誰も名前を知らない「あの子」。会津中央乳業のパッケージに描かれた女の子に反響「牛乳を飲めることに感謝したい」

牛乳やヨーグルトのパッケージに描かれたおさげの女の子。イラストに秘められた思いが反響を呼んでいます
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Clara Bastian via Getty Images

福島県の会津中央乳業の牛乳パックにはおさげの女の子が描かれている。この女の子が作られた背景とイラストに込められた願いがソーシャルメディアで拡散され、反響が広がっている。

おさげの女の子のイラストは、会津中央乳業の牛乳「べこの乳」のほか、ヨーグルトやチーズ、アイスクリームなどさまざまな製品に描かれている。

この女の子は「あの子」と呼ばれ、実在のモデルがいるという。

会津中央乳業のウェブサイトによると、「あの子」のモデルは同社の創始者である二瓶四郎さんの娘の孝子さんだ。

戦時中に満州鉄道で働いていた四郎さんは、1945年の終戦と同時にシベリアへ抑留されたという。

残された妻の文子さんは、妊娠中の体で2歳の孝子さんを連れて中国各地を逃げ回り、なんとか日本への引き揚げ船に乗ろうとした。

しかしお金もなく食べ物や飲み物を手に入れられなかった文子さんは母乳が出なくなり、痩せ細った孝子さんは栄養失調で亡くなった。

文子さんはその年の12月に長男の孝也さんを出産し、なんとか故郷の会津に戻ることができたという。

シベリアに抑留された四郎さんは終戦から3年後に帰還し、会津で牛乳販売の仕事を始めた。

会津中央乳業のウェブサイトには、事業が軌道に乗り、孝也さんが会津に戻った1968年に、新製品におさげの女の子「あの子」のマークを入れて販売したと紹介されている。

「マークには『あのとき牛乳があったなら…』『栄養があるものを食べさせることができていたなら…』と、子を思う親の切ない思いが込められていました」

「『どこの子も健康で幸せに育ってほしい』という願いを込め、牛乳を飲んだ時の「あの子供の笑顔」をマークとして、ずっと「あの子」を大切にしてきました」

孝子さんをモデルにした「あの子」には名前がない。名前をつけないのは、「すべての子どもが健康で幸せに育ってほしい」という願いが込められているからだという。

「どの子も大きくなって天まで届いてほしいから会津中央乳業は、『あの子』に名前はつけません。それぞれのおうちのお子さんの名前が一番ふさわしいと思っています」

1930年代以降、日本から多くの人が旧満州(現在の中国東北部)へ満蒙開拓団などとして国策で送り込まれた。敗戦後の過酷な引き揚げの中で、孝子さんのような幼い子どもを含む多くの人が病気や飢餓などで命を落とした。

会津中央乳業の「あの子」のエピソードを取り上げたソーシャルメディアの投稿には、「どのお家のお子さんも元気に育ってほしい」「いつでも牛乳やヨーグルトを飲めることに感謝とこの状況を守らなくては」などの思いをつづったコメントが寄せられている。

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