全国に60店舗以上を展開する、食べるスープの専門店「Soup Stock Tokyo(スープストックトーキョー)」。2023年春、離乳食の全店無償提供を発表すると、SNS上では歓迎する声が広がった一方で、子連れ客が増えることを懸念する否定的な意見もあふれた。
この騒動に対して、同社は企業理念に基づいた過去の取り組みなどを挙げ、改めて「離乳食の無償提供」の意義を説く声明文を発表。安易に謝罪や撤回をせず、企業としての意思を貫くという毅然とした対応は、社会的に高い評価を得た。
当時、顧問として対応にあたった工藤萌さんは今春、新たに取締役社長に就任。騒動を振り返り、無償提供に至った経緯や声明文を出した理由を聞いた。そして、一杯のスープを通じて食の課題にアプローチする意義とは――。
離乳食の無償提供は「食のバリアフリー」の活動の一つ
――まず初めに、離乳食の無償提供に至った経緯について教えていただけますか。
元々、スープストックトーキョーのもうひとつのブランドであるファミリーレストラン「100本のスプーン」では離乳食を無償で提供していました。その取り組みが好評だったこともあり、子連れのお客さまが多いスープストックトーキョーにも広げることになりました。
子連れのお母さんやお父さんって、ゆっくりご飯を食べられる場所が限られていますよね。私自身、今5歳になった娘を育ててきたのですごく感じていました。小さなお子さまがいるという理由で外食をためらうのではなく、こうしたサービスを届けることで「親も子どももゆっくり食事を楽しんでいただきたい」という社員たちの思いから決まったものでした。
そもそもスープストックトーキョーには「Soup for all!」という“食のバリアフリー”の価値観が根付いています。ベジタリアンメニューや咀嚼配慮食の提供など、宗教上や健康上の制約で食事の制限がある方も、同じテーブルについて温かな食を楽しんでもらいたいという思想です。
中には、社員が高齢で食欲の落ちた愛猫を思い企画した「猫のためのスープ」もあります。離乳食の無償提供は特別なサービスというより、こうした企業理念に基づく取り組みの一つという位置づけでした。
――離乳食の無償提供開始について発表すると、SNS上では歓迎する声が広がった一方、子連れ客が増えることを否定的にとらえる意見も目立ちました。こうした反応は、想定していたものだったのでしょうか。
ここまでたくさんのご意見をいただくことは、想定していませんでした。元々、一部店舗で先行して無償提供していたのですが、そこでの大きなトラブルはなく、むしろお客さま同士で席を譲り合っていただいたり、赤ちゃんにほほ笑みかけてくれたりと、優しく穏やかな空気が流れていたんです。
報道機関からの問い合わせの中には「独身女性と子育てする女性の分断を起こしたことについてどう思うか」という質問もありました。私たちはそんなことをしたのだろうか……と思うほど、刻々と論調が変わっていき、匿名ゆえの過激なご意見も目立ちました。
一番心配だったのはお店が安全に運営できるかどうか。お客さまや従業員が傷つくようなことがあったらどうしようという不安は大きかったですね。
騒動が収まるまで「沈黙」しなかった理由
――スープストックは騒動から1週間後、自社の理念に基づき「なぜ離乳食を無償で提供するのか」と説いた声明文を出しました。バッシングが収まるまで沈黙して待つという手段もあるなかで、あえて会社としての思いを発表したのはなぜだったのでしょう。
確かに黙っているという選択肢や、とりあえず謝罪・撤回するという方法もあったのかもしれません。それでも、当時の社長だった松尾(真継、現取締役副社長兼CFO)と議論していたのは、まずは自分たちが「なぜこの取り組みに至ったのか」という思いを正直に伝えたいということ。
確かにお店は決して広くはなく、一部のお客さまにご迷惑をおかけすることもあるかもしれません。そうした課題については企業努力を重ねるという前提ではありますが、自分たちの意図や過去の取り組みが正しく伝わっていないなかで、あのような形になってしまうのはやり切れなくて……。まずは声明文として言語化した上で、それでもいただくご意見は真摯に受け止めなければいけないと考えていました。
きっと色々な意見を目にして傷ついた方もたくさんいらっしゃると思います。見えないところで嫌な思いをした方に対しても、自分たちの思いを伝えるきっかけにしたかったんです。また、社員一同が改めてここで働く意味や、ブランドの存在意義を再確認する機会にもなると思っていました。
――声明文が発表されてからSNS上での風向きが一気に変わったように感じました。
声明文を出したら、ファンの方々が「そうそう、このブランドってこういうことやってきたじゃん」って次々と発信してくださって。言葉だけでなく、行動が伴っている、一貫しているということを分かってもらえたのは本当にうれしかったですね。
店舗ではお客さまから「応援しています」と声をかけられることもあったそうです。すごくほっとしたのと、伝わってうれしいという気持ちがあふれて、思わず泣いてしまいました。
――声明文を会社名や社長名ではなく、「スープストックトーキョー一同」として発表したことも印象的でした。
その署名は、松尾が原稿を書き始めたときから変わっていません。スープストックトーキョーは約25年前、創業者の遠山正道によって作られたブランドではありますが、松尾は彼から社長という立場を受け継いだ際、「ブランドをあらゆる仲間に開放していくこと」を自らの役割だと考えていたそうです。
ブランドは株主や創業者、ましてや社長のものではなく、理念に共感して働いてくれる仲間により育っていくもの。今回の声明についても、これまで続けてきたみんなの仕事の結実として「スープストックトーキョーさん」という一つの人格として出すべきではないかと話し合いました。そこで当然のこととして、署名には「一同」と書きました。
そして「一同」と書くからには、発表する前に朝礼を開いて、働く仲間たちの前で読み上げました。振り返れば、スープストックトーキョー一同としての決意表明に近かったのかもしれません。
じっくり温めてきた得意の「スープづくり」で食の課題に向き合う
――一連の騒動を乗り越えて、社内の雰囲気やブランドへの思いに変化は生まれましたか?
変わったというより、さらに思いが強くなったのだと思います。店舗にはお子さま連れのお客さまも増えましたし、あれだけ多くの反応をいただいたので、自分たちのやってきたことへの確信も得られました。
店舗には接客マニュアルがなく、迷ったら「世の中の体温をあげる」という企業理念に沿った行動を取ってくれればいいと明言しています。妊娠中の方が来店されたらノンカフェインのドリンクを勧めたり、ベビーカーを代わりに運んだり、従業員一人ひとりが「自由演技」で動いているんですよね。
そういう面では、離乳食は「公式アイテム」になっただけで、それ以外の自発的なおもてなしがそこら中で生まれている。スープストックトーキョーが掲げる「Soup for all!」の取り組みをもっと進めたい、強くしていきたいという思いが膨らんでいると感じています。
――スープストックでは「Soup for all!」の価値観のもと、嚥下配慮食サービスやベジタリアンメニューの提供などの取り組みを続けてきました。一杯のスープを通じて食の課題にアプローチする意義について教えてください。
声明文にも書いた通り、社会が抱える課題のすべてを解決できるとは思っていませんが、小さくても自分たちのできることはあると信じています。そのためには、25年間じっくり温めてきた得意の「スープづくり」で課題にアプローチするのが本来的でないかと。
いろんなものを溶け込ませておいしさを引き出すスープだからこそ、離乳食や咀嚼に配慮した食にもアプローチできるし、規格外野菜や未利用魚を使うこともできる。社会性の高い取り組みとビジネスとしての持続性は両立できると思うんです。
そのインパクトを大きくしていくことで世の中の体温をもっとあげていきたいですし、私たちの社会のための取り組みが、きちんと利益を得られて課題も解決できることを、ケーススタディとして見せていくことにも意味があるのではないでしょうか。
――今後、さらに進めていきたい取り組みはありますか?
「Soup for all!」の活動はさらに展開していきたいです。
例えば、咀嚼配慮食のサービスを広げていくことは、今年度中に実現したいことの一つです。現在は立川の店舗のみで提供していますが、オンラインショップを活用して、お店に足を運ばなくても自宅で食べられるようなサービスを提供したいと考えています。食べる方の命に関わることでもあるので、慎重に研究開発を進めていますが、得意のスープづくりを通じて毎日の食事をもっと豊かにしていきたいと思っています。
また、前述の「100本のスプーン」では、特別支援学校の団体様などに咀嚼配慮食サービスを提供し、お食事を楽しむ「場」としてご利用いただく活動が始まっています。当事者の方からは、そうしたサービスを受けられる店舗は本当に限られていると聞きます。まだまだやり切れていないこともありますが、「Soup for all!」の精神で、一つの食卓を囲み、笑い合い、温かな食事をとれる世界観を創っていきたいです。