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ケージから引っ張り出されたロジャーは、動物管理局の職員リサに抗議するように鳴き声を上げた。
体に力を込めて抵抗し、金属のケージに戻ろうとしながら、目を見開いてリサの手袋に噛みついた。
リサの目は全く動じていなかった。ロジャーのような猫にたくさん出会ってきたのだろう。
リサはロジャーを私の目の前のセメントの床に置いた。セメントは真菌症やカリシウイルス感染症などが発生したときに消毒しやすい。
ロジャーは静かに私の手の匂いを嗅いだ。いつもと違う様子に興味を持っているようだった。
ロジャーは痩せた黒猫で、中毛は汚れと手入れ不足でボサボサし、くすんでいた。前足の指はそれぞれ一本多くて可愛いミトンのようだった。緑色の目を見て、愛情を求めていると感じた。
荒々しい外見に隠されていたのは、ふかふかした寝床と外を観察できる窓、何よりも安心できる我が家を必要としている元気な若い猫だった。
それでも私はロジャーが怖かった。ロジャーは何週間も保護施設で暮らし「奥の部屋」で飼われていた。
「奥の部屋」は、行動上もしくは健康上の理由、あるいはその両方で「飼うのに向いていない」と判断された動物がいる場所だ。ロジャーは飼い主候補を噛んでいた。そんな猫を家族に迎えたいと思う人はいない。
それでも、保護団体が助けることでもう一度チャンスをもらえた。
ロジャーは濡れた鼻を私の手に擦り寄せ、なでてほしそうなそぶりを見せた。
こわごわ触れてみるとゴロゴロと喉を鳴らしたので少しほっとした。しかしその直後に、ゴロゴロ鳴きながら私を噛んだ。ロジャーは愛情を求めていたが、自分を守ろうともしていた。私はロジャーの攻撃が、過度な刺激を受けた時に見せる行動で、ストレスの多い猫によく見られる態度だとわかっていた。
私もかつて、ロジャーのようだった。10代後半の頃、自分に自信がなく、鏡に映る自分を直視できずに髪を顔全体に垂らしていた。
二日酔いと睡眠不足で体調を崩す日も多かった。レジ係や飲食店のスタッフは怒りを向けてもいい相手だと思い、嫌味を言った。強い不安を感じ、自分はダメな人間だと思い悩み、自己防衛のために嫌な人間になっていた。自分は、友達としても家族としても良い人間ではない、社会に貢献せずに混乱と痛みを生み出していると思っていた。
それでも、家族も周りの人たちも私を愛し、助けの手を差し伸べてくれた。彼らは醜さの裏側に隠されていた私を見てくれていた。
ロジャーを見た時、私は過去の自分を思い出し、助けを求めるロジャーの叫びに応えたいと心から願った。
それは11月の終わりで、クリスマスの準備で大忙しの時期だった。しかもその2週間前に、一時預かりの保護猫を迎えたばかりだった。
こんなにすぐ、クリスマス休暇の直前に、しかも手のかかる猫をもう1匹引き取るべきだろうかと考えた。母は「どうしてあなたはいつも自分を大変な状況に追い込むの?」と言った。友人のスージーは「もう、1匹引き受けたじゃない。自分のことも愛して大切にしななきゃ」と言った。
保護施設は動物たちで溢れかえっていた。残念ながら、休暇シーズンは保護施設にとって忙しい時期でもある。
里親希望者は減り、リサのような従業員も休みを取る。経済的な理由や精神的なプレッシャー、健康上の問題など、さまざまな理由で動物を手放す人たちもいる。
休暇旅行のためのペットシッターを見つけられない人、開きっぱなしにしていたドアからペットが飛び出した人、引っ越しで捨てられる動物もいる。
私はゴミ捨て場のバッグの中から子猫を見つけて保護したことがある。子猫たちは、まるで命のないモノのように捨てられていた。
私は母に「動物を救うことは誰にとっても簡単じゃないし、やる価値のあることすべてが簡単なわけでもないから」と母に言った。
スージーには「動物を救うことが愛のようなものな時もある」と伝えた。理解してもらえるとは思っていなかったけれど。
ロジャーの状況を何日も確認し続け、もう時間がないとわかっていた。おそらく引き取り手は誰もいないだろう。ロジャーにとって、私が最後のチャンスなのだ。
保護施設を出る時、リサはロジャーが施設に来るまでの経緯を話してくれた。
ロジャーは麻薬取引に使われていた家で20匹の猫と一緒に飼われていたところを保護されたという。施設で去勢手術を受けた後、リサの働いている施設に連れられてきた。そのすべてが数日の間の出来事だった。その後は「奥の部屋」への移動になり、ケージで6週間暮らしていた。ロジャーがストレスを感じていたであろうことは容易に想像できる。
家に戻る途中、ロジャーは妙に静かだった。今思えば、安堵の表れだったのだろう。ロジャーは自由になったのだ。私も若かった頃、ようやく周りに助けを求めた時に静かだった。闘うことをやめたのだ。
ほとんどの保護猫は、家に連れ帰ると部屋の中を歩き回ったり、隠れたりする。ロジャーは違った。
ロジャーが求めていたのは愛だった。栄養のある食事をガツガツ食べた。私はもつれていた毛をカットして、ブラッシングした。日が経つにつれ、ロジャーはリラックスするようになった。この場所が安全だとわかり、信頼するようになっていた。噛みつく回数も減った。
結果的に、ロジャーはまったく手のかかる猫ではなかった。私が飼った猫の中で一番甘えん坊で、私がいないときはテディベアにくっついていた。
恐怖心がなくなった時の変化は驚くべきものだ。その時に初めて、私たちは一番良い自分、本当の自分になれる。それは、猫も人間も変わらない。
ここに来るまでの間、ロジャーはどんな生活をしていたのだろうと考えた。薬物取引所になっていた家では食べ物を奪い合っていたのだろうか?夜に甘えられる子どもはいたのだろうか?愛されていたのだろうか?誰もロジャーのことなど気にかけていなかったのかもしれない。
私のマンションの部屋で、ロジャーは王様のように暮らした。仕事中は私の膝の上か、七面鳥やウサギがいる屋外を眺められる窓ぎわの猫用ハンモックに横たわっていた。マタタビ入りのバナナやボール、羽のおもちゃなどで遊んだ。私も休憩中に一緒に遊ぶこともあった。私はロジャーを喜ばせ、お返しにロジャーは私を幸せな気持ちにしてくれた。
クリスマス直前、私はロジャーが「永住する家族」の元に行く準備ができたと判断した。
私と長く一緒にいすぎると、お互いのためにならないと思ったし、困っている他の猫のための引き受け場所を確保しておく必要もあった。
私は保護団体のウェブサイトにロジャーのプロフィールを掲載した。写真のロジャーは、つややかでふわふわの健康的な毛並みの猫だった。私はロジャーを「ハンサム」で「フレンドリー」で膝に乗ったり、家を走り回ったり、おもちゃのネズミに飛びついたりするのが大好きな猫と紹介した。
ロジャーは全く噛まなくなったわけではなかった。コミュニケーションの一環として噛むことはあったが、経験豊かな猫の保護者であれば、刺激を受けた時の行動だとボディランゲージから理解してもらえるだろうと思った。
「永住する家族」にありのままのロジャーを受け入れてほしかったから、そのことも記載した。理解ある里親にとって、ロジャーは完璧な家族の一員になるだろうという確信があった。
複数の応募者の中で一番良かったのは、ビデオチャットで面接したアーティストと彼女の夫だった。見せてくれた家は広々とした「猫宮殿」で、外を眺められる窓がたくさんあった。ふたりは猫を飼った経験こがあり、引き取り手の少ない黒猫に愛着を持っていた。先住猫が死んで、新しい家族を探していた。
夫婦はクリスマスの日にロジャーを迎えに来て、ロジャーは新しい家へと向かった。
慌ただしいクリスマスだったが、ロジャーがいない家はどこか静かに感じられた。家族とブランチを食べ、プレゼント交換をして夜は映画「エルフ」を観たけれど、いつも横にいるロジャーはいなかった。寂しかったけれど、重要なことに関われたという満足感もあった。その年の私の最高の贈り物だった。
あれから4年が経った今も、ロジャーの近況を教えてもらっている。ロジャーは自分の「宮殿」で王様のように暮らしているという。今では「女王」のエレノアも加わり、2匹で家中を駆け回り、鳥を眺め、段ボール箱で遊んでいる。昼間は飼い主のアトリエで過ごし、夜寝る時は腕を絡めてくるという。
ロジャーのストーリーは「動物の見た目や行動は、必ずしも心の内側を映し出しているわけではない」ということをいつも私に教えてくれる。それは人間も同じだ。
ロジャーは荒々しい猫に見えたけれど、そのトゲトゲした態度は、恐怖心によるものだった。それは私がこれまで出会った多くの人々、時には自分自身にも通じる。
私たち誰もが、愛されもう一度チャンスを与えられる価値のある存在だ。その与えられた愛やチャンスが、変化を起こす力を目の当たりにすることがある。
それはアトリエの日だまりでくつろぎ、別の猫とじゃれあって遊び、温かい場所で安心して眠る、愛らしい猫の姿として現れることもある。
ハフポストUS版の寄稿を翻訳しました。