核兵器廃絶を世界に訴えてきた日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)へのノーベル平和賞授賞式が12月10日、ノルウェー・オスロで開かれた。
式典では、日本被団協を代表し、長崎原爆の被爆者である田中熙巳(てるみ)さんが演説。「核兵器は一発たりとも持ってはいけない、というのが原爆被害者の心からの願い」だと述べ、世界に向けて核廃絶を訴えた。
「人間らしい心閉ざした」
田中さんは13歳の時、爆心地から約3キロ離れた自宅で被爆。気がついた時にはガラス戸が体の上に覆いかぶさっていたが、奇跡的にほぼ無傷で助かったという。
だが3日後、親族の安否を確認するために爆心地一帯を訪れた時、その惨状を目の当たりにした。辺り一体が黒く焼き尽くされ、焼け落ちた家の周りには遺体が放置されていた。
「大けがや大やけどを負いながらなお生きている人々が、誰からの救援もなく放置されていました。私はほとんど無感動になり、人間らしい心も閉ざし、ただひたすら目的地に向かうだけでした」
長崎原爆によって、田中さんは伯母など親族5人を亡くした。
「その時目にした人々の死にざまは、人間の死とはとても言えないありさまでした。誰からの手当ても受けることなく、苦しんでいる人々が何十人何百人といました。たとえ戦争といえどもこんな殺し方、こんな傷つけ方をしてはいけないと、私はその時強く感じました」
「核兵器も戦争もない世界を求めて」
田中さんは演説で、被爆者たちはその後何年も病苦や生活苦、偏見と差別に耐え続けることを強いられたと訴えた。
また、日本で被爆し母国に帰った韓国の被爆者や、戦後他国に移住した被爆者たちにも言及し、「被爆者特有の病気を抱えながら原爆被害への無理解に苦しみました」と思いをはせた。
世界には、即座に発射できるよう配備された核弾頭が4000発あると指摘。「みなさんがいつ被害者になってもおかしくない、あるいは加害者になるかもしれない、という状況がございます。ですから、核兵器をなくしていくためにどうしたらいいか、世界中のみなさんで共に話し合い、求めていただきたいと思うのです」と訴えた。
演説の終盤で、田中さんは核を保有する国などの市民の中に「核兵器は人類と共存できない、共存させてはならないという信念がしっかりと根付くこと」を願っていると強調。
「人類が核兵器で自滅することのないように。そして核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて共に頑張りましょう」と呼びかけた。