宮崎駿監督の名作『天空の城ラピュタ』は、1986年の公開から長年の時を経ても、今なお多くの人に愛される作品だ。しかし、実は発案時には別のタイトルが考えられていたことをご存知だろうか?
「金曜ロードショー」の公式Xはこれまで、ラピュタに関するさまざまな裏話や豆知識を紹介。
2017年9月には、発案時の仮タイトルが『少年パズー・飛行石の謎』だったと明かしていた。
また、サブタイトルも検討されており「空中城の虜」「空とぶ宝島」「飛行帝国」などが挙がっていたという。
さらに、「パズー」という名前は宮崎監督が学生時代に考えた「船乗り」の名前で、「シータ」は数学で習った記号から思い付いたという。
また、スタジオジブリプロデューサーの鈴木敏夫さんは2014年、秋元康さんとの対談の中で、宮崎監督は、ラピュタのアイデアを小学生のときに考えたという逸話を明かしていた。
なお、作品の舞台についてスタジオジブリの公式サイトは、イギリスのウェールズを「大いに参考にした」と書いている。