人ではありそうだ。「付き合っていけるだろうか」と自問してみる。完全に断酒している私としては、テキーラのショットを飲み干したばかりの口にはキスしたくない。

マッチングアプリのプロフィールには、重視することとしてお酒を飲まない人と明確に書いている。希望するのは、あまりお酒を飲まないではなく、まったく飲まない人だ。飲む人を批判するつもりはない。ただ、お酒を口にしないことが私にとっては最善だと思っている。友人たちと飲みの場にも行くし、クラブではノンアルコールのカクテルを片手に踊ることもある。

あまりにも絶望と孤独を感じ、ゲイ専用の出会い系アプリに登録したこともある。断酒1年目で、デートする相手が欲しすぎて一晩限りの関係でいいとさえ思ったのだ。近しい友人がそのアプリで出会った相手と実際に付き合っていたから、もしかすると自分もという期待もあった。しかし、登録直後から送られてくるのは陰茎の写真や、自宅で会いたがる人や車内で過ごそうと言ってくる人の位置情報ばかりだった。

LGBTQの自助グループAA(アルコホーリクス・アノニマス)の会合でも出会いの可能性を探ったが、うまくいかなかった。車で何時間もかけて最寄りの会合に参加したが、ほとんどが年上のクィアの白人男性だった。私に魅力的に映った人は、妻と一緒に参加していた異性愛者だった。誤解しないでほしいが、参加者はみんな優しくて、私のことを快く迎え入れてくれた。ただ、クィアのヒスパニックである自分には場違いな気がした。

断酒したことで、これまでの人生で一番ハッピーな自分でいることができている。メンタルヘルス関連のサービスへのアクセス、境界線を持つこと、自己認識ができている状態が実現できている。ただ、いまだにシングルだ。現在、41歳。新たな恋愛関係に踏み出す準備はできているし、人生を一緒に歩んでいく相手が欲しい。

今の私は、これまでよりももっといいパートナーになれる。過去の恋愛では、酔っているか、ハイになっているかで、半分も覚えていない。「Mr. Milk Duds」との3回のデートのことは隅々まで覚えている。自分らしくいられて、すばらしい気分だった。3回目のデートではまた映画館に行き、相手の家まで送っていった。車から降りようとしたところで、私たちは唇にキスをした。その晩、「気持ちには応えられない」というメッセージが送られてきた。わけが分からず、心が張り裂けそうだった。お酒を欲することなく、負の感情と向き合うことができた。

かつての私にとって、負の感情は何としてでも避けたいものだった。強いストレスを感じることがあれば、浴びるようにお酒を飲んだ。二日酔いで目覚め、また少しでも不都合なことがあれば、同じ行動を繰り返した。「負の感情に向き合い、感じ、手放すこと」を教えてくれたセラピストには感謝している。

同じく断酒している友人に連絡し、デート経験について尋ねた。どうやら私より運がいいようで、断酒して1カ月も経たないうちに交際相手が見つかり、ずっと一緒にいるのだという。羨ましく思う気持ちがないと言えば嘘になるが、純粋にとてもうれしい報告だった。相手がなかなか見つからないという悩みを打ち明けたところ、「一生シングルだという考えを受け入れ、そうであっても100%大丈夫な自分になること」というアドバイスをくれた。幾度となく頭を去来した考えだった。もし、パートナーを見つけることができなかったら?もし、一生シングルだったら…。私はちゃんと生きていけるだろうか。

もしパートナーが見つからなくても、この世の終わりではないと自分を納得させた。

先日、セラピストにこんな質問をされた。「孤独のあまり、断酒をやめようと思いますか」。今の私にとって最優先すべきは、お酒をやめた状態を続けることだと答えた。再びお酒に依存する状態に戻りかねない危険は冒せない。もし、再びお酒やドラッグに手を出したら、命だって落としかねないからだ。死んでしまったら、パートナーを探すことは不可能になってしまう。

いまだにシングル生活が続いている。あれ以来、デートはしていない。申し込んでいた有料サービスは解約し、いくつかのアプリは退会した。1人で映画を見に行き、1人で買い物に出かける。「ソロ活」もそんなに悪くない。手をつなぎたくなるときも、一緒に歩く人が欲しくなるときも、レストランで食事を共にする相手がいたらいいなと思うときも、もちろんある。本物の愛を探すことを諦めるつもりはない。ただ、目下のところは自分自身と向き合い、自分の好き嫌いを知り、自分の新たな一面を発見し、好きになることに取り組んでいるところだ。

ハフポストUS版の記事を翻訳・編集しました。