不登校を引きずったまま大人になり、在宅ワーク歴7年目。在宅会社員を経て、ライターの仕事をしたり、自然豊かなエリアで家庭菜園を楽しんだり、納得感のある暮らしができている。
「不登校は過去のこと」と思っていたけれど、不登校の子どもが増え続けているという報道を見てからいろいろと振り返るようになった。
実際に統計を見ると、不登校の子どもの数は大幅に増えている。私が中学生だった2009(平成21)年度は、不登校の子どもの数は12万2432人。2023(令和5)年度は34万6482人。子どもの数は減っているのに、不登校の子どもの数は3倍近くに増えている。
「不登校になると、その後どうなっちゃうんだろう?」と不安を抱える方の参考になればと思い、不登校になってから今日までの15年間の様子を振り返ってみる。
思春期の複合的な疲れから不登校に
中学3年生の夏、不登校になった。慢性的な頭痛が続いて、どうしても起きられない。いや、起きられないのは頭痛のせいじゃない。気力の問題だ。起きるための気力がゼロなのだ。「頭痛いから休む」と母に伝えた。
誰かにいじめられていたわけではない。抱えるストレスが、15歳の私のキャパを超えただけ。部活を終えて、遠くの塾に通って帰ると23時。それから、「死にたい」と繰り返す年上の彼氏の話を聞く。合唱コンクールのピアノ伴奏を担当することもかなりのプレッシャーだ。秋まで続く吹奏楽部の活動。受験勉強。時間的にも精神的にも追い詰められていた。
この頃の睡眠時間は4、5時間。厚生労働省によると、中学生の睡眠時間は8〜10時間が適正のようだ。半分しか眠れていなかったんだ。そりゃ疲れるのも無理はない。
後から分かったことだが、発達障害(ASDとADHD)の特性があったことも影響していた。違和感のないコミュニケーションを取るために過剰に空気を読んだり、教室の物音にストレスを感じたり、蛍光灯がまぶしかったり。実は幼少期からずっと「頑張りすぎ」の状態が続き、中学3年生の夏にたまたま爆発したわけだ。
不登校になった頃から、罪悪感を強く抱くようになった。給食費を払ってもらっているのに、しばらく食べてないな。みんなは毎日学校へ行くのに、私だけは行ってないな。それなのに成績は良い方だから、ズルいことをしているみたい。
意を決して、遅刻して学校へ行くこともあった。教室の後ろの扉をガラガラと開ける。35人の視線が一斉に私に集まる。その視線に深い意味はないと分かっていても、「遅刻してきた私」が浮き彫りになって、申し訳なさを感じた。
この「なんだか悪いことをしている気分」は、10年以上にわたって抱え続けることになる。明確な出来事がないときですら、うっすらと罪悪感を感じる。「なんだか生きてて、すみません」「ここにいちゃって、すみません」と、アイデンティティとしてこびりついた。
「不登校気質のまま」生きやすい世界をつくる
私は罪悪感を抱く場所に行くよりも、不登校気質のまま生きたかった。週5日、どこか決まった場所へ行くのは難しい。だけど、目標や課題に向かってやるべきことをこなすことはできるから、それをやらせてほしい。
大学卒業後は、フリーランスの働き方を選んだ。スケジュールは自由で、自分の仕事を自分でこなす。私でも生きられる社会の隙間が見つかった。在宅会社員も経験し、今はまたフリーランスになっている。
しっくりくる生き方を探す中で、半農半Xという言葉に出合った。自分たちが食べる分の作物を栽培して、残りの時間で使命と感じる仕事をする。
Xで流れてきた「半農半X講座」に申し込み、農作業をしながら1カ月間を過ごす。出会った農家のご夫婦が素敵で、それからずっと憧れの人となった。夜明けとともに起床して、自宅近くのトマト農園で仕事。お昼休みは農園の近くでお弁当と豚汁を食べる。「これは人間らしい生き方だ」と感銘を受けて、暮らしに「農」を取り入れたいと願い始めた。
私は今、小さな畑で野菜を栽培したり、田んぼで米を育てたりしている。願いは無事に叶ったわけだ。自分で野菜を育てると、人間としての根源的な欲求が満たされて、納得感がわいてくる。しっくりくる生き方だった。
今になって調べてみると、不登校と農業は相性が良いようだ。不登校の子どもたちをサポートするNPOでは、農作業をプログラムに取り入れている。JAが携わる取り組みもある。私の場合は、不登校だった頃から農作業を始めるまでに7年くらいかかったけど、「農作業は私みたいな人に合っているな」と感じている。
作物を育てることは心の健康につながる
不登校気質な私に農作業が合っていると感じるのは、次の3つだ。
1つ目は、人間らしさが戻ってくるところ。
日光を浴びることでセロトニンが分泌されて、精神の安定や幸福感につながる。手が泥だらけになるのでスマートフォンを触らなくなり、強制的にデジタルデトックスができる。不登校も在宅フリーランスも家にこもりがちなので、どうしても生活が不健康になっていきがちだ。その点、農作業は生き物としての健康的なスタイルを取り戻せるから、ありがたい。
2つ目は、作物の成長を見ることで満足感を得られるところ。
自分が手をかけたものが成長していく様子を見ると、「いいことをしている気分」を感じられて、自己肯定感が上がってくる。「今日は何もせずに終わってしまったな」と気分が落ち込んでも、畑の作物を見ると、なんとなく気分は上がってくる。作物を育てることは、心の健康につながる。
3つ目は、人生の教訓を学べるところ。
例えば、種を蒔いても芽が出ない時がある。適当に世話をしても、タイミングさえ合えば芽が出る場合もある。また、いくら良い条件がそろっていても、種を蒔き忘れると、お目当ての野菜は絶対に生えてこない。これは人生や仕事にも通ずることだ。
自己啓発本に書かれている人生の教訓は「うるさいな」としか思わないけれど、植物たちによる無言の教えは心に染み込んでくる。
自分で蒔いた種が発芽して、野菜が育つ。自分で調理して食べる。しかも雨水を利用しながら無肥料無農薬で栽培しているので、かかるお金は0円だ。一人でもくもくと、生きるための直接的な行動をしている。
中学3年生の頃から抱え続けた罪悪感は、気づけば徐々に薄れていた。作物の成長に自分が関わっていることや、人間関係に馴染まなくても「生きる」を実感できたことで、「なんだか生きてて、すみません」「ここにいちゃって、すみません」と思っていた自分が、そこにいてもいい、生きてもいいと自然に思えたのだろう。
在宅で仕事をしながら、農作業をちょこっとやる。かつて思い描いた「不登校のまま」でも成立する生き方だ。大企業で働く旧友よりは、収入は少ないだろう。でも、満足感があるので、私はこれでいい。
自分の特性のまま生きる、暮らす
不登校という言葉は、マイナスの色合いが強い。でも、長い目で見ればマイナスではなかった。自分の譲れないこだわりに気づく機会だったと思えるからだ。時間、場所、人間関係は自分で選びたい。やるべきことは自分のペースで、自分のやり方で進めたい。
私は「普通に登校すること」につまずいたからこそ、早い段階で自分を知ろうとし、理想の生き方・暮らし方を探し始めた。
つい先日のこと。「私が学校に行かなくなった頃、焦りや不安はあった?」と母親にたずねてみると、意外にもあっさりとした答えが返ってきた。
「成績は良かったし、義務教育だから退学の心配もなかったからね。そんなに不安じゃなかったかな。昼夜逆転さえ直れば大丈夫だと思ってたよ」
不登校から15年経ってから初めて親の気持ちを聞けて、肩の荷が下りた気がした。
不登校の子どもや保護者の方は、それぞれモヤモヤを抱えているだろう。しかし、元いた場所に戻ることや「普通」をインストールすることが正解とは限らない。自分の特徴を見つめたり、将来の生き方を考えたりするためのサインとして受け取ったりしながら、じっくりと自分づくりをしてほしい。
何が種になるのか、何が芽を出すのか、誰にも分からない。今の子どもたちそれぞれにしっくりくる形が見つかるように、願っている。
(編集:毛谷村真木/ハフポスト日本版)