東京電力福島第一原発の処理水を一部メディアが「Fukushima water」と英訳していた問題で、ハフポスト日本版はこれまで計10本の記事を配信し、「福島の差別や偏見を助長する表記だ」と訴えてきた。
福島県の内堀雅雄知事も「誠に遺憾」と見解を示す事態に発展したほか、ハフポストの調査などで少なくとも国内メディア4社がFukushima waterと英訳していたことも判明した。
しかし、当初は県内の全メディアがこの問題を“黙殺”。地元紙が報じたのもハフポストが1本目の記事を配信した約2カ月後で、県議会でこの問題が取り上げられてからだった。
ハフポストは今回、県議会でFukushima water問題を取り上げ、県やメディアの姿勢を追求した渡辺康平・県議会議員にインタビュー。この問題の根深さや県民としての思い、福島における誤・偽情報対策の重要性などについて聞いた。
メディアが福島を「ネタ」にする言葉を使用
福島第一原発の処理水を英訳する場合、国などは「Treated water(処理された水)」としている。
しかし、共同通信は2023年9月28日、2回目の処理水の海洋放出が同年10月5日に行われることを報じた際、英字記事の見出しに「Japan to begin releasing second batch of Fukushima water on Oct. 5」と記載。
毎日新聞の英語ニュースサイト「The Mainichi」も同年11月9日、元参議院議員の田嶋陽子さんの講演が中止となった出来事を取り上げた際、「Tokyo ward cancels gender forum after speaker’s mutant fish comments on Fukushima water」という見出しにした。
このほか、ハフポストが24年1〜2月、福島県庁記者クラブに所属するメディア16社を対象に実施した調査で、朝日新聞と時事通信が処理水をFukushima waterと英訳したことがあると認めている。そのほか、「英訳したことはない」と回答した福島民報以外のメディアは調査に一切答えなかった。
Fukushima waterの直訳は、「福島水」となる。福島の被災地を研究する社会学者で、東京大学大学院情報学環の開沼博准教授は以前、ハフポストの取材に「社会学的には『スティグマ』といい、地名を入れるということは、そこに住む人たちへの差別・偏見を生み出すことにもつながる」と指摘。
「妊娠できない」「奇形児が生まれる」など、福島の人々が原発事故後に受けてきた様々な理不尽な扱いを踏まえ、メディアがFukushima waterと報じることは「非常に無神経で配慮がなく、科学的な議論や社会的な合意形成に向けた被災地の努力を踏みにじるものだ」と厳しく批判した。
また、同表記は「インターネットミーム」として使用されている面もある。
奇形魚や巨大魚の映像が出回った際は、必ずと言っていいほど「Fukushima waterの影響だ」とSNSなどに書き込まれる。 つまり、ネット上で「ネタ」として消費されている言葉を、日本のメディアが堂々と使ったということだ。
議会で取り上げた福島県議
Fukushima water問題を受け、福島県のトップ・内堀知事は23年12月25日、次のように言及した。
「一部の報道機関から福島に対する風評や差別を助長する恐れのある表現がなされたことは誠に遺憾。国・関係機関と緊密に連携を図り、様々な観点からどういった手法が適切か対応を検討していく」
そして、この内堀知事の発言を引き出すきっかけを作ったのが、自民党の渡辺県議だった。
渡辺県議は23年12月20日、県議会の一般質問で「Fukushima waterという言葉は海外に新たな差別や偏見を生み出すことになり、言語道断で見逃すことはできない」と非難。「県としても早急に対応すべきだ」と述べた。
しかし、県の担当幹部は「「国や東京電力に、正確で分かりやすい情報発信に全力で取り組むよう訴えていく」と“他人事”のような答弁を繰り返し、議場が大きくざわついた。この様子を共同通信の加盟紙である地元紙が報じ、内堀知事の発言へと繋がった。
なお、同幹部も一般質問の後に開かれた委員会で、「県民が一丸となって風評払拭へ頑張ってきた努力を踏みにじる行為だ」と言及した。
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渡辺県議はFukushima water問題をどのように捉えているのか。ハフポストの取材に対し、このように話し始めた。
「メディアがFukushima waterと英訳したことはハフポストの記事で初めて知った。福島の差別や偏見に繋がる表現を平気で使っていたことに愕然とし、県民として憤りを感じた」
県民にとっての「Fukushima water(福島水)」は文字通り、綺麗な自然の中にあったり、蛇口をひねったら出たりする水で、ほかの都道府県民の感覚と変わらない。決して原発事故由来のものではない。
では、「Tokyo water」や「Osaka water」、「Miyagi water」と書かれたら、その地域に住む人々はどう感じるだろうか。渡辺県議は「自らの地元を思い浮かべてほしい。復興や風評払拭に向け、一丸となっている県民180万人の努力を踏みにじる行為だ」と述べた。
一方、県内では昔から「波風を立てない風潮」があるという。そんな中、意を決して県議会でメディアの問題を取り上げたのは、「反論しないことは『認める』ことと一緒」だと思ったからだ。
「福島がこれまで受けてきた理不尽な差別や偏見を考えれば、議員として黙っていられなかった」と、言葉のトーンを強めた。
また、渡辺議員の一般質問がきっかけでこの問題を初めて知った県議も多かった。地元紙の報道後は、県民からも「福島で暮らす人のことを全く考えていない報道で許せない」「いつまで福島は侮辱されなければならないのか」といった声が多数届いたという。
理不尽な偏見や差別を受けた福島の過去
県民はこの13年間、結婚や出産、学校など様々な場面で「子どもができないから結婚させられない」「放射能がうつる」などと誹謗中傷されてきた。
渡辺県議が根拠なく不安を煽る報道や偽・誤情報の発信をチェックしているのも、このような福島の過去が原点だ。
震災後、航空自衛官として都内にいた際、あちこちから「福島にはもう人が住めない」「皆がんになっている」という声が聞こえてきた。大半は反原発運動の一環で表立って叫ばれていた。
確かに、原発事故によって平穏な暮らしを奪われた人たちはたくさんいる。しかし、「必ず故郷に帰還する」と避難先で諦めずに暮らし続ける人もたくさんいる。
決して全てが住めない土地ではなく、住民帰還のための除染作業も懸命に行われている。 心無い言葉を聞くたびに、「主義主張のためであれば、根拠のない情報をばらまいて県民を侮辱してもいいのか」という思いが込み上げたという。
このほか、渡辺議員の地元に近い福島県内の高速道路のサービスエリアに、福島銘菓のおまんじゅうや野菜、コメなどが捨てられていた出来事もあった。
安全なものしか流通していないにもかかわらず、放射能への不安から福島県産品を捨てる県外の人たちがいた。原発事故から1年がたっていたが、当時は根拠もなく危険を煽る報道や発信が至る所で見受けられた。
「福島のお土産を渡したおじいちゃんおばあちゃん、農家の人たちの気持ちを考えると、いたたまれない気持ちになった。『本当の福島』を伝え続ける必要性を感じ、地元に帰ると決めた」
渡辺議員は2012年5月、約8年在籍した航空自衛隊を退官。議員秘書や須賀川市議会議員を経て、19年11月に県議に初当選した。
メディアが抱える問題
福島の差別や偏見を煽る報道や発信は今でも続いている。
ハフポストも23〜24年、大手ストックフォトの差別画像問題やショッピングサイトの差別Tシャツ問題などを報じてきた。
しかし、新聞やテレビでこのような問題が報じられることはほとんどない。内堀知事が遺憾の意を表明したFukushima water問題についても、地元紙と産経新聞以外は取り上げなかった。
渡辺県議はこのような県内メディアの状況を「閉ざされた言論空間」と呼んでいる。そして、次のような問題点を指摘する。
「風評被害の原因になるような理屈や言葉である『風評加害』を指摘する言論については、県内のメディアには取り上げられない。それが『閉ざされた言論空間』と呼んでいる理由」
「この影響を受けるのはまさに県民だ。これまでもメディアは福島に関する偽・誤情報を積極的に取り上げてこなかったが、結果的に不安や危険を煽る情報が国内外で漂い続け、風評被害や差別・偏見につながっている」
また、メディアが他社の報道をチェックしないことも問題だと話す。
例えば、共同通信が5月7日、「海水からトリチウム検出」という見出しの記事を配信。処理水放出口付近の海水から1リットル当たり13ベクレルのトリチウムが検出されたことを報じた。
これは世界保健機関(WHO)の飲料水基準である1万ベクレルを大きく下回る数字で、明らかに読者のミスリードを誘う見出しだったが、この件を取り上げたのはハフポストと産経だけだった。福島のメディアは見て見ぬふりをした。
「特に震災直後は目の前の生活や復興で精一杯で、報道や発信に目を向ける体力や気力がなかった。声を上げる人は多少増えているものの、それでもマイノリティ。だからこそメディアは正しい情報を正しく伝えなければならない」
福島県の対応の是非は
渡辺県議は、誤・偽情報に対する福島県の対応も問題視している。
北海道函館市の海岸で2023年12月7日、イワシなど大量の魚が打ち上げられているのが見つかった。ネット上では「Fuksuhima waterの影響だ」といったコメントが相次ぎ、英大衆紙デイリー・メールも処理水の海洋放出と関連づけるような記事を配信した。
ハフポストは専門家に取材した上で、ネット上の言説やデイリー・メールの記事は根拠がなく、福島への差別や偏見を招くと他社に先駆けて報じた。
外務省もデイリー・メールに「科学的根拠に基づかない報道」と申し入れをしたが、内堀知事はこの件についてはっきりと語らなかった。
オイシックス・ラ・大地の藤田和芳会長(当時)が24年2月、処理水を放射能汚染水と表記してXに投稿し、後に辞任した際も同様だった。福島県産品に影響が出る可能性もないとは言えない状況でもあった。
渡辺県議はこの点、「知事がひとこと言えば新聞やテレビに取り上げられる。その言葉は海外にも発信され、福島の意思を世界の人に知らせることができる」と述べた。
さらに、今は「他国との情報戦」という面もある。中国政府が処理水を「核汚染水」と呼ぶなど、処理水の海洋放出を外交カードにしているという報道も多い。
実際、中国政府の影響工作に扇動されたからか、処理水の海洋放出直後には中国国内から福島の飲食店や公共施設などに大量の迷惑電話がかかってきた。福島市の木幡浩市長は「市民へのテロ行為も同然」と厳しく非難している。
「外務省が近年、安全保障という面で福島に関する情報を見ているように、もう国内の問題だけにとどまらない。海外であっても不安や危険を煽る発信を放置していると、県民にも大きく関わってくることを自覚してほしい」
渡辺県議はこのように話し、「県庁に福島に関する情報を収集し、分析する部署をつくるくらいのことをしてもいいと思っている」とも述べた。