溺死した2歳の子どもの写真が伝えたシリア難民の苦しみ。アサド政権崩壊で「あなたを忘れない」

2015年に海岸に打ち上げられたアラン・クルディさんの写真は世界に衝撃を与えた。アサド政権が崩壊した後、ソーシャルメディアには再び追悼のメッセージが投稿されている
ギリシャの首都アテネで、シリアのアサド政権の崩壊を祝う集会に参加する人々
ギリシャの首都アテネで、シリアのアサド政権の崩壊を祝う集会に参加する人々
via Associated Press / 2024年12月8
内戦が13年以上続いていたシリアで12月8日、反政府勢力が首都ダマスカスを制圧して、親子で50年以上続いていたアサド政権が崩壊した。バシャール・アサド大統領は、ロシアに亡命したと報じられている

シリアでは2011年、「アラブの春」が波及する形で民主化を求める抗議活動が起きたが、アサド政権が武力で弾圧。

武装した反政府勢力との戦闘が内戦となり、ISなどの過激派組織も加わる複雑な紛争へと発展した。

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、2011年の紛争開始から2022年までに推定で30万6000人以上の民間人が死亡し、1400万人以上が国外へ逃れた。 

この長期化した内戦に苦しむシリア難民の窮状を伝え、世界中に衝撃を与えた写真がある。

2015年9月2日にトルコ・ボドルムの海岸で亡くなっているのが見つかった、2歳のアラン・クルディさんの写真だ。

アランさんの家族はシリアから逃れた後、ヨーロッパを目指してゴムボートでトルコからギリシャのコス島に向かっていた。

しかし、途中でボートが転覆。アランさんの遺体は海岸に打ち上げられた状態で発見された。この転覆で、アランさんと5歳の兄ガーリブさんと母親リハナさんを含む12人が亡くなった。

ギリシャへ向かう途中でボートが転覆し、妻とふたりの子どもを失ったアランさんの父親アブドラ・クルディさん(左)
ギリシャへ向かう途中でボートが転覆し、妻とふたりの子どもを失ったアランさんの父親アブドラ・クルディさん(左)
Anadolu via Getty Images / 2015年9月4日

トルコの警察官に抱え上げられるアランさんの写真は多くのメディアで取り上げられ、紛争で日常を奪われて生きる場所を命がけで探し求めるシリア難民の象徴になった。

一命を取りとめた父親のアブドラさんは、家族を失った悲しみの中、ハフポストアラビア版の取材に「逃げるための費用を工面するのは容易ではなく、ライフジャケットを買うことができなかった」と語った。

亡くなった2人の子どもの写真を手にするアブドラ・クルディさん
亡くなった2人の子どもの写真を手にするアブドラ・クルディさん
Xinhua News Agency via Getty Images / 2021年10月2日

内戦の間、アランさん家族のように国を逃れた多くのシリアの人たちが、船やボートの事故で亡くなった

アサド政権が崩壊した後、ソーシャルメディアには「幼いアラン・クルディさんのことを思い出した」「あなたを忘れない」「生きていたら11歳になっていた」など、9年前に亡くなったアランさんを追悼するメッセージが投稿されている。

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