死者・行方不明者63人を出し、雲仙・普賢岳を上回る戦後最悪の噴火災害は、紅葉シーズン、晴天、土曜日、お昼時という最悪のタイミングで起きた。
その時、頂上付近では何があったのか。捜索はどう行われたのか。資料や写真で振り返る。
紅葉の美しい時期。頂上付近は家族連れなどで賑わっていた
御嶽山は信仰の山だ。7〜8月には多くの信者たちが多く登山し、「霊峰」とも呼ばれる。
また、3000メートル級にも関わらず7合目付近までロープウェーや車で登れるため日帰り登山がしやすく、家族連れや登山の初心者にも人気だ。ダケカンバやナナカマドの紅葉が美しい時期には、多くの登山者が訪れる。
2014年9月27日。紅葉シーズンの土曜日だったこの日はよく晴れ、御嶽山には子どもを含む家族づれなどが大勢訪れていた。
単独で登り、噴火直前に頂上に到着した山岳ガイドはこう振り返っている。
「頂上周辺には100人位はいただろう。楽しそうな笑い声、記念写真、雲の切れ間から見え出した八ヶ岳、南、中央アルプスに湧く歓声。おにぎりをほおばる人、お湯を沸かす人、靴を脱ぎ寝そべりくつろぐ人。それぞれが晴天の頂上を満喫していた」
噴火したのは午前11時52分。噴火が起きてから噴石が落ちてくるまで、逃げる時間はほとんどなかった。
「ドキュメント 御嶽山大噴火」(山と渓谷社 編)によると、頂上付近にいた男性は「多分、誰かが異変を知らせる声を上げてから噴石が降ってくるまでの時間は五秒くらいしかなかった」と証言。しかもその後、灰が降ってあたりは真っ暗になった。さらに、ガスの臭いや熱風が襲い、「死を覚悟した」と何人もの被災者が話している。
長野県が作成した記録集によると、山頂部に落ちた噴石は「大部分は長径30センチ以下であったが、大きなものは長径70センチほど」。この記録集でも、被害が大きくなった原因の一つに、噴火から噴石が落ちるまでの時間の短さを上げている。
「検証 御嶽山噴火 火山と生きる-9.27から何を学ぶか」(信濃毎日新聞社)では、「直径10センチ以上の噴石が時速約300キロで」落ちたとしている。「ドーン」「バキッ」という音がそこここでしていたという。
最も死者が多かったエリアは山頂・剣ヶ峰周辺。32人が亡くなっている。剣ヶ峰にある御嶽神社奥社の祈祷所は施錠されており、火口と反対側のひさしの下には噴石を避けようと多くの人が詰めかけた。
しかしそのひさしも50センチ程度。生存者は、そのひさしの下に入れたかどうかが生死を分けたと証言している。
「検証 御嶽山噴火」によると、剣ヶ峰付近で被災した男性と息子は、ひさしの下にかろうじて入り助かった。しかし避難が一瞬遅れ、ひさしの外に出てしまった弟とおいは亡くなった。噴石がやみ薄明るくなったとき、灰の中には複数の人が折り重なっていたという。
剣ヶ峰から王滝山頂までのおよそ500メートルは開けた斜面で、身を隠せる大きな岩が少ない。シェルターもない。ここでは17人が亡くなっている。
多くの人が、体を隠す場所を探し逃げ惑った。小さな岩陰に隠れてなんとか生き延びたものの、隣にいた妻を亡くした男性も。同じくこの周辺で被災した登山ライターは「噴石に当たるかどうかは運でしかなかった」と「検証 御嶽山噴火」で振り返っている。
死者・行方不明者には小学生や高校生もいた。登りやすく、地元の人には「お山」と呼ばれ親しまれてきた山は突然、多くの人の命を奪った。
噴火17日前、火山性地震が増えていた
実は噴火17日前の9月10日、御嶽山では「火山性地震」が増えていた。この日は1日52回、翌11日は85回。1日50回を超える火山性地震があったのは、ごく小規模な噴火があった2007年以来だった。
しかし、地殻変動などその他の変化が確認されず、噴火警戒レベルは1(平常※2015年5月に「活火山であることに留意」に変更)が保たれ、火口から1キロ以内の立ち入りを制限するレベル2(火口周辺規制)には引き上げられなかった。
気象庁は9月11日に「解説情報」を出して地元自治体などに警戒を呼び掛けたが、噴火警戒レベルが保たれていたこともあって大きく報道はされなかった。その後、噴火前日まで、地震の数は落ち着いていた。被災した人の中にも、こうした情報が出ていたことを知らない人もいたという。
景色は一変。困難な捜索
火山灰が広範囲に降り注いだため、山頂付近は灰色一色に。異様な景色となった。
噴火当日に多くの登山者が山小屋関係者の誘導もあって下山したが、けがなどで山頂付近に止まった人もいた。行方不明者の情報も多く寄せられ、警察や消防、自衛隊が捜索に入った。
3000メートル級の山で高山病の恐れもある上、さらなる噴火や硫化水素など有毒ガスの危険もある。山肌には火山灰が積もり、粘土のようになっている。捜索は困難を極めた。
ぬかるんだ地面は体力を奪う。有毒ガスの濃度もいつ上がるか予想が難しく、捜索隊員が現地に持ち込んだ計測機は何度もピーピーと鳴った。ガスの濃度や悪天候などで捜索を中止せざるを得ないこともあった。
避難のためのシェルターを設置、避難訓練も
被災した人たちは全国各地から集まっており、当初つながりを持つことは困難だった。そのため被災者の家族らは「山びこの会」をつくって横のつながりを持ち続け、行政に要望を伝え捜索を行うなど活動を続けている。
山びこの会は2023年9月13日、長野県庁で記者会見を開き、7月に行われた捜索でストックが見つかったことを報告した。行方不明になった5人のうち、1人が使っていたものだと判明したという。
噴火から9年経っても、5人は行方不明のままだ。
御嶽山の噴火警戒レベルは噴火直後に3(入山規制)に引き上げられたが、その後段階的に引き下げられ、2017年8月以降は噴火当時と同じレベル1に。2022年2月に火山性地震が増加したことなどからレベル2(火口周辺規制)に引き上げられたが、6月には再びレベル1に引き下げられた。
噴火を契機として登山口に御嶽山ビジターセンターも開設され、噴火災害の教訓や現在の規制、歴史などを伝えている。