体操・杉原愛子さんの「多様性の時代の選手像」 パリオリンピック前に日本代表に託したこと

選手であり、会社代表である杉原さんが示す「多様な選手像」に迫った。

取材の日、体操・杉原愛子選手に挨拶すると、名刺を受け取った。

書いてあったのは「代表取締役 杉原愛子」。自身が立ち上げた会社「TRyAS」の名刺だ。

「『現役の選手だから選手一本』ではなく、いまは多様性の時代だからこそ、色んなチャレンジをしたかった」

会社設立はそのひとつ。この1年で「始めた」こと、チャレンジしたことがたくさんある。

選手であり、会社代表である杉原さんが示す「多様な選手像」に迫った。

杉原愛子選手
杉原愛子選手
Rio Hamada / HuffPost Japan

競技「一区切り」からのパリ五輪に挑戦

パリオリンピック代表には、わずかに届かなかった。

リオ・東京に続く、女子史上初の3大会連続出場がかかっていた。そもそも、挑戦したこと自体、杉原選手本人とってもサプライズだった。2022年6月に、現役生活に「一区切り」をつけていたからだ。

その1年後の復帰戦で床種目で優勝し、そこからパリオリンピックを目指していた。

「まだ動ける。(体操の)基本の質やレベルも高くなっている」

現役を離れていた間、練習頻度は週6から週2に減っていたが、中学生への指導を通じて「基本」を再確認できた。

それでも、「4種目(跳馬・段違い平行棒・平均台・ゆか)を戦う体力が一番大変だった」

パリオリンピックまで、5人の代表選手を支える補欠として帯同した。代表合宿にも参加し、全種目を演技できるよう準備を欠かさなかった。

杉原選手は取材時に「4種目きっちりNHK杯の演技以上のクオリティをしっかり準備することです」と語っていた。

今回の体操女子代表は世代交代が起き、杉原選手が唯一のオリンピック経験者。過去の代表チームでもムードメーカーを担ってきた。5月末にあった最初の合宿では、チームの雰囲気づくりに徹した。チームミーティングをしようと持ちかけた。

「世界の舞台でチームとして一緒に戦った経験があまり多くないので、チームワークはこれから作っていく伸び代だなと、一緒にやりながら思いました」

「合宿の回数もそんなに多くないし、各(選手の)所属も違うので、コミュニケーションを取らないといけないという印象でした」

経験を伝えることも、役割のひとつと捉えていた。杉原選手自身オリンピック初出場だったリオ大会と前回の東京大会とで、大会への臨み方や感じたプレッシャーは大きく違っていたという。

東京オリンピック時の杉原愛子選手
東京オリンピック時の杉原愛子選手
NurPhoto via Getty Images

リオは「特別に思わずにいつも通りの気持ちで臨んだのがよかったというが、自国開催の東京では「自分のなかでプレッシャーをかけていた部分があったので、それがいい部分もマイナス面もあった」と振り返る。

 メンタル面の作り方から選手村の生活感まで、伝えることはたくさんあった。

 「オリンピックの大会の雰囲気だったり、選手村で一緒に生活するわけだから、緊張感もある。自分のリラックスする部分、一人の時間をどう上手く過ごして作れるのかというのも必要」

「世界でメダルを取った選手はいるけど、オリンピックは4年に一回なので、みんなが同じ思いや目標を持って、そこに対して強い意志を持っていかないとメダルは取れないと感じてやっていた。そういう思いの部分やモチベーションの持ち方も伝えられたらと思っていました」

杉原選手が想いや経験を託した日本代表は、パリオリンピックの団体総合で、予選5位から決勝に臨んで8位で団体総合を終えた。

NHK杯の杉原選手(左から3人目)
NHK杯の杉原選手(左から3人目)
Kiyoshi Ota via Getty Images

会社を立ち上げるまで

杉原選手は、2022年に競技を離れた際、「引退」という言葉を使わなかった。復帰を考えていたわけではない。セカンドキャリアを意識して、「競技を一区切り」と表現した。

エキシビション出演をはじめ、NHK杯のフロアリポーターや審判、中学生へのコーチ業まで、あらゆる形で体操に関わり続けた。一方で、現役から離れてみて「体操をメジャースポーツにしたい」という気持ちが増していった。

女子平均台の審判を務める杉原愛子(右)=2023年4月
女子平均台の審判を務める杉原愛子(右)=2023年4月
時事通信社

その手段として2023年6月、自身が代表取締役を務める株式会社「TRyAS」を立ち上げた。

これまでに、性的な目的での選手の盗撮を防ぐアイタードの開発のほか、体操の魅力発信やジュニア世代の選手の経済支援を目的とする「Jts(女子体操サークル)」も手掛けた。

「メディアに出るのは成績が上になってからだと思うのですが、そうではなくてジュニアの時から努力する姿を見てもらった方がファンができやすいという考えもありました」

「自分自身がジュニア世代の時に全くそういうのを考えていなかったからこそ、今の子たちは考えながらやっていったほうが、将来的に視野も広がると思う。ジュニア選手を応援したいという気持ちが強かった」

「技術指導以外の栄養やメンタルの部分、床の曲の音のことなどを深掘りして、所属クラブでできないことをアカデミックプログラムを組んでやっています」

取材に応じる杉原愛子選手
取材に応じる杉原愛子選手
Rio Hamada / HuffPost Japan

自ら「認知度チェック」企画がお気に入り

会社を立ち上げたタイミングで、自身のSNS発信や動画投稿に力を入れ始めた。

大会やテレビ映像では見ることのないアングルで撮影した技・練習風景や、杉原選手のチャレンジ企画など、体操の枠を超えた発信もしている。

「体操競技を間近で見る機会はないと思うので、『こんな迫力がある』という体操の魅力の一つを、SNSを通じて発信できるように工夫しています。(アスリートの性的画像の問題があるので)変な目で見られないように注意しながらやっています」

「SNS発信をきっかけに興味を持って、大会の会場に足を運んで応援してくれたファンもいたのですごい嬉しかったです」

例えば企画系では、杉原選手が映画『スパイダーマン:スパイダーバース』に登場するキャラ「スパイダーグウェン」に扮して、アクロバティックな動きを披露する回は反響を呼んだ。

SNSチームの存在が大きい。

「プロの方が体操を広めるための企画を考えてくれています。見てもらうために、今の流行りの曲やダンス動画を作ったり、自分から質問したりもしています。ちょうどあの時期にスパイダーマンが流行っていたので、スパイダーマンのコスプレをしました」

杉原選手に1番のお気に入りを尋ねると、「『私のことを知ってますか?』という企画が好きです」と、自ら認知度チェックをした企画を挙げてくれた。

街中で「私のこと、誰か分かりますか?」と尋ね、「分からないです」と返事をした人にスマートフォンで「杉原愛子」と検索してオリンピック選手であることを伝えた後、リクエストに答えてバク転を披露するという内容だ。

「だいぶやるのが恥ずかしかったですけど けっこう反響があって」と照れ笑いした。

取材に応じる杉原愛子選手
取材に応じる杉原愛子選手
Rio Hamada / HuffPost Japan

「ロールモデルになりたい」

杉原選手は、従来の選手像を塗り替えてきたこの1年について「ロールモデルになりたいし、次世代の選手が活躍できる場を作って行けたらいいなと思って挑戦しています」と明かす。

そう思えるようになったのには、2つ理由がある。

まず「誰もやっていなかったことを一番最初にすることが好き」という挑戦心。そして、一度現役を離れた経験。

東京オリンピックまでは「選手一本」だった。大学を休学し、人生をかけて臨んだが、目標を見失ったまま終わってしまった。

「自分が何をしたらいいのか分からない」

思い悩んで、踏みとどまった。

「無観客だったから、みんなに生の演技を披露せずに引退するのは違う」と。

生の演技を見せ、現役生活に「一区切り」をつけた2022年6月。

体操との関わり方を変え、視野が広がり、より体操への思いが増した。その経験が、アイタードを通じた女性アスリートの困難解消や、次の世代に道標を示そうという姿勢につながっている。

「東京オリンピックの時はそこまで考えている余裕もなかったですし、一区切りして視野が広がったのが一番が大きい。東京オリンピックは体操一本でやっていて、それはそれでいいこと。でも今はそうではない。いろんなことを経験し、視野が広がったからこそ、チャレンジできたと私は思っています」

NHK杯の杉原愛子選手
NHK杯の杉原愛子選手
Kiyoshi Ota via Getty Images

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