4世代にわたる在日コリアンの家族と歴史についてのドラマ『Pachinko(パチンコ)』のシーズン2が今年、Apple TV+で公開された。
第二次世界大戦前後のストーリーの舞台となったのは、主人公・ソンジャが日本の植民地下にあった朝鮮から海を渡って辿り着いた、大阪・猪飼野(いかいの)の地だ。
同名小説を実写化したこのドラマでは、戦争の動乱の時代を貧しさや差別と闘いながら猪飼野で生きた、ソンジャとその家族を中心とする在日コリアンの人生が描かれている。
今では「猪飼野」の名前は地図から消え、生野区の大阪コリアタウンとして多くの人が集まる。2023年には、この土地の歴史を記録する資料館が開館した。
旧猪飼野の街を歩き、大阪コリアタウン歴史資料館を訪ねた。
劇中でソンジャがキムチを売っていたのはこの辺りの設定だろうかーー。
鶴橋駅を出て、そう考えながら街を歩き、昭和の猪飼野の風景を想像した。
駅前には、戦後に「闇市」としてスタートし、今も昔ながらの「市場」の雰囲気が残る鶴橋商店街が広がっている。韓国料理店や韓服専門店、キムチ店などが軒を連ね、大きな賑わいを見せている。
道ゆく人々に試食の呼び込みをするキムチ店の女性が、劇中で「キムチ美味しいですよ」「食べてみて」と呼びかけていたソンジャの姿と重なった。
駅から南東方向に歩けば、2021年末に3商店街が統合してできた「大阪コリアタウン」があり、東西500メートルにわたりK-POPアイドルのグッズ店や韓国食材店、韓国屋台グルメ店など約120店舗が立ち並ぶ。
大阪コリアタウンは今、年間200万人もの人々が訪れる人気スポットとなっている。
裏路地にできた「朝鮮市場」から大阪コリアタウンへ
大阪コリアタウンの始まりは、1930年代初期に路地裏に生まれた「朝鮮市場」だ。
今、大阪コリアタウンがあるメインの通りには、1925年にできた鶴橋公設市場(猪飼野公設市場)があり、日本人による商店が並んでいた。
その通りの裏路地で、朝鮮半島から大阪に渡ってきた人たちが生活に必要な朝鮮の食材を売り、戦後は表通りにも出店し始めたのだ。
日本の植民地支配下で困難な生活を強いられた朝鮮の人々は、生活の道を求めて日本へ渡った。しかし戦後も、帰りたくても帰れない人たちの方が多かった。猪飼野は、そのような在日コリアンの人たちが多く暮らし、商売を営む場所であり続けた。
ドラマ『パチンコ』でも出てくる猪飼野という地名は、1973年の住居表示の変更で使われなくなった。1980年代には、観光客の呼び込みや地域活性化に繋がるような「コリアタウン構想」が打ちだされ、その後、整備が行われた。
韓流ドラマやK-POPの流行に伴い、商店街は大きな賑わいを見せるようになった。
歴史を“記録”する場所をつくる意味。コリアタウンがある背景知らない人も
引き続き在日コリアンの集住地区としてあり続け、在日コリアンの商売人たちが食材店や飲食店を切り盛りする一方で、時代の移り変わりと共に、商店街を訪れる人たちの中には「なぜそこにコリアタウンがあるのか」を知らない人たちも増えていった。
そんな中で、地域の在日コリアンの商店主や生野で活動する研究者など多くの人が「大阪コリアタウンの歴史や大阪に渡ってきた在日コリアンについて学べる場所を作るべき」という思いを募らせていったという。
東京には在日韓人歴史資料館(港区南麻布)や高麗博物館(新宿区大久保)、京都にはウトロ平和祈念館(宇治市伊勢田町ウトロ)がある一方で、「日本で一番在日コリアンが多い地域なのに資料館がない」と、大阪でも資料館をつくろうという動きが広まっていった。
大阪コリアタウン歴史資料館の館長で、この土地で生まれ育った在日コリアン2世の髙正子(こぉちょんじゃ)さんは、多くの人が訪れ、賑い続けるコリアタウンを見て喜ばしい気持ちがある一方で、「韓国を追体験するような商店街を見ていると、在日コリアンの存在が『なかったこと』にされてしまうのではないかと感じる時もあった」と話す。
髙さんが幼い頃、市場の近くにあった祖母の家を訪ねる度に歩いた「朝鮮市場」は、にんにくやキムチの匂いがし、在日コリアンの人々の暮らしや食文化が垣間見える場所だった。
在日コリアンの商売人たちが、焼肉やキムチなどの食文化を発信し続けてきたことが地域の発展に繋がったのは確かだが、客層も、それに伴う店の種類も変化した現在のコリアタウンを訪れる人の中には、この土地における在日コリアンの歴史を知らない人も少なくない。
「商店主さんたちが努力を重ねて、たくさんの人が来るようになりました。一方で、古くからここにいる私たちにとっては、 私たち在日コリアンの存在そのものが忘れ去られてしまうのではないかという危機感もあります。
在日コリアンがこの地に定着し、築いてきた歴史や文化を、記録として残していかなければ、『朝鮮から大阪へ人々が渡った植民地期』と『コリアタウンとして韓国化して賑わう現在』の間に歴史の『空白』ができてしまう。その間にあった在日コリアンのあらゆる営みがなかったことになってしまう。歴史を『繋げる』ための資料館が必要だと感じていました」(髙さん)
大阪コリアタウンには観光客だけでなく、地域の学生や修学旅行生がフィールドワークに来ることもある。長年、大学などで韓国語を教えてきた髙さんも、教室での講義以外に、年に一度はコリアタウンを皆で訪れて歴史や文化を学ぶフィールドワークをしていた。
その際にも、在日コリアンの歴史を学べる場所があればと常々思っていたという。
資料館設立に向けて有志が集まって構想を練り、寄付を募ると、目標の3000万円を9カ月で達成した。他国に比べて寄付文化があまりない日本だが、各地から寄付が集まり「こういうのを待っていた」という声が寄せられた。
歴史を残す「地域の資料館」。学生が訪れ、在日3、4世がルーツ学べる場所にも
「地域の資料館」としての意味合いを込めて名付けられた「大阪コリアタウン歴史資料館」は、2023年4月にオープン。
日本では資料館や博物館の館長の大半はまだまだ男性が占めている中で、館長が女性であることにもこだわり、この地域で生まれ育ち、大阪の在日コリアンの調査をしてきた髙さんが館長に就任した。
資料館は、大阪コリアタウンの目抜通りである御幸通りから少し入った場所に位置する。
資料館の入り口前に置かれた「共生の碑」の背面には、詩人・金時鐘さんによる「献詩」が刻まれている。その詩からは、日本による植民地支配の中で朝鮮半島から猪飼野の地に渡り、暮らしの根を張ってきた在日コリアンの軌跡が浮かび上がる。
資料館の奥にはカフェを作り、誰もが入りやすいよう工夫をしている。
建物は、修学旅行生などが韓国の文化を学べるようにと、2003年にカルチャースペース「班家食工房」をコリアタウンにオープンした徳山物産創業者・洪呂杓さんの長男である洪性翊さんが、アート活動のアトリエやギャラリーとして使っていた場所を無償で提供した。
館長の髙さんは「在日コリアンの歴史を知ることが、日本と朝鮮半島の歴史や繋がりを知ることにもなる」とし、こう話す。
「隣近所の人が、もしかしたら在日コリアンかもしれないということにも思いを巡らせてほしい。文化や地域の歴史を知ることで、この地域で生きてきた在日コリアンについても、興味を持ってもらえればと思います」
個人で訪れる人たちの他に、小学校から大学まで多くの学生が課外授業やフィールドワークで訪れ、会社の人権研修の一環として訪れる団体客も。オープンから1年半で1万5000人が来館した。
在日コリアン生活史の研究者で、資料館の副館長を務める伊地知紀子さん(大阪公立大学大学院教授)は、「大阪コリアタウンを訪れた人たちにもふらっと入ってきてほしいし、在日3世や4世の若者たちが自分のルーツや生まれ育った地域について学べる場所でもあってほしい」と話す。
「在日コリアンと一言に言っても、様々なバックグラウンドを持つ人が増えていて、3世や4世の若者は植民地時代に日本に渡った1世や2世とは違い、自分のルーツを知りたい時に気軽に立ち寄って学ぶ場所がないという問題もありました。開館してからは、『ルーツを探したい』と訪れる在日コリアンの若者もいて、それぞれのペースで学べる場所になればと思います」(伊地知さん)
館内では時代別にタッチパネルのモニターも設置し、1930・40年代の猪飼野などの貴重な写真などを見ることもできる。
今、「自分」が立つコリアタウンから歴史を遡る展示
館内の展示は、多くの歴史資料館とは「逆」のタイムラインで、現代から昔にさかのぼる形で資料が展示されている。
入り口を入るとまず展示されているのは、現在の大阪コリアタウンの写真や説明だ。
そこには、来館者が立っているコリアタウンの「今」から知ってもらい、身近なことから歴史を知っていってほしいという願いが込められている。
「人は、自分と関係のないと思ってしまうことには関心を持つことが難しく、歴史も同じだと思います。日本の教育現場では、在日コリアンの歴史を取り上げることはほぼありません。大阪の都市化は在日コリアン抜きで語ることはできず、日本の近現代史も同様です。
さらに遡ると、朝鮮半島と日本の繋がりは渡来人の存在からもたどれます。しかし、こうした歴史の諸相を知る機会がなければ『自分と関係のない』歴史が展示されていると思ってしまう。だからこそ、植民地時代の歴史から入るのではなく、自分ごと化しやすいように、自分の目の前で起こっている、自分と関係がある歴史から遡っていく形を取りました」(伊地知さん)
「朝鮮市場」がコリアタウンの起源なこともあり、人々に身近で関心を持ちやすい、在日コリアンの食文化など暮らしに関する展示も多くある。
フィールドワークでの学びの場として多くの人が訪れるようになった今、目指すのは、コリアタウンを訪れた人にもふらっと入ってきてもらえるようになることだ。
トークイベントや特別展なども開催しており、韓国文化が好きで生野を訪れる人に、大阪コリアタウンができた背景や在日コリアンの歴史についても知ってもらえるよう工夫を重ねていく。
ドラマや文化を通して歴史を知る「きっかけ」に
伊地知さんは、ドラマ『Pachinko(パチンコ)』シーズン2の時代考証を担う制作コンサルタントも務めた。
食べ物やドラマなどの文化を入り口に、「歴史を知るきっかけになれば」と望んでいる。
伊地知さんは「在日コリアンに対する無関心とヘイトが蔓延する社会は地続き」だと話す。
暮らしや文化についての展示と共に、在日コリアンが経験してきた、就職や進学、住宅入居などあらゆる場面で遭う差別についても説明がある。「知る」ことから、差別を許さない社会を目指す一歩を探る。
これまで在日コリアンコミュニティに関心を持つ機会がなかった人たちにとっても、ドラマ『パチンコ』は、歴史の一部を知るきっかけとなった。
ドラマの原作となっている小説『パチンコ』の作者である、韓国系アメリカ人作家のミン・ジン・リーさんは、配偶者の東京転勤で日本に住んだ期間に、数十人の在日コリアンを取材。人々が実際に経験した出来事や差別などを小説の中に織り交ぜた。
取材を受けた在日コリアンの人々の経験や思いを、小説やドラマを通して受け取った私たちは、ドラマの最終話を見終わった後、実際に大阪・猪飼野の地を生きた人たちの暮らしや歴史を知ることで、本当の意味でドラマを「完走」することができるのかもしれない。
(取材・文=冨田すみれ子)