(※記事中には被害の描写が含まれています。フラッシュバックなどの心配がある方は注意してご覧ください)
2年前、63歳だった私はトランス女性であるとカミングアウトしたことで、世界観が劇的に変わった。例えば、履きたい靴とそれによって足がどのくらい痛くなるか考えた上で、日々の計画を立てるようになった。さらに目を見張る変化がある。「悪魔」の存在を信じるようになったのだ。
子ども時代はキリスト教会が宗教教育などを行う日曜学校に通っていたが、それは先生役の女子高校生に憧れていたから。欠席したら神様に関節炎に苦しむフンコロガシに姿を変えられてしまうと信じていたということもあるが。
しかし徐々に、天国へとつながる出席簿などないと思うようになった。教会に通おうが通うまいが、大きな痛手を負うことはなかった。神様を喜ばせようとか悪魔を避けようとか、心配するのはやめた。
ところが、オープンにあるがままの自分として生活を始めると、悪魔の存在は確信に変わった。話しかけようとも、知ろうとすらも思っていない相手に対して誰かにこれほどまでの嫌悪感を抱かせられるのは、悪魔のほかにいない。
トランス女性としての人生は、まるで幽霊屋敷に住んでいるようなものだ。悪魔や悪霊が次々に襲いかかってくる。やつらがいつ現れるか、予測はできない。
トランス女性として経験した扱い
お客様窓口の担当者にもう「Sir」と呼ばれたくないので、声の高さを変える手術を受けるため、自宅があるニューヨークからサンフランシスコを目指した。ニューアーク空港の保安検査場でTSA(運輸保安庁)のボディースキャナーを通り抜け、出発ゲートに向かおうとした時だった。TSAの係員に止められ、「股間」に何を隠しているのか、と聞かれた。
係員は旅行者がスキャナーを通る際、外見で判断した性別のボタンを押す。女性のボタンが押されると、股のところに赤色の点が表示された人は止められるのだ。
危険物を所持していないか確かめるため、身体検査をする必要があると係員に言われた。正確に再現した係員とのやり取りは以下の通り。
私:あらかじめ伝えておきますと、何も隠し持っていません。トランス女性なんです。
TSA係員:いずれにしても、身体検査は必須です。あなたよりも私の方がつらい。
私:そんなことないと思いますが。
TSA係員:私が楽しむとでも?
私:そうでないといいのですが。
TSA係員:言いましたよね、あなたよりも私の方がつらいって。
私:そんなことないと断言してもいいです。
TSA係員:考えに相違がありますが、私の意見を尊重してもらいたい。
サンフランシスコまでの6時間のフライト中ずっとこのやり取りを思い返し、腹立たしかった。ユニオンスクエアで地下鉄を降りると、すれ違ったタトゥーだらけのマッチョな男性が手に持った拡声器でこちらに向かって怒鳴ってきた。
「神を冒涜する格好をするなんてありえない!」。そう怒鳴る人物は友人だかボディーガードだかわからない仲間を2人連れていた。立ち止まって笑う人たちもいた。
マッチョな男性はなおも続ける。「子孫を残すために神が授けた体の一部を切除すべきではない!」
サンフランシスコに来た目的はその人物が考えている体の部位を切除するためではないと言い返してしまった。これはトランスジェンダーだとカミングアウトして日が浅い私のミスだった。関わらないのが鉄則だ。
その場を立ち去る私に、その人物は「男と女の違いがわからないのは精神病のやつらだけだ」と典型的な暴言を吐いた。そのタイミングで女性が私に近づいてきて、小銭を求められた。丁重に断って遠ざかる私の背中に向かって「くそトランスども!騙されないからな!恥を知れ!」と耳をつんざく罵声を浴びせられた。
これら一連の出来事を受け、なんだか自分のことを恥じた。
帰りの空港のチェックインカウンターで、スタッフが私のスティービー・ニックス風コーデ(ふわっとしたスカート、ノースリーブのトップス、デニムジャケット、サンダル、ロングタイプのピアス、カールアイロンを振っても落ちないほどの髪の量)をじっくり見た上で、「どうされましたか」という文言とともに「sir」の敬称で話しかけてきた。
私は「sir」ではないことを伝えた。すると、そのスタッフは顔色ひとつ変えずに「すみませんでした、sir。何かご用でしょうか」と言ったのだった。
2週間後、術後アポイントのためサンフランシスコを再訪したのだが、例のスキャナーを通り抜けたところで、この間とは別のTSA係員が「股間のあたりに何を隠しているのか」と尋ねてきた。
手術したばかりで声を出さないように言われていたが、性別適合手術を受ける前のトランス女性であることをガラガラの声で伝えようとした。係員は私の態度が悪いと非難し、上司を呼んで苦情を訴えた。そして、ほかの旅行者の面前で私の身体検査を行い、パンツの下にあるものに気づくと即座に後退りした。
もう頭にはマンハッタンという愛しのトランス世界に戻ることしかなかった。マンハッタンだって決して完璧なわけではないが、それでも様々な人間が集まるニューヨークなのだ。地下鉄の2席隣の乗客が「本当に先にハン・ソロ(『スター・ウォーズ』シリーズに登場するキャラクター)が撃ってきたんだ」と乗り合わせた人たちに話しかけながら下着を脱いで頭に乗っけるという場面に出くわす可能性だってある街なのだ。
ただ、そんなニューヨークであっても、トランスジェンダーの人々を痛めつけることに喜びを見出す多くの人から受けるすべての苦痛から救ってくれるわけではない。苦痛をもたらすのが、私たちを守るべき政治家による振る舞いということも珍しくない。事実を嫌い、文字通りトランスジェンダーの人々を一掃すると絶えず口にしている共和党にはほとんど諦めの気持ちだ。本来は政府内で私たちの心強いアライとされる民主党でさえも、未成年者が性別適合治療を行うことを制限する法案を承認した。アメリカでは、性別適合治療薬を服用できている若者の割合が0.1%未満にとどまっている。
ここまで書いたところで、愚痴っぽいやつだと思われていないか心配になってきた。しかし、わかってほしい。同情してもらうためにトランスフォビアの体験談を語ったわけではない。私よりもひどい目に遭った仲間がいることも、もちろん認識している。トランスジェンダーの人たちがどれほど危険な状況に置かれているか明らかにしたいだけなのだ。私たちのことをほとんど知らない、あるいはまったく知らない人たちが、トランスジェンダーというものを理解し、考えを改めてくれるかもしれないと願ってのことだ。
カミングアウト前は世間知らずだった
白人で、出生時に「男性」と割り当てられたことで享受してきた礼儀や、疑わしい行動を取っても信じてもらえるという恩恵がすべてなくなるというのは、強烈な経験だった。世間知らずだった。特権は失うまで享受していることに気づかない。
だが、受けられなくなった特権が恋しいばかりではない。もし代わりに得られるものが本来の自分であるCaragh(筆者がカミングアウト後に使っている名前)であるならば、 特権を失うだけの価値がある。少なくとも、そうであってほしいと願う。冒頭に書いた幽霊屋敷を重い足取りで歩き回りながら、この思いにすがっている私がいる。
新たな魔物のリーダーであるドナルド・トランプは、性別には男性と女性の2つしかないとする大統領令に署名し、トランスジェンダーの人たちの絶滅の始まりを告げた。さらに悪いことに、政治的立場に関わらず多くの人たちが「残念…トランスジェンダーの人たちはついていないね」という反応を示したことがある。
わかっている。トランスジェンダーの人たちは、ドヤ顔の政治家、コメディアン、ポッドキャストの司会者らが喜んで攻撃する「他者」の長い列に新たに加わったグループ だということを。攻撃対象となっている「他者」は「劣る者」という呼ばれ方をすることもある。政治家らが人々を振り分けるために用意した数種類の小さな箱に当てはまらない私たちは、格好の餌食になる。そして、見事なまでにアメリカに住む人々が直面するすべての問題の根源にされてしまっている。
トランスジェンダーの人はアメリカの成人人口の0.6%に過ぎず、効果的に反撃に出ることも、社会の応援を巻き起こすこともできない。だから、アライが必要なのだ。
63歳になって起きた心の変化
私がトランスジェンダーであることを隠して生きてきたのは、ありのままの自分でいることを楽しめるどころか、多くの恥辱に苦しめられるだけだったから。カミングアウトするよりも隠す方がずっと楽だった。壁を作り、閉じこもって暮らすことに慣れていった。人生の大半を孤独を感じて生きてきた。受け入れられる術を見つけられないまま。自分自身すら自分のことを受け入れていなかった。恥ずかしさと恐れが入り混じる気持ちは、どんなことをしても変わらないと思っていた。63歳でカミングアウトするまでは。
60を過ぎて初めて、自由を切望する気持ちが恐怖心に打ち勝った。魔法のようにたちまちクリスマスのきらめきにあふれるリベラルな小さな街で生活を送れるようになるという、映画の世界のようにはいかなかった。しかし、ようやくずっと願ってきた生き方ができるようになった。世間はこれを選択と呼ぶが、そうではない。私たちはただ、運命に従っているだけだ。
残念なことだが、トランスジェンダーの人が全員この段階までたどり着けるわけではない。金銭面での余裕や精神面でのサポート、身体的な安全を確保できずにカミングアウトできない人は数えきれないほどいる。カミングアウトすれば、仕事を失い、家族が離れていき、自分自身の命さえ落としかねない。私たちの多くが自分であるという理由で暴力被害に遭い、殺される人もいる。アメリカではトランスジェンダーの人たちの4割が命を絶とうとした経験を持つ。
トランスジェンダーの若者とその家族は日常的ないじめに直面している。様々な州が性別適合治療を禁止するようになってきており、若者たちは自認する性別を示すことができなくなっている。アメリカの悲劇としか言いようがない。生まれ持った人間らしさへの許されざれる裏切りだ。
私たちが今後どうなっていくのかまったくわからない。男性トイレと女性トイレのどちらを使わせてもらえるのだろうか。一体どれほど多くのトランプの旗を掲げた巨大なモンスタートラックが私をはねようとしてくるのだろうか。この国の現状を踏まえると、トイレはどちらも使わせてもらえないし、1台にでもはねられたら終わるということだろうと思っている。
私は今、ずっと求めていたこの素晴らしいアイデンティティを新たに持つことができている。日々、本来の自分を愛おしいと思う気持ちが増している。生まれた時に間違ってあてがわれたアイデンティティに我慢して生きるよりはうんといい。
本当の私を好きになるか嫌うか、あなたが決めればいい。しかし、トランスジェンダーということで私のことを決めつける前に、私たちの人生、苦悩、願い、恐れ、喜びについて語り合えないだろうか。そうすれば、ドナルド・トランプがあなたに信じ込ませているような人間ではないとわかるはずだ。
術後の回復状態を診てもらうため、数週間前に再びサンフランシスコに行ってきた。また例のTSAの厳しい検査を受けなければならなかった。保安検査場のスキャナーを通り過ぎたところで、やはり止められた。その後の流れは熟知していたため、屈辱的な身体検査を大人しくやり過ごすことにした。画面を指差し、身体検査をしないといけないと言うTSA係員に対し、「無駄なことはしないでおきましょう。するならどうぞ。そこに写っているのはペニスです」とお伝えした。
すると係員は微笑み、「その部分」ではなく私の手を取ったので驚いた。「私にはすばらしいトランスジェンダーの息子がいるので、よくわかります。あなたは素敵ですよ。安全な旅を!」。係員はそう言って、私を送り出してくれた。
出発ゲートへ向かいながら、涙があふれた。涙するのは2年前にカミングアウトしてから珍しいことではなかったが、今回は幸せの涙だ。どうやら天使の存在を信じ始めなければならないようだ。
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筆者のCaragh Donley氏は、長年にわたってニューヨーク・タイムズやロサンゼルス・タイムズ、ボストン・グローブなど様々な媒体で執筆している。VH1の「Behind the Music」、「The Queen Latifah Show」、「The Martin Short Show」などの番組でプロデューサーを務めており、「The Kelly Clarkson Show」のシニアプロデューサーとしてこれまでにエミー賞を4度受賞している。
ハフポストUS版の記事を翻訳・編集しました。