西田敏行さんが、故郷・福島に寄せていた思い。震災翌月にスーパーに駆けつけ、「負けないぞ」

西田敏行さんは震災と原発事故後、被災した故郷に思いを寄せ続けました。
西田敏行さん
西田敏行さん
時事通信社

福島県郡山市出身の俳優・西田敏行さんが亡くなった。

1970年に劇団青年座に入団し、舞台やテレビ、映画など多方面で活躍した名俳優は、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故で被災した故郷にも思いを寄せ続けた。

スーパーに駆けつけ「負けないぞ」

西田さんは震災翌月の2011年4月、農家らを励ます目的で郡山市のスーパーマーケットにボランティアで駆けつけ、福島県産のイチゴやキュウリを頬張り、安全性を訴えた。

その様子を報じた朝日新聞(2011年4月2日配信)の記事にはこうある。

『二重三重にできた人垣の真ん中で、西田さんは「何があっても負けないぞ。皆が元気になって、うつくしま福島を取り戻そう」と呼びかけた。買い物客からは「オー、頑張るぞ」と声が上がった』

震災から時間が経過しても故郷のために奔走し、2024年1月には県公式YouTubeで公開された動画「福島を愛しております。」に出演

「ふくしま知らなかった大使」の松岡茉優さんと、県ブランド米「福、笑い」でCMのナレーションを務める松重豊さんと共に、福島の魅力を語り合った。

「私の孫は福島生まれなんです」(松重さん)

「あーいやいやいいねえ、たいしたもんだー」(西田さん)

「福島の魅力を、県内の方にも県外の方にも広める活動をしましょうということで、いろんな場所で福島の魅力を再発見してまいりました」(松岡さん)

「果物うまいっすね」(松重さん)

「果物うまいでしょー」(西田さん)

「米もありますね」(松重さん)

「あと、いわき沖でとれるメヒカリね!」(西田さん)

「海の幸から山の幸までねえ」(松重さん)

「うまいものがいっぱいありますよね。ありがたいです。本当に愛おしいです。みんな、福島愛がみんな強い。福島ってこういうところなんだぞーっていう自慢をする人がいっぱいいる。いいですね、郷土愛があって」(西田さん)

このほか、原発事故で大きな被害を受けた双葉郡の学校教育の復興を目指して設立された県立中高一貫校「ふたば未来学園」(広野町)を応援する「ふたばの教育復興応援団」の一員になった。

2020年に開館した「東日本大震災・原子力災害伝承館」(双葉町)では、福島で起きた地震や津波、原発事故の実態などを伝える動画のナレーターも務めている。

SNS上では、「福島弁があたたかい大好きな俳優さんだった」「偉大で素敵な郡山市の先輩」「西田敏行さんに同じ小学校出身なんですって言いたかったなぁ」などと、福島にゆかりのある人たちからのコメントが続々と寄せられている。

福島県知事もコメントを発表

西田さんの訃報を受け、内堀雅雄知事もコメントを発表した。全文は以下の通り。

西田敏行さんの突然の訃報に接し、驚きと同時に深い悲しみを禁じ得ません。

西田さんにおかれましては、長年にわたり、国民的俳優として、数多くの作品に出演されるとともに、歌手や司会、ナレーションなど幅広く活躍され、県民を始め、多くの人々を笑顔にし、感動を届けてくださいました。

平成4年からは「しゃくなげ大使」を務めていただき、イベントへの参加など、本県のPR等に多大なる御協力を頂いてまいりました。また、東日本大震災と原発事故以降は、県産農林水産物の安全性PRにも力を尽くしていただきました。

特に印象に残っているのは、震災直後、西田さんが県内のスーパーにボランティアで駆けつけられた時のことです。西田さんは涙ながらに「福島は何があっても負けねえぞ!うつくしま福島を取り戻すべな!」と呼び掛けられ、その姿に多くの県民が勇気づけられました。

その後も福島の応援団として、様々な形で本県の復興を支援し続けてこられた西田さんの熱い思いと、これまでの御功績に対し、平成30 年には県民栄誉賞をお贈りさせていただきました。

昨年度、県が制作した動画に出演いただいた際には、ふるさと福島を「本当に愛おしい」と、しみじみと語っておられたことが今も忘れられません。

西田さんが心から愛された福島県が復興していく姿を今後も見届けていただきたかっただけに、本当に残念でなりません。

人間味にあふれた懐の深い演技で多くの人々を魅了した西田さんは、正に県民の誇りであり、今後も私たちの心の中で永遠に生き続けることでしょう。

西田さんのこれまでの御厚情に対し、県民を代表して深く感謝を申し上げますとともに、心から哀悼の意を表します。

UPDATE

内堀知事のコメント発表を受け、加筆しました(18:35)

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