ろう者の両親のもとに生まれたコーダである五十嵐大さんが実体験を綴った『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』(幻冬舎)が映画化され、『ぼくが生きてる、ふたつの世界』のタイトルで公開中だ(※)。
本作では、コーダである主人公を吉沢亮さんが、ろう者の両親をろうの俳優である、忍足亜希子さんと今井彰人さんが演じている。その他、多くのろうの登場人物を当事者が演じており、全編が当事者だから表現できるリアルさに満ちた作品だ。
監督を務めたのは、『そこのみにて光輝く』(2014年)や『きみはいい子』(2015年)の呉美保監督。ろう者やコーダの現実に「正直、無知だった」という呉監督は、いかにして当事者にも通じるリアリティを生み出したのか。さらに、映画に対する率直な思いを原作者の五十嵐さんにきいた。
※単行本は文庫化に際して『ぼくが生きてる、ふたつの世界』に改題された。
原作者から見た映画のリアリティ
原作者の五十嵐さんは、映画化のオファーを受けた時、ある種の不安を抱いたという。それは、フィクションの中で「障害者が感動の材料のように使われることが少なくないと感じていた」からだ。そうした懸念を抱きながら、映画化を受諾したのは、呉監督やプロデューサーの山国秀幸さん、脚本の港岳彦さんの姿勢に胸打たれたからだという。
「初めてお会いした際、コーダやろう者、手話のことを熱心に質問してくださって。すごく真摯な姿勢で取り組んでいることがわかりましたし、監督や港さんもそれぞれにマイノリティとしての経験をお持ちだったので、共通する痛みや葛藤があるのかもしれないと思い、この人たちなら大丈夫と映画化をお願いしました」(五十嵐)
五十嵐さんは映画化に際して、ろうの当事者が何かしらの形で関われるようにと要望を出していた。それは、想像以上の形で叶えられたという。
「今回の映画はろうの登場人物を全員ろう者が演じて、さらに手話演出にコーダ監修まで入れてくださった。僕が想像していた以上の体制だったので、本当にありがたいと思っています」(五十嵐)
完成した映画を観て、原作者としても本作のリアリティレベルは目を見張るものだったようだ。
「セリフをただ手話に置き換えただけじゃなく、それぞれのキャラクターが使う手話が生きていると感じたんです。
例えば、主人公がパチンコ屋で出会う、河合祐三子さん演じる人物は、手話そのものが豪快で、陽気な人だというのが手話の芝居で伝わります。あと、主人公が同世代のろう者と飲みに行くシーンですね。みんな酔っていることもあって、テンションが高いしすごく勢いのある、音声で例えるとマシンガントークみたいな手話なんですよ。この子たち、本当におしゃべりなんだろうなってわかる手話になっているんです」(五十嵐)
手話演出、通訳、コーダ監修など常時8名ほどが参加
原作者も認めるレベルのリアリティを、現場でどのようにして作ったのか。呉監督たちは、監修にとどまらず、演出を一緒に行う手話演出を2人起用する選択をした。
「『Coda コーダ あいのうた』のパンフレットでDASL(ディレクター・オブ・アーティスティック・サイン・ランゲージ)という専門職があることを知りました。手話の演出を含めた、ろう者の登場人物を監督と一緒に演出する役割です。従来は、手話監修くらいの関わりにとどまっていたところ、一緒に演出してくださる方を探して、早瀬憲太郎さんと石村真由美さんの2人に参加していただきました」(呉監督)
手話をキャラクター描写レベルで掘り下げられる演出家を配した上で、現場には手話通訳を含めて常時8名ほどの手話に関わるスタッフがいたという。
「私が役者さんとやり取りする時、手話演出の2人に加えて手話通訳の方も入ります。手話通訳は身体への負担が大きく集中力が必要なため、20分間ごとに交代するようにしていました。さらに、ご自身もコーダである稲川悟史さんにコーダ監修として入っていただいています」(呉監督)
今作でコーダの主人公を演じた俳優の吉沢亮さん。吉沢さんの芝居は原作者の目にはどう写ったのだろうか。
「コーダ仲間も試写で映画を観てくれたんですが、『吉沢さんって公表してないけどコーダなの?』って言う人もいたぐらい、違和感がなかったんです。これは監修や演出、そしてご本人の努力の成果だと思います。
一番印象に残ったのは、『こんな家に生まれてきたくなかった』と主人公が母親に感情をぶつけるシーンです。ここでは手話と声が同時に出てしまっているんですが、僕を含め、コーダの中にはそういう人がいます。実際に感情が高ぶると手も動くし、言葉も出てしまうんです。このシーンは観る前からどうなるのか、気になっていたんですが、画面越しに苦しくなってしまうくらい心を動かされました」(五十嵐)
コーダはみな、手話が上手いと思われがちだが、家庭環境や教育方針などによって手話の習得度が異なる。五十嵐さん曰く「コーダの中にはネイティブレベルの人もいるけど、自分は中途半端なタイプ」だという。その微妙な塩梅を表現するために、手話演出とコーダ監修が密に計算したという。
「吉沢さんの芝居は、手話演出の2人に芝居を作ってもらった上で、コーダ監修の稲川さんが主人公の観点からさらに作り込んでいます。
言葉にするのも難しいコントロールできないという感情を、手話で果たしてできるか、現場に入るまでは不安もあったんですけど、吉沢さんがすごく努力してくれたこともあって、言葉にできない感情を手と身体に染み込ませた上で表現してくれました。終わった後、みんなで目を合わせてうなずき合いましたね」(呉監督)
忍足亜希子さんの「声を出した」芝居
今作が持つリアリティはこうした体制づくりに加え、呉監督の演出姿勢も大きく影響している。呉監督はオーディション時にろう者の俳優の芝居を観て、あることに気が付いたという。
「皆さん、日常の所作と芝居を切り分けていらっしゃるのか、雑談の時とは違う感じで話されるのが不思議だったんです。すごくきちっと伝えようとされるんですね。芝居はそういうものだと思って割り切ってらっしゃるのかもしれません。ある意味、舞台の芝居っぽかったんですよね。
でも私は、雑談してる時の、生きた手話の芝居が欲しかったんです。思えば、聴者のオーディションでも私は同じようにやっているので、結局一緒なんだなと思いました」(呉監督)
現場においても、その芝居の方針は徹底された。呉監督が現場で一番言った言葉は「もっと適当にやってください」というものだったという。
「現場のリハーサルでも、みなさんきちっとやってくれるんですが、『大丈夫、もっと適当でいいです』とずっと言い続けていました。それ以外の言葉が思いつかず(笑)。忍足さんに対してもずっと『サラっとやりましょう』って言っていましたね」(呉監督)
そうした演出の結果、忍足さんのご家族から、ある嬉しい感想をもらったという。
「完成披露試写会後の忍足さんご家族の第一声が、『うちの奥さん、(映画の中で)声出てたんです』でした。お子さんも『いつものお母さんだった』と言ってくれて。忍足さんが今まで出てきた映画やドラマでは、声を出していなかったんですね」(呉監督)
ろう者の声をフィクションの作品できくことは確かに少ない。それはろう者は声を出さないという、ある種の決めつけが製作者や観客にあったということだろう。だが、実際には声を出すろう者もいる。
「忍足さんは今までこんなにしっかりマイクを付けて演じたことがないとおっしゃっていて、びっくりしました。お父さん役の今井さんも笑う時に声を出されるんですよね」(呉監督)
五十嵐さんもこれは重要なことだという。
「試写で初めて見たとき、忍足さんの声が出ていて、本当にコーダを育てている親だなって非常に感動しました。僕の両親も、僕に話しかけるときは手話を使いながら声も出すんです。それはきっと、耳がきこえてしまうコーダである息子に対する、親としての愛情だったのではないか、と思っています。
だから、これまでのドラマなどで描かれるろう者が徹底して声を出さないことに、ずっと違和感があったんです。ろう者も声を出して笑うし、静かに手話だけする人ばかりではないのにな、と」(五十嵐)
ろう者が声を出せないという誤解が広まっているとすれば、ドラマや映画で声を出さない存在として描いてきたことにもその責任があるかもしれない。
また、呉監督は世代を反映する描写も意識した。
「歴史的に大事なのは、忍足さんや今井さんの演じた世代はろう学校でも手話を禁止されていて、口話を教えられていた世代なので、声を出し慣れているのもあります。逆に、今の若い人は手話が言語と認められた世代なので、声を出さずに手話だけの人も多いと聞きました」(呉監督)
映画は、そうしたろう者の受けた教育の歴史も細やかに反映している。
「世の中捨てたもんじゃない」
この映画の原作となった本が生まれたきっかけは、2019年6月にハフポストで五十嵐さんが書いたエッセイ「耳の聴こえない母が大嫌いだった。それでも彼女は『ありがとう』と言った」だ。
掲載から5年、この間にコーダを描いた作品がアカデミー賞を受賞し、日本でもコーダであることをYouTubeで発信する人などが登場している。五十嵐さんはこの5年の社会の変化をどう感じているのか、最後に率直に語ってもらった。
「少しずつ社会は変わってきたなと思う一方、その進みがゆっくりだなと正直思う時はあります。あのエッセイを書いた時、ただコーダという存在を知ってもらいたい、ろう者の両親のことを知ってもらいたいと思いつつ、『どうせ理解されないだろうな』みたいな諦めも、実はあったんです。
でも、今回こうして監督とご一緒して、世の中捨てたもんじゃないなって気持ちになったんです。『無知だった』と言っていた監督が今はコーダやろう者についてすごく詳しくて、こんなにリアルな映画を作ることができている。
それに、聴者とろう者とで受け取る情報になるべく違いが出ないように、映画には音楽を使わないという選択をしてくれてもいる。短期間でこれだけ詳しくなり、コーダやろう者に歩み寄ってくれる人がいるなら、諦めている場合じゃない、これからも自分にできることをして伝えていきたいと前向きになれました」(五十嵐)