アイドルを目指した少女が、唯一無二の「ねんドル」になり「夢以上」を実現するまで

小学生の頃からアイドルになることを目指し、高校生で芸能界デビューした岡田ひとみさん。当時を振り返りながら、「ねんドル」として活躍する今に至るまでの軌跡、そして今後の夢について聞いた。
「ねんドル」岡田ひとみさん
「ねんドル」岡田ひとみさん
Sumireko Tomita

「こねこね〜、こねこね〜」 

独特の世界観で幅広い層のファンを持つマルチアーティスト、岡田ひとみさん。

史上初のねんど職人+アイドル「ねんドル」として活躍しており、NHKのEテレ番組の「おねんどお姉さん」として知っている人も多いだろう。 

2002年に自身を「ねんドル」と宣言し、活動をスタート。以降、全国で子ども向けのねんど教室を開催。他にも、個展や本の執筆、玩具の商品監修、Eテレ番組へのレギュラー出演や海外でのねんど教室など、国境を越えて活躍している。 

小学生の頃から「アイドル」になることを目指し、高校生で芸能界デビューした岡田さん。当時を振り返りながら、「ねんドル」として活躍する今に至るまでの軌跡、そして今後の夢について聞いた。 

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暑さが続く8月末、いきなりの豪雨に見舞われ、ずぶ濡れでインタビュー場所に到着した岡田さん。 

「こんなに降るなんて...」 そう言いながら、持参した衣装と共に控え室に向かう。毎年9月1日に自身でデザインした衣装をお披露目することが恒例となっており、この日一足早く、新衣装を披露してくれた。

9月1日は「9と01でクレイ(英語でねんど)」と読む語呂合わせから、日本記念日協会から「ねんどの日」と認定されている。この記念日を制定したのは、他でもない岡田さん自身だ。 

支度を終えた岡田さんは、自作「ねんどスイーツ」のボタンがあしらわれたラベンダー色のドレスと帽子姿で登場。「お菓子の家にいても馴染む衣装を考えて作った」という。 

「これを着ると自分は夢の世界に入れるので、子どもたちも一緒に夢の世界に誘いたいなと思いデザインしました」 

2024年9月発表の新衣装。デザインは岡田さん自身が手がけている
2024年9月発表の新衣装。デザインは岡田さん自身が手がけている
株式会社チーズ

今では「ねんドル」としての地位を確立した岡田さんだが、幼い頃目指していた夢は、実は「ねんど」とは全く関係ないものだった。

少なくとも、当時の彼女はそう思っていたーー。 

「キラキラした存在になりたかった」

子どもの頃からステージを見るのが好きだったという岡田さん。明確に自分の「夢」に気づいたのは、小学4年生の時。家族で行ったディズニーランドで、キャラクターたちのパフォーマンスを見た時だった。 

「私はここに座っていたくない。客席から階段を駆け降りて、ステージの真ん中で歌ったり踊ったりしたいと感じて。人間よりもキャラクターのような、キラキラした存在になりたいと思った」 

小学生低学年の頃の岡田さん
小学生低学年の頃の岡田さん
岡田ひとみさん提供

インターネットもなかった当時、図書館に行ってアイドルやタレントになるための方法を研究。地元の群馬県から東京に行く時は、スカウトされるために一番お気に入りの服でキメて出かけたという。

「声はかからず、夢破れて帰ってきた感じでしたね」と苦笑する。

なぜか強気で「根拠のない自信」があったと言い、当時の様子をこう振り返る。

「なぜかわからないんですけど、自分がこういった取材を受ける日が必ず来ると思っていたので、『バッグの中身紹介』のような取材を受けた時のために、ペンケースの中身や持ち物にはすごくこだわっていました」

その後、中学時代に半年ほどタレント養成所に通い、高校時代にオーディションに合格し、ラジオ番組のレギュラー出演が決定。1998年、高校2年生で芸能界デビューを果たした。  

「自分しかできないことが必要」

しかし、デビュー作となったラジオ番組を3カ月で卒業することにーー。 

その後は事務所に所属しながら東京で短大に通い、主にエキストラの仕事をする生活を送った。しかしそれを「困難の日々」と思ったことはなく、「本当に毎日楽しくて、勉強できる場にいられる喜びをいつも感じていた」と振り返る。 

20歳になり、周りが就職活動を始める頃になると、自身のキャリアについて考えるようになった。

「ただ楽しいだけでこの場にいてはいけないなって。今の私の代わりはいくらでもいると思ったら、この仕事を将来的に続けていくには、自分だからこそできることがないといけないと思い、自分の個性に悩みました」

そこで岡田さんは、デビュー番組の制作関係者らに相談。自分の思わぬ才能の可能性に気づくことになる。 

「何がやりたいの?どんなことが得意なの?と聞かれた時、『ねんどが得意』と言って。私はねんどが好きだったけど、特別なことだと思っていなかったんです。でも見せたら、『すごい、これでいける!』って周りの方が言ってくださって」

それが、「ねんドル」の始まりだった。

ねんどとの出会い

ねんどやモノ作りを好きになったのは、子どもの頃に流行していた「ねんど人形」を母親が趣味で作っていたことがきっかけだった。

「母親の作品を真似して作ったのが始まりです。あまり上手ではなかったですが、小学1年生の夏休みの自由研究には、ねんどのショートケーキを作って提出しました」

その後ドールハウスやミニチュアに魅了され、小学生の6年間、夏休みは毎年ねんど作品を作った。

高校生の時にねんどで作ったパン屋さん
高校生の時にねんどで作ったパン屋さん
岡田ひとみさん提供

大学受験を終えた後、その「ねんど熱」が再燃。「パンが大好きだったので、パン屋さんを夢中で作りました」と振り返る。

その後、芸能活動やキャリアに悩んだ際、ねんどが自分の「特技」になっていたと気づく。

2002年、22歳の誕生日にウェブサイトを立ち上げ、ねんど職人+アイドルの「ねんドル」を宣言。

そこから、紙ねんどだけでなく樹脂ねんどや小麦ねんどを使い、本格的な作品に挑戦していった。

岡田さん作のミニバーガーセット
岡田さん作のミニバーガーセット
株式会社チーズ
かわいすぎるミニチュアパフェも岡田さん作
かわいすぎるミニチュアパフェも岡田さん作
株式会社チーズ

実際に岡田さんが制作した作品を見ると、どれもディテールや質感まで細かく作り込まれている。特にスイーツの作品は本物と見分けがつかないほど精巧だ。

ミニチュア作品の食べ物も、小指の爪ほどのサイズなのに細部まで手が混んでいて、かわいさに胸がキュンとする。 

「ねんドル」誕生。でも「責任に怖くなった」

2003年、初めての個展を開催。大盛況だったが、自分の大切な作品を売ることに抵抗があった岡田さんは、制作する「ワクワク感」を子ども達に伝えたいと、ねんど教室をスタートした。 

子ども向けのワークショップは人気で、全国どこでもすぐに満席に。同時に不安も感じるようになった。 

当時は子どもだけが参加するワークショップもあり、「皆さんの大事なお子様を何十人も扱う中で、その責任にちょっと怖くなってしまったんです」と話す。 

「予期せぬ事態が発生したとき、自分は対応できるのだろうか。いろんな特性や個性がある子どもがいる中で、どう対応するのが良いのか。スタッフはたくさんいますが、子どもの一番近くにいる私も対応できるようにしないといけない、と考えました」

「本を読むだけではわからなかった」と、25歳の時、社会人でも通える大学で教育学を学び始める。4〜5年にわたって授業を受けて勉強するだけでなく、小児救急法などの資格も取得した。

「そこからだんだん自分に自信がついてきました。子どもに対する責任を感じて、自分が変わっていった。私には経験だけじゃなくてインプットも必要だったな、と。色々な仕事をたくさん頂くようになったけれど、もっと子どもたちについて知らないと、良いものを生み出していけないと思ったので。その時に感じていた子どもたちへの愛情で、この『ねんドル』というものを完成させていったなって思います」

また、社会人になってから学校に通った経験は、知識や自信以上の価値をくれた。

 「勉強した知識だけではなく、同じような意識の人たちに会えて、良い仲間ができたのはすごく大きかったな、と。やっぱり人との出会いにはとても価値があると思いますし、未だに仲良くしている人たちもいます」  

遠回りした夢。「思い描いた以上の形で実現した」

芸能界デビューから15年が経った2013年、岡田さんの名前を世の中に知らしめる大きなブレイクがやってきた。Eテレ番組への「おねんどお姉さん」としてのレギュラー出演だ。

その時のことは今でも忘れないという。

「子ども向けにこの仕事を始めて、1つの夢がEテレの番組に出演することだったので、決まった時には本当に信じられなかったです。もう嬉しすぎて緊張しすぎて撮影初日の前日にはストレスとプレッシャーで声が全くでなくなってしまって。当日は声がちゃんと出るようになって、なんとか撮影することができましたが」

当時、番組で歌や踊りはなかったが、数年後の特別番組でおねんどお姉さんのオリジナル曲やダンスが用意され、披露することに。その後、スタジオを飛び出した番組の公演でステージに立つことが決まった。

ついに、岡田さんの小学生の頃からの「夢」が実現した瞬間だった。 客席から階段を降りていって、ステージで歌って踊る。さらに岡田さんしかできないミニチュアねんどを作った。

「1万人入る会場でねんどを作るなんて、世界中で今までなかったんじゃないでしょうか。27年前に思い描いていた夢が、それ以上に大きなステージで実現して、諦めなくて良かったな、と思った瞬間です。憧れていた、自分が思い描いていた以上のキャラクターになれたって思いました」

そして今は、番組の公開収録のため日本各地のステージで歌い、踊り、ねんどをこねて、夢を体現し続けている。

国境を越えた挑戦

岡田さんの活躍は、国内にとどまらない。 2009年からは、海外の旅行先で学校や孤児院などを訪れ、これまでに5大陸30都市以上でねんど教室を開催してきた。

海外でもボランティアでねんど教室を開いており、これまでに5大陸30都市以上で開催してきた(2019年、オーストラリアのパースにて)
海外でもボランティアでねんど教室を開いており、これまでに5大陸30都市以上で開催してきた(2019年、オーストラリアのパースにて)
株式会社チーズ

海外旅行が好きで、1人で行くこともあるという岡田さん。日本は大好きな仲間や仕事があり幸せだというが、「この仕事を続けていくには自分が変わっていかないといけないって危機感があって。この居心地のいい場所じゃなくて、アウェーな場所に身を置きたいっていうのは常に思ってます」と話す。 

2018年には、出身地群馬の学校で開催された国際的な講演イベントTEDxに招かれ、英語で自身の活動についてスピーチした。

海外での活動のため英語を学び直していたという岡田さんだが、あまり得意ではないそうで、TEDxは「今までで1番緊張した」と話す。しかし「海外の人にも、私がどんな思いでやっているか伝えたい」と、オファーを受け1カ月間猛特訓した。 

岡田さんは挑戦することを決める基準として、「子ども達に見せたい姿であるかどうか」を重視しているという。 

「子どもたちには早いうちに、海外にも興味を持って欲しいし、英語や海外の言葉を勉強したり、いろんな価値観の人がいるっていうことを実際に知って欲しいので、自分も挑戦を続けています」  

これからの夢  

すでに「思い描いてた以上」の夢を実現している岡田さんだが、今は新たな目標があるという。

1つ目は正式に海外進出し、そして日本の良質なねんどを世界へ広めることだ。 

「今はボランティアとして海外でねんど教室を開いていますが、今後は仕事としても、世界でねんどを作る楽しさを伝えたい。そうすれば、子どもたちにより良い環境や体験を提供できるので。そして、日本のねんどや絵の具って本当に使いやすくて質が良いものがいっぱいあるので、それを世界にも広げていきたいです」

そしてもう1つは、ねんど作りが人の脳に及ぼす研究を進め「ねんど教育」を確立すること。 

「ねんどを作るとすごくハッピーになったりリラックスしたりできるんですが、その効果を示すためのデータをもっと集めたいです。色んな特性のあるお子さんへの教室もやっていますが、それぞれにどんな教え方が良いかをもっと自分で勉強したり、興味のある方達に協力して頂きながら、ねんど作りによる脳への影響を研究して、新たなねんど教育として広めたいですね」       

「大好きなことを大切にしてほしい」

遠回りしながらも、諦めず夢を実現した岡田さん。その根底には常に「大好き」という気持ちがあった。 

「とにかくこの仕事、ねんど、子どもたちが大好きだから、どんなに大変なことがあっても、やめたいと思ったことがないんです」 

そしてその気持ちこそが、行き詰まった時に背中を押してくれるという。 

「みなさんきっと、仕事じゃないにしても、ペットや人、キャラクターやアイドルなど大好きなものがあると思います。その大好きなものをすごく大切にしてほしい。それを大切にし続けるには今何をしたらいいかなっていうのが、きっと原動力になって、辛い時も背中を押してくれたり、突破口を見せてくれると思います」

自作のねんどマカロンの説明をする岡田さん
自作のねんどマカロンの説明をする岡田さん
Sumireko Tomita

岡田さんが小4で思い描いた「ステージで歌って踊る」夢を実現したのは27年後――。芸能界デビューから真っ直ぐ到達したのではなく、ねんどを通じて、紆余曲折したからこそ叶ったと思っているという。      

「きっと、ステージが好きといって劇団に入り、あまり得意ではない歌と踊りだけを練習していたら、その夢は叶っていなかった。でも諦めず、より良い方法を、そして自分の特性を活かしたものを見つけながらちょっと遠回りしたら、それ以上の夢が叶った。だから、夢の叶え方って1つじゃなくて、たくさん方法があると思います。1つの道がダメでも、その夢に近づく、好きなことに近づく道がたくさんあると思うので、その方法を探りながら、諦めないで続けてほしいなと思います」     

取材が終わり、最後に「バッグの中身紹介」をお願いしたが、さすがにもう「こだわりのペンケース」はカバンに入っていないという。しかし今でも、たくさんの夢とアイデアは常に持ち歩いている。

(取材・文=船崎ゆう子 撮影・冨田すみれ子)

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