旅行の目的はおいしいものを食べること?観光名所めぐり?思い出づくり?いや、これからは旅の目的が「睡眠」という人が増えてきそうだ──。
旅行中は1秒でも無駄にしたくないと、睡眠時間を削ってでも観光や食べ歩きなどにいそしむ人は少なくない。寝るためにわざわざ旅に出るのは本末転倒と感じるかもしれないが、快眠できることを売りにした癒やしのサービス「スリープツーリズム」が急激な成長を遂げている。世界では6900億ドル(100兆円)規模にまで市場が拡大しており、この先もさらに育つとされている(HTFマーケット・インテリジェンス)。
スリープツーリズムを体験
快適な睡眠を滞在の目的にしてもらう取り組みを始めた宿泊施設が、福岡県にある。福岡空港から車を1時間ほど走らせると、筑後川のほとりに広がる温泉街「原鶴温泉」が見えてくる。その一角にある泰泉閣(福岡県朝倉市)が今年3月、オーストラリア発の寝具メーカーのコアラスリープジャパンとタッグを組んで「快眠ルーム」をオープンした。
泰泉閣はもともとほとんどが和室の宿だった。ひと昔前までは300畳の大宴会場があり、社員旅行客で賑わっていたが、時代の移ろいとともに客層は変わった。10年ぐらい前からは「布団で寝たくない」「ベッドがいい」という宿泊者からのニーズが旅館にも押し寄せているといい、泰泉閣でも客室の一部を改装して対応している。
そのなかで目をつけたのがスリープツーリズムだ。全68部屋のうち2部屋を快眠ルームに改装し、健やかな眠りで宿泊客の心をくすぐっている。県内だけでなく、神奈川など遠方からこの部屋を目的に訪れる人もいるといい、「快眠Lovers」なる人たちが存在するようだ。
心地よく寝るとはどういうことなのか。泰泉閣の「快眠ルームプラン」を体験してみた。
このプランの特徴の一つが、カイロプラクティックの施術者によるメンテナンス整体だ。館内にある「ボディケアルーム」で、30分かけて体の緊張をほぐしてもらった。
泊まったのは快眠ルームの1つで、「いとし」という名前がつけられた客室。たっぷりしたスペースの玄関を上がり、右手のスライドドアを入ると、横になっても余るほどのソファがある居間が広がる。木材がふんだんに使われている居間に隣接した小上がりは畳スペースになっていて、ベッドが3つ置かれている。
ベッドのマットレスと枕には、いずれもコアラマットレスの製品を導入している。
部屋に用意された枕は「コアラピロー」、「コアラリフレッシュピロー」、「コアラふんわりピロー」の3種類。満足いくまで試して、自分によりあうものを選べるようになっている。
実はまだ自分にあう枕に出合えていない私。枕があわないせいなのか、寝相が悪いせいなのか、起床時に背中の上部に痛みを感じることが当たり前になっている。もし今回、選んだ枕で寝てみて、背中が痛くならなかったらラッキーかもしれないと密かに期待していた。
1つずつ試してみて3巡したところで、もっちりした硬さがちょうどよく、頭を置いても沈みすぎないと感じたコアラピローをこの夜のお供にすることに決めた。左右を向いた時に首と頭がしっかり支えられていると感じられたのも選んだ理由の一つだった。
たまたま選んだコアラピローは、日本の季節やライフスタイルなどにあわせて開発されたものだった。日本の人の体型や好みなどを踏まえ、枕の厚みと弾力性が考えられているという。
厚さ27センチの「New コアラマットレス BREEZE」に体育座りしてみると、お尻は浅く沈むにとどまり、安定感があった。ウレタンには振動を吸収する独自開発の技術が使われているといい、飛び乗っても体が跳ねることはないし、沈み込むこともないので寝返りを打つのも楽だった。
午後11時ごろベッドに入り、午前7時前までぐっすり眠った。明け方に雷鳴が轟いていたそうだが、まったく気づかないほどしっかり眠れていたようだ。
そして、期待していた寝起きの背中の状態だが、選んだ枕は私にはあっていたようだ。
自然に触れ、適度なアクティビティーで快眠を促す
宿泊プランには含まれていないが、泰泉閣では自然アクティビティーの紹介もしている。軽く体を動かすことで、夜ぐっすり眠れるようになる。スリープツーリズムは宿の中だけで行うものではないのだ。
宿近くの筑後川ではカヤック体験ができる。ライフジャケットを体にフィットするようにベルトをしっかり締めて着用し、インストラクターの指示に従ってパドルを手に川の中央まで進んでいく。一級河川で川幅も広いが、流れは緩やかだった。肩下まで水に浸かって体を慣らし、パドルを左右に振ってしっかり準備運動をして…と、ここで遠くで稲光が走りだした。
私が参加したのが8月上旬ということもあって、ゲリラ雷雨になる可能性もあったため、大粒の雨が落ち始めたところでカヤック体験は中止になってしまった。
自然アクティビティーは川に限ったものではない。宿から15分ほど車を走らせると、森林セラピーを体験することができる。日本棚田百選に選ばれたこともある「つづら棚田」(福岡県うきは市)の周りにある森を、地元のガイドさんと一緒に散策するコースに参加した。
ギラギラ太陽から森に逃げ込んだ。やや涼しくてすでに心地がいい。小川が流れているところで止まると、ひんやりした空気が気持ちよく、せせらぎに癒された。ガイドさんに勧められて深呼吸。心身がリラックスしていく。
道すがら、ガイドさんが近くの木からおもむろに新芽をちぎって、参加者に配ってくれた。言われた通り手のひらですりつぶしてみると、杉の爽やかな香りがパァーと広がった。山椒の葉からはフレッシュでスパイシーな香り、日本のハーブ、ミツバは香りをかぐとお吸い物が飲みたくなった。
「これ、かじってみてください」。今度は硬めの葉っぱを渡された。葉に切れ目をいれてかじってみると、ニッキの味がした。京都銘菓の八ツ橋にも使われているあの味だ。ニッケイという植物なのだという。
植物に触れながら、進んでいく。ツユクサ、石垣にむしたみずみずしい苔、ヤブムラサキと次々に手で感じていく。ヤブムラサキの葉っぱはまるでベルベットのようにふわふわだ。
ガイドさんいわく、自分の気持ちがいいもの、自分の好きなものを見つけることでストレス軽減につながるのだという。
散策コースの途中には、「森の中で寝る」というアクティビティーも含まれている。用意されたシートの上に仰向けで寝っ転がってみる。
「目を瞑って森を感じてみてください。いろんな音が聞こえます」という案内に従って、目を閉じてゆっくり耳をすましてみる。ホーホケキョという鳥のさえずり、ジージーというセミの鳴き声……。ずっと寝っ転がっていたいと思うほど気持ちがよかった。
ガイドさんが散策の序盤に話していた「触覚、嗅覚、味覚、視覚、聴覚の五感を刺激することで、免疫にも睡眠にもいいんですよ」という言葉を思い出していた。
日本にはスリープツーリズムが広がる素地がある?
日本でもじわり耳にするようになってきた、新たな旅のかたちスリープツーリズム。日本の人の睡眠時間は、世界と比較してみると短いことがよくわかる。OECD(経済協力開発機構)の調査(2021年)によると、平均睡眠時間は33カ国のなかで最も短い。女性はさらに短い点も目を引く。総務省の調査(2021年)では、日本の平均睡眠時間は7時間54分。男性は7時間58分だった一方、女性は7時間49分だった。1日あたり9分の差は、1カ月に換算すると4.5時間にもなる。
すでにスリープツーリズムが浸透している海外よりも、もしかすると日本にはより多くの快眠Loversが潜在しているのかもしれない。
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ハフポスト日本版は、コアラスリープジャパンより招待を受け、現地の取材ツアーに参加しました。執筆・編集は独自に行っています。