東京電力福島第一原発事故後の2011年10月に始まった福島県「県民健康調査」甲状腺検査。
第1回の記事では、甲状腺や甲状腺がんに関する基本的な知識、過剰診断の意味、福島で見つかっている甲状腺がんと原発事故は因果関係がないと考えられる理由などについて確認した。
第2回では、学校で受ける甲状腺検査が任意性を担保できない理由、検査を受けることで発生するデメリット、なぜ福島県や福島県立医科大学は過剰診断という4文字を公に使わないのかなどについて、宮城学院女子大学教授の緑川早苗教授に聞いた。
◇緑川早苗さんプロフィール◇
1993年福島県立医大卒業。2011年に始まった福島の甲状腺検査に当初から携わり、15〜18年に甲状腺検査室長。20年3月に福島医大を退職し、同年4月から宮城学院女子大学教授。専門は内分泌代謝学。共著に「みちしるべ 福島県『甲状腺検査』の疑問と不安に応えるために」「福島の甲状腺検査と過剰診断ー子どもたちのために何ができるかー」。甲状腺検査に悩む人の相談を受ける任意団体「POFF」を設立し、共同代表を務めている。
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検査はまるで「学校行事」。危機感を抱いた
ーー福島の甲状腺検査では、小学生から高校生は学校で検査を受けています。緑川先生はこの学校検査の弊害について指摘されていますね。
甲状腺検査の検査対象者は約38万人です。健康診断のノウハウを活用した学校検査は、非常に効率的に検査をこなすことができたのです。
しかし、過剰診断の可能性が徐々に明らかになってきてから、学校検査の弊害を感じ始めました。具体的には、検査を受ける任意性が担保されていないという点です。
検査を受けたくない人が学校では断りにくい雰囲気があり、受けなければ“浮いてしまう”という話をよく聞きます。学校の先生に受けない理由を説明しなければならないこともあったそうです。
検査が全児童・生徒が当たり前に参加する「学校行事のようなものになっている」と危機感を抱きました。まさに運動会や文化祭のような感覚で参加するものとなっていたのです。
デメリットの大きい検査であるにもかかわらず、子どもたちが当たり前のように検査を受けているのは倫理的に非常に大きな問題だと思います。
私は過去、福島医大の中で「学校検査が強制的になっている」と問題提起したこともあります。しかし、「強制的というのは『アウシュビッツ』のようなことを指す時に使う言葉だ」という意見もあり、その後は学校検査が義務的になっていると言葉を変えました。
「本当に放射線が心配で検査を受けているのであれば、高校卒業後の受診率が一気に落ちるはずはない」と訴えましたが、これも受け入れてもらえませんでした。
少し話がそれますが、私は自分の子どもだけ検査を避けさせていいのかということについてもずっと悩んできました。
子どもは小学5年で1回目、中学1年と3年で2回目・3回目を受け、4回目は高校2年の時だったのですが、「どうする?」と聞くと、「放射線の影響は心配していないのでどっちでもいい。これまでも学校でやっているから受けていただけ」と答えました。
その頃、私は甲状腺検査室長だったため、立場を利用して自分の子どもにだけ検査のデメリットを説明し、受けないという選択肢を取れるようにしたのかもしれません。本来は他の子どもたちにも十分説明しなければならない立場だったのに。
ちなみに、クラスで検査を受けなかった同級生は子どものほかに1人だけだったそうです。
福島医大がメリットとして挙げているもの
ーー学校検査で任意性が担保できないという点でいえば、同意書の回収を学校に協力してもらっていたという話もありますよね。
検査を受けるかどうかに関する同意書は福島医大に返送する仕組みですが、当初は同意書をいかにして集めるかが福島医大の中でも重要な課題でした。
同意書を返送しない人や忘れる人も増えていき、次第に学校で同意書を集めるほうが楽だという考え方に流れていきました。
「締め切りに間に合わなかった人は学校に持ってきてください」と、学校長の名前で文書を出していたこともあります。担任の先生が同意書を提出していない生徒の名前を呼んで持って来させることもあったそうです。
最近は学校側に回収を依頼するのをやめているそうですが、これは「任意性を担保できていない」と批判されないようにするための福島医大の対策のように思われます。本当に任意で行おうとするならば、学校で行うこと自体を中止しなければならないはずです。
ーー学校検査が任意性を担保できていないという問題点は理解できました。このほか、検査を受けることへのデメリットが十分周知されていないという問題もあるのではないでしょうか。
そもそも福島の甲状腺検査にメリットはありません。県や福島医大がメリットとして挙げているものは根拠がないのです。「甲状腺検査のメリット・デメリット」という県の冊子には、次のような三つのメリットが列挙されています。
①検査で甲状腺に異常がないことが分かれば、放射線の健康影響を心配している方にとって、安心とそれによる生活の質の向上につながる可能性がある
②早期診断・早期治療により、手術合併症リスクや治療に伴う副作用リスク、再発のリスクを低減する可能性がある
③甲状腺検査の解析により放射線影響の有無に関する情報を本人、家族はもとより県民および県外の皆様にもお伝えすることができる
まず、①についてですが、A2判定でさえも子どもの安心にはつながっていません。例えば風邪などをひいてリンパが腫れた患者さんで「福島の甲状腺検査で異常と言われたことがあり、がんでリンパが腫れたのでは?」と受診する人もいます。結果を聞くと、A2判定ののう胞だと言うのです。これと同様のことは何度も経験しました。
現在、A2判定の割合は7割前後に上っていますが、二次検査の必要もないのに「なにか異常があるのでは」と心配になる人も多い。それなのにメリットとして挙げられている「安心につながる検査」というのは通じません。
二次検査となるB判定であってもほとんどは良性結節です。しかし、Bと言われた人たちは「ついにがんと宣告されるのか」と悩みに悩みます。
例えば、ほかの子に比べ一次検査が長かった人はずっと「がんかもしれない」と悩みます。中にはそのことを家族に話すことができず、1人で思い悩む人もいます。二次検査の診察室に入った時にこらえきれず、突然泣き出した子もいました。
繰り返しますが、これが安心につながる検査なのでしょうか。そもそもA1、A2、B、Cという判定は福島医大が勝手に分類したものですが、Bと言われたらがんと宣告されたように思い悩む人も多いのです。
ーーメリットとして挙げられている②と③についてはいかがでしょうか。
②はエビデンスがありません。スクリーニングが予後を改善したり、再発を減らすということは証明されていないのです。
③は疫学的なメリットであり、個人のメリットではありません。それなのに、③を個人のメリットとして挙げるのは倫理的に問題があると思います。
私はよく学校の出前授業に出向き、検査の理由や詳細を説明していましたが、純粋な福島の子ども達のなかには「検査を受けて何もなかったら福島は大丈夫だと証明できるので嬉しい」と言う子もいるのです。
過剰診断の問題が出てき始めてからは、非常に残酷なことを子ども達に強いていると感じました。疫学的なメリットを個人のメリットの部分に記載するというのは、子どもたちの善意を利用してデータ収集をして研究していることと一緒なのです。
「まかりならん」論文の投稿を拒否された
ーー福島県や福島医大は「過剰診断」という言葉を使ってデメリットを説明していません。なぜ頑なにこの4文字を使わないのでしょうか。
過剰診断という言葉で指摘されると、研究者の中には「責められた」と感じる人が一定数います。過剰診断は決して医療ミスや誤診ではないのですが、忌み嫌われているのです。だから、過剰診断という言葉に過剰反応します。
また、疫学やスクリーニングの教科書を読むと、「スクリーニングをした時の最も大きな害は『過剰診断とその経験』」と書いてあります。冊子には害そのものについては短く記載されていますが、その経験のほうはほとんど説明されていません。
がんと診断されると、身体的、精神的な負担のほか、生命保険やローン契約の不利な取り扱い、就労やライフイベントで不利益を被る恐れがありますので、これらの経験の害はデメリットとして子どもや親に周知するべきです。
検査の任意性が十分担保されていない上、デメリットも十分周知されていない。医療の倫理という意味でやってはいけないことをしています。
ある高名な先生が講演で、チョルノービリ原発事故でも過剰診断を指摘する人はいたが、甲状腺のスクリーニングをやり始めたら必ず過剰診断と言う人が出てくると発言されました。それに対しては戦略的に対策しなければならないと述べました。
講演を聞いて私は怒りを抑えることが難しかった……。そのくらい過剰診断という言葉を認めるということは、今後の甲状腺がんスクリーニングに関する研究に大きな影響を与えるということなのでしょう。そしてそれは甲状腺検査を利用している研究者にとって非常にマイナスなのです。
学術的な利益、社会的な地位、多くの人から感謝され、英雄になれるかもしれない。ただ、その裏には子どもの善意が利用されている、がんと診断されずに一生を過ごせる若い人をがん患者とし、その一生に影響を与えるという現実がある。まさに医の倫理の問題です。
ーー緑川先生は2015〜18年、甲状腺検査室長として検査を変えようと尽力されていました。
2015年に甲状腺検査室長となり、検査全体の責任を負う立場になりました。甲状腺検査の専門委員会を開催したり、医大や検討委員会で現状を報告したり、いわゆる管理職のような仕事が多くなりました。
加えて私たちは検査に関して十分説明するということをシステム化していきました。それまでは、検査を受けたらそのまま帰宅させられ、検査結果は郵送で届くという状況だったのですが、検査の終了後に「のう胞は心配いりません」などと、画像を見せながら結果を説明したり、学校で甲状腺検査に関する出前授業をしたりしました。
出前授業や住民説明会では福島の被ばく線量は甲状腺がんが増えるほど多くないことや、発見された甲状腺がんと原発事故との因果関係は認められないことなども伝えました。リスクコミュニケーションにかなりの時間を費やしたと記憶しています。
また、2014年に甲状腺がんの過剰診断問題についてまとめた韓国の論文が権威ある「New England Journal of Medicine」に掲載されて以降、過剰診断が福島でも起きているということをはっきり自覚しましたので、それを学問的に確立しなければならないと感じていました。
このままでは過剰診断の被害がますます広がってしまう。そう考え、検査の基準を変更しようとしました。
ーー福島の甲状腺検査では5.1ミリ以上の結節が見つかると二次検査の対象となりますが、緑川先生は10.1ミリ以上に変更するよう求められていますね。
当時のデータを解析すると、検査2順目は71人ががん(疑い含む)となりましたが、71人のうち半分以上は結節の大きさが5.1〜10ミリでした。
つまり、10.1ミリ以上を二次検査の対象とすれば、二次検査に進む数は半分になるわけです。二次検査を受けなければがんとは診断されず、デメリットを被る可能性は減りますから。
さらにアメリカの甲状腺学会が2015年、甲状腺結節は10ミリを超えたときに精査を行うとするガイドラインを示しました。被ばくなどで発がんリスクがあったとしても、触診を実施した上での精査を推奨しています。
このようなガイドラインが出されたのは、過剰診断を抑制するという考えがあるためです。私たちも、14年に韓国の論文、15年にアメリカのガイドラインが示され、それ以降も福島の甲状腺検査のデータを分析するなどして過剰診断が起きていると確信しました。検査を受けた人には、この事実をきちんと説明しなければならないと改めて感じました。
検査で甲状腺がんが多く見つかっていることについて、「被ばくのせいではないか」と聞いてくる人に「そうではない」と答えるのに、何が要因なのか説明できないというのは問題です。少なくとも福島医大側は公に過剰診断という言葉を使っていません。
過剰診断ではなく、将来に症状が出るがんを早く見つける「前倒し診断」と主張する専門家もいるのですが、1巡目で約30年分を前倒しで診断しているという解析もありますので、2巡目、3巡目でも多く見つかっているのはおかしいですよね。過剰診断が生じていなければ説明できないと思います。
私たちは2015年以降、住民にきちんと検査のことを説明するように心がけました。2017年からは会議や説明会でも過剰診断の影響を話すようになったのですが、それからだんだんと穏やかではなくなってきたのです。
大学執行部や甲状腺・内分泌センターの責任者は口々に「そういうことはまかりならん」と言い始めました。つまり、「過剰診断ということは言わないように」ということです。
ーー何か根拠があって「まかりならん」と言っているわけでもなさそうですね。
先ほど、学校で行う検査は任意性を担保できていないという話をしましたが、一度そのことを論文にまとめたことがあります。
しかし、科学的あるいは倫理的見地に立った議論はなく「まかりならん」と福島医大側に論文の投稿を拒否されました。そのようなことが多々起きるようになり、2018年度末に上層部に呼び出され、甲状腺検査とは直接かかわらない新しい部署に異動するよう告げられました。
福島の甲状腺検査に深く関わる仕事から突然外されたのです。この頃はしょっちゅう呼び出されていましたが、過剰診断について書く度に「このスライドは悪意がある」「委託を受けている立場で検査を批判してはいけない」と言われていました。科学的な観点で考えたら言いがかりです。
私たちが書いた論文には過剰診断という言葉を使っているのですが、「Overdiagnosis(過剰診断)」という単語に全て斜線が引かれたこともありました。
福島医大の検査の責任者も、過剰診断とわかっているのに検査を継続すれば、倫理的な問題が発生するという認識はあるのではないでしょうか。まるで、過剰診断という言葉がないかのように扱われていました。
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インタビュー記事の第2回では、学校で受ける甲状腺検査が任意性を担保できない理由、検査を受けることで発生するデメリット、なぜ福島県や福島医大が過剰診断という4文字を公に使わないのかなどについて聞いた。
第3回では、福島の甲状腺検査がなぜ倫理的に問題なのか、過剰診断は世界的なコンセンサスであるにもかかわらず検査が止められない理由、不安を煽るように報道したメディアの問題点などを報じる。