日本で暮らす移民の子どもたちの、「母語教育」について記録したドキュメンタリー映画が完成した。今秋、東京や大阪、名古屋などで上映会が開催される。
《日本にやってくる外国ルーツの人々の母語は誰が保証するのでしょうか。彼らを受け入れる日本はここ数十年でどう変わってきたのでしょうか》
映画『In Between -In Search of Native Language Spaces-』(邦題『はざま -母語のための場をさがして-』)監督の朴基浩さんは、そう問いかける。
日本で暮らす海外ルーツの子どもたちは、主に日本語を使って生活する中で、出身国の言語が話せなくなるケースが増えているという。
日本の各移民コミュニティは手弁当で母語を学ぶ教室を開いているが、資金や場所の確保などの問題に直面している。
ドキュメンタリーは、日本各地にあるネパール、バングラデシュなどのコミュニティの母語教育現場の「いま」を記録した。
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祖国の親戚とも意思疎通できなくなる子ども。「母語教育」の重要性
映画では、日本で暮らすネパール人の子どもが、祖国にいる親戚とビデオ通話で話すシーンがある。
親戚はネパール語で話しかけるが、日本での生活が長い子どもはネパール語で会話をすることはままならない。
母親は、子どもが親戚とも意思疎通できない状態を悲しむも、「日本で住んでいる地域では母語を学べる教室を見つけることは困難」だと話す。
親が日常的に子どもに母語で話しかけて理解はできたとしても、会話をしたり、読み書きをしたりという能力は家庭内で教えることが難しい場合が多い。
これは、このネパール人家族だけでなく、日本各地の外国人コミュニティで起きている現象だ。
そのような子どもたちの多くは、親の仕事の関係などで日本へ移住し、親の扶養家族として「家族滞在」の在留資格で暮らす。
しかし、親が仕事を辞めたり、失業したりして帰国することになった時には子どもの在留資格もなくなるため帰国することになる。その際、出身国の言葉を話せない子どもは、いきなり帰国しても学校の勉強についていけず、生活をすることも難しい状態に陥る。
そのような状況を防ぎ、さらには子どものアイデンティティのためにも、移民コミュニティでは母語教育が重要視されている。
「空き教室を借りられたら…」場所の確保に苦労
海外では、日本から来て現地で生活する子どものための日本人学校や補習校があるなど、日本語を継続して学び続けるための環境が整備されていることも多い。
しかし、日本で暮らす主に発展途上国出身の家族には、そのような学びの受け皿がないことがほとんどだ。
映画では、日本のネパール、バングラデシュ、ミャンマー、日系ブラジル人コミュニティなどの母語教室を取材している。
多くの教室では公民館や地域センターなどの一室を借りて、コミュニティの大人が週末や放課後などにボランティアで母語を教えている。
しかし、定期的に場所を借りることは困難で、どのコミュニティも教室の場所、そして資金面の問題を抱えている。
どの教室の運営者も「地域の学校の空き教室を、放課後や週末に借りられたら」と望んでいるが、セキュリティ面などを理由に実現が難しいと断られている状況という。
映画は、「Migrant Children Language: MICLE」プロジェクトが、公益財団法人「トヨタ財団」の助成を受けて制作した。
同プロジェクトは、以下のように日本政府の問題点を指摘する。
《「子どもの権利条約」は、移民の子どもが出身国の言語や文化を尊重する教育を受ける権利の保障を受け入れ国に求めているが、日本政府はその締約国でありながら、ほとんど関与してない》
プロジェクトでは映画制作と共に、移民の子どもの言語教育や帰国した子どもの社会再統合の実態調査などを実施しており、映画も母語教室に対する日本政府からの支援をめぐる政策提言に繋げていくことが狙いだ。
プロジェクトの代表を務める上智大学教授の田中雅子さんは、日本政府がすべき言語学習の支援として、「学ぶ場所の提供はして当然」と指摘する。
「海外ではオーストラリア、日本でも過去には神戸などで自治体が、移民の母語教室に場所の提供をしていました。そのような良い例は広めていくべきだと思います。自治体はセキュリティの問題などを理由に逃げ腰になっている状況です」
放課後や週末などの、教室を使っていない時間帯に借りられるだけでも、学びの機会の可能性はぐんと広がる。
同じ地域に暮らす仲間である外国人の子どもたちが、学校で習う日本語や英語だけでなく祖国の言語を話せるようになることは、その子どもの将来の可能性を大きく広げることにも繋がる。
田中さんは「日本全体として複言語(多言語)社会を目指していくというのは、 日本人にもメリットがあるはず」とも話し、映画を観る人たちに対しては以下のような思いを語った。
「日本では今、様々な地域に様々な国の人たちが暮らしています。自分の地域だったらどうだろう、ということを考えながら観てほしいです」
監督の在日コリアンとしての経験。映像に込めた思い
映画の序盤には、在日コリアンとしての朴さん自身の経験や、学生時代のアイデンティティをめぐる葛藤や悩みなどを振り返るシーンがある。
朴さんは幼稚園と小学校時代、兵庫県尼崎市にある朝鮮学校に通った。
映画の撮影で日本にあるネパールのインターナショナルスクールを取材した際には、朴さんが通った朝鮮学校の経験を思い出す時もあったという。
朴さんは「私自身、言語に関しても、アイデンティティクライシスは10代からずっとあって、いつか向き合わないといけないと思っていた」と話す。
監督自身が自らのアイデンティティや言葉をめぐる葛藤に向き合い、その上で、日本の各移民コミュニティを取材した形だ。
朴さんは、在日コリアンをはじめとする外国籍の住民が多く住む大阪市生野区で、子どもたちの日本語学習や子ども食堂などを開くNPO法人「IKUNO・多文化ふらっと」の活動にも携わっている。
朴さんは映画を通して、「移民の子どもたちが置かれる現状をあまり知らない人にも、少しでも興味を持ってもらえれば」とし、こう話した。
「この映画は母語の話がメインですが、撮影を通して日本社会のあり方についても考えました。様々なバックグラウンドを持つ人たちが本当に一緒に生きる国であるためには、今のままの日本社会でいいのでしょうか。
この映画が、移民の問題について、そしてそれ以外の社会保障などの問題についても、考えるきっかけになれば良いなと思います」
映画は、9月21日に大阪、10月5日に東京、10月13日に名古屋、12月7日に福岡で上映される。
いずれもGoogleフォームでの事前申し込みが必要。上映会の詳細はポスターから。
映画は上映の基準を設けた上で、大学の講義や自主上映に貸し出しをする。
<取材・文=冨田すみれ子>