長期化する紛争、気候変動による大規模災害、相次ぐ民間人や人道支援要員の犠牲━。
世界各地の人道危機の現場で、子どもを含む多数の人々の命と暮らしが危険に晒され続けている。
世界の紛争地や被災地で今、どのような変化が起きているのか。日本にいる私たちにできることとは。
人道支援の現場で長年、実務家として活動する傍ら、ジェノサイドの予防や国際人道法を研究してきた長(おさ)有紀枝さん(立教大学大学院社会デザイン研究科教授)に聞いた。
━近年、特にこの1年での紛争地などにおける人道危機や人道支援の現状を、どのように見ていますか。
第二次世界大戦以降、人権や人道といった規範や概念が国際社会で共有され、重要視されてきたその後に、決して起きてはいけないことが今起きてしまっています。
国際法を守るべき国家主体による国際人道法違反、人道主義の否定が、目の前で繰り広げられている。その実態と、国際社会がそれを止められないという現実を私たちは目の当たりにしています。そのことが、今後どれだけのモラルの崩壊や悪影響を未来に及ぼすのだろうと思うと、とても恐ろしくなります。
本来であれば最優先されるべき人命が軽視されるどころか、敵陣営であれば何をしてもいいという、人を人とも思わない攻撃が常態化していく中で、人道支援が可能なスペースがどんどん狭まっています。人道援助物資の搬入さえ止められるのは異常事態です。私たちは見てはいけないものを見ているというか、そういう世界にあるような気がしています。
紛争や戦争の「質」も、この数年で大きく変化しました。
冷戦が終了し、正規軍同士による国家間の戦争がなくなっていく一方で、政府対反政府勢力の争いや武装勢力による内戦、民族紛争が増えていきました。
近年はさらにその傾向が変容し、「武力紛争のほとんどは内戦である」という前提が通用しなくなっています。ロシアとウクライナが典型ですが、国家対国家、あるいは複数の国家が関与する紛争で、国家や国の正規軍が前面に出てきて、さらに反政府勢力や非国家主体ではなく、その「国家」が、あまりに深刻な、国際人道法(武力紛争法)違反を行っている、というのが、ここ最近の紛争・戦争の特徴といえます。
━人道支援に携わる人たちの犠牲が後を絶たず、11月の時点で過去最悪だった2023年を上回ったと報告されています。
援助活動の現場では近年、国連や赤十字関係者、NGOの職員といった援助従事者が意図的な攻撃の犠牲になる場面が非常に増えています。これまでもそうした状況はありました。ですが、その攻撃を反政府勢力だけでなく、国際法を遵守すべき国軍が行っている現状がある。この衝撃の大きさは表現できません。
それでも人道危機に直面している人たちを支援しようと思ったら、近くに行くしかない。人道支援に関わる人たちは、いかにリスクを減らすかに心を砕きながら、現地で活動に当たっています。
外国籍の国際スタッフの被害が注目されがちですが、犠牲者の圧倒的多数が現地職員だということも知っておかなければなりません。
アフガニスタンで、ペシャワール会の中村哲先生が銃撃された事件から5年が経過しましたが、あの時も、中村先生とともに、5人の現地の人々が殺害されています。
現地の人道支援要員の安全をどう確保するかは大きな課題です。
━気候変動による自然災害と、それに伴う人道危機も相次いでいます。
パキスタンでは2022年6月、記録的な大雨と洪水によって、国土の3分の1が水没しました。気候変動が一因とされています。その後水はひいたものの、泥で汚染が広がるなどして、皮膚病や下痢の蔓延といった甚大な後遺症をもたらしました。2024年の夏にもモンスーンによる大雨で大規模な洪水が発生し、深刻な被害が出ました。
シャリフ首相は、2022年の気候変動会議(COP27)で、その年の洪水を自然災害ではなく先進国による「人災」だと表現しました。同国はCO2の排出量が非常に少ないにも関わらず、壊滅的な洪水に見舞われたのは、温室効果ガスを大量に排出してきた先進国の責任だ、という主張です。
今の大人世代あるいは先進国が化石燃料を大量に消費してきたことで、それをこれまであまり使ってこなかった若い世代や途上国、将来の人たちに皺寄せがいく。同じ国の中でも、経済的に裕福な人は安全な地域に住めて、お金のない人は災害リスクの高い危険な場所で暮らさざるを得ない。自然災害は誰のところにも均等に襲ってきますが、その被害や復興に向かう力は人によって違います。
気候変動による災害がこれだけ増えてしまっている状況で、私たちは他人事ではいられません。最低限、「自分が行動しても何も変わらないよね」とは思わないことが重要ではないでしょうか。もちろんそれだけでは、気候変動による人道危機は止められない。ですが、少なくともそれに抗う方向へと進むことにはなると思います。
また、ある日突然発生する地震や災害ではなく、「スロー・オンセット・ディザスター(slow onset disaster)」と呼ばれる、じわじわと被害が広がり、最後には飢餓に至るほど深刻な干ばつなどの自然災害も各地で起きています。
こうした、始まりが明確ではない災害の報道は少なく、注目も支援も集まりにくい実態があります。そうした見えにくい自然災害による人道危機が増えていることも、忘れてはいけないと思います。
━著書「入門 人間の安全保障」では、いじめやDV、職場でのハラスメントといった、日常生活に存在する「暴力の種」「ジェノサイドの種」に日頃から異を唱えていかなくてはいけない、と提言していました。
文化人類学者のナンシー・シェパー=ヒューズは、ジェノサイドの典型例だけでなく、「小規模な戦争と見えないジェノサイド」こそ探求すべきだと主張しました。
暮らしの中にある、「極端な形をとれば、ジェノサイドに発展しうる構造的な力学」に目を向けることの大切さを強調したのです。
平時に、学校や職場でのいじめや人権侵害、近隣の家庭内暴力に対し、まわりの人が、特別な勇気をふるわなくとも、「それは絶対に許されない」と言える空気や土壌を作っていくことが、戦時や極限の状態に置かれたときの一人ひとりの行動や、ジェノサイドの予防につながっていくと思います。
━世界の人道危機を前に、日本にいる私たちに何ができるのでしょうか。
赤十字国際委員会(ICRC)の元副委員長ジャン・ピクテは第二次世界大戦後に記した著書の中で、「人道の4つの敵」として「利己心」「無関心」「認識不足」、そして「想像力の欠如」を挙げました。
単純な道徳律に見えるかもしれませんが、この「人道の4つの敵」は、第二次世界大戦後、彼の言葉にならない後悔と苦悩から生まれたものです。
大戦中、ユダヤ人関係者から、ナチスドイツによる、ユダヤ人迫害や虐殺の知らせと救援要請がもたらされたにも関わらず、当時のICRCは、様々な事情で、行動を起こさないという組織決定をしてしまいました。当時、秘書官としてその場にいたピクテは、戦後、全容を知り衝撃を受けます。
ユダヤ人に対する何らかの人権侵害が起きていることは承知していた。しかし、あれほどの規模と方法で行われていたことへの想像力と認識が欠けていたと。
またピクテは、「無関心は長期的には弾丸と同様に確実に人を殺す」とも主張しました。後悔という言葉では表せない、自らの経験を踏まえた、とてつもなく重い言葉です。
とはいえ、何かを知ったからといって、誰もがすぐに行動に移せるわけではありません。
思い立ってすぐに、停戦を求めるデモに行ける人もいれば、様々な事情で行けない人もいる。寄付できる人も、できない人もいます。人それぞれ、その時々に置かれた状況によっても、できることは違います。
ただ、関心を持ち続けること。無関心でいないというのは、特別の事情になければ、誰でもきっとできるはずです。そして今は何もできなかったとしても、関心さえ持ち続けていれば、将来の何かにつながると私は思っています。
━国内外で人権問題や人道危機があふれていて、その全てに関心を寄せ続けることは現実的には難しいと感じています。
平時と戦時(または非常時)の大きな違いの一つは、極論に陥らず、多様性や多様な意見を受け入れられる状態にあるか否かだと思います。
紛争や戦争のない国に生きる人たちは、「いろいろな問題に関心を持って良い」という「特権」を持っています。その人にとって心にカチッとくる対象、社会課題は、一人ひとり異なりますよね。
ある人にとっては、日本や海外の難民の問題が最大の関心ごとかもしれない。紛争地の子どもを見て胸が揺さぶられる人もいれば、国内の困窮するお年寄りのニュースを見て耐え難いと感じる人もいます。あらゆることの大前提として、地球環境問題にも取り組まねばならない。
当たり前ですが、ひとりの人が、全ての問題に関心を持ち、行動することは不可能です。ですが紛争や戦争のない社会に生きる人間の強みは、それぞれが違う領域に関心を持って、自分の意志で行動できる、そしてそれを誰からも強制も非難もされないところにあるのではないでしょうか。
それぞれの関心を開花させることが、戦争のない国で生きる人の務めでもあると考えています。
▽長有紀枝(おさ・ゆきえ)
立教大学大学院社会デザイン研究科・社会学部教授。認定NPO法人「難民を助ける会」(AAR Japan)会長。研究者および実務家として、ジェノサイド予防や人道問題、紛争地の緊急人道支援、地雷対策などに携わる。著書に「スレブレニツァ あるジェノサイドをめぐる考察」(東信堂)、「入門 人間の安全保障」(中央公論新社)など。