新型コロナウイルスが感染症法上の5類へ移行し、街はにぎわいを取り戻し、日本社会はコロナの後遺症から抜け出したかのように見える。
しかし、コロナ禍に多くの人が孤独に苛まれ、苦しい思いの中、命が失われていったことを忘れてはいけない。コロナが社会に残した爪痕は、確実にこの社会を蝕んでいるのではないか。
公開中の映画『あんのこと』は、そんなコロナの傷痕を、ある実在の女性を描くことで私たちに思い出させる作品だ。
緊急事態宣言によって人との接触が禁じられ、つながりが絶たれたことで悲劇を迎えた、ある女性の実話に基づく本作。世界を巻き込む未曾有の危機の中、埋もれてしまった人々の声を聴診器として改めて拾い上げ、忘れてはならないと提示する。
監督は『SR サイタマノラッパー』シリーズの入江悠さん、主演にはドラマ『不適切にもほどがある!』での好演が注目を集めた河合優実さん。薬物中毒で売春を強要される状況から人生をやり直そうとした女性の役を見事に演じ、声なき声を演技で届ける大役を果たしている。
入江監督と河合さんに、話を聞いた。
コロナ禍に起きた、ある女性の物語
香川杏(河合優実さん)は、精神的・身体的暴力を振るう母親と足が不自由で外出できない祖母と3人暮らし。家計のために母親から売春を強要されているが、ある日、客が覚せい剤の過剰摂取で倒れたことをきっかけに覚醒剤使用の疑いで逮捕される。しかし、その取り調べを担当した多々羅という刑事(佐藤二郎さん)によって薬物更生の自助グループを紹介され、杏は人生をやり直す決意をする。
母親のDVから逃れるために一人暮らしを始め、祖母のためと介護の仕事を得て、非正規雇用も決まった杏。しかし、そんな矢先に新型コロナウイルスが蔓延し、緊急事態宣言が発出されると介護施設の人数制限により自宅待機を余儀なくされ、杏は居場所を失ってしまう。そして、多々羅もある事件を引き起こし、頼れる人がいなくなってしまったところに、母親が杏を連れ戻しにくる。
入江監督は、この話をプロデューサーの國實瑞惠氏にもちかけられた。「彼女の人生を描くことで、コロナ禍の世界で起きたことを記録したい」という思いに共感し、脚本に取りかかったという。
入江監督は、この事件を知り「自分がコロナ禍に対してモヤモヤしていたものと向き合えるんじゃないかと思った。一人の女性から見た社会を体感できる作品になるかもという直感を得て、やることにしました」と語る。
脚本を読み「揺るぎない感覚覚えた」(河合)
厳しい環境にさらされながらも希望を捨てずに生きようとした実在の女性を演じることになった河合さんは、この役を引き受けた理由をこう語る。
「言葉にするのが難しいですが、最初にこの本を読んだ時、揺るぎない感覚を覚えました。自分がこの役を嬉々としてやりたいということとは違って、覚悟と呼べるかわかりませんけど、この人の人生を請負うんだっていう強い気持ち、責任感に近い何かを感じたんです」(河合)
河合さんにとって、杏という女性を演じることは大きな挑戦だったはず。実在の女性を演じるために、実際の彼女がどういう人物だったのかを丹念に聞き込み、役作りをしていったという。
「やっぱり、私が知っている世界とはまったく違う環境で生きてこられた方なので、自分で得られる情報についてはたくさん調べました。
杏のモデルとなった方を実際に取材していた方にも、話をお聞きして、色々とインプットさせてもらって監督と一緒に肉付けしていきました。数えきれないくらい質問をさせてもらったんですけど、いつも明るくニコニコしていて恥ずかしがり屋で、周囲から少し引いてもじもじしているような女の子だったという話が印象に残っています」(河合)
「勝手に他者を代弁してしまうのは怖い」(入江)
入江監督にとって本作は、初めての「実話もの」である。実在の女性、しかも同じ時代を生きた女性を描く上で、いつも以上にリアリズムを重視した作風を選択している。今回のアプローチに対して「演出やディレクションといった、こちらが方向づけることは抑えて、用意した環境で俳優さんが何を表現するかを記録しようと思った」と語る。
事実に対して、映像作品はどうアプローチすべきかは、作品や作り手ごとに千差万別だが、入江監督はある種、自分の色を付けず、なるべく冷静な視点で捉えることを徹底している。
それには、ある種の「怖さ」があったからだと入江監督は語る。
「映画作りは他者のことを創造する過程が楽しいわけですけど、この映画に関しては、勝手に他者を代弁してしまうのは怖いことだと思ったんです。自分が彼女を使って何かを勝手に語っていいのかと。そういう意味でも、なるべく記録させてもらうみたいな立ち位置になったというのはあります」(入江監督)
実在の女性をカメラの前で体現することになった河合さんにも、同様の「怖さ」があったという。
「最初に揺るぎない感覚を得たとはいえ、やっぱり、いくらでも自分の身体で彼女の人生を語ることができてしまうので。
自分としては、ご本人と手をつないでいるくらいの気持ちでやらせてもらいましたが、これは本当に重大なことだからやっぱり怖くはありました。ご本人に許しをもらうこともできないわけですし、できる限り想像力を働かせて、杏という役を真摯にやるしかないと思って臨みました」(河合)
表現する「怖さ」を感じるというのは、それだけ強い責任感を持っていたことの裏返しだ。入江監督と河合さんは、ともに表現者としての強い責任を持ってこの作品作りに挑んでいたことが発言からうかがえる。
悲劇を消費しない
本作は、すさんだ家庭環境と貧困に苦しむ社会的弱者の悲劇の物語に見えなくもない。だが、河合さんは入江監督が撮影前に語った「ある言葉」に背中を押されたという。
「入江さんが、可哀そうな人とか、悲惨な部分を消費する映画には絶対しないようにしましょうって言ってくださったことにすごく共感しました。私は彼女を体現するつもりだけど、やっぱり同じ体験をしてきたわけじゃない、だから、絶対上から目線になってはいけない、できるだけ自分が同じ目線に立って肉体的に表現できるといいと思っていたので」(河合)
入江監督は、そもそも主人公を弱者とは見ておらず、ある種の強さをこの女性に感じているようだ。
「薬物依存から立ち直り、学校に通ってやり直そうとしている姿に前向きな強さを感じました。習慣を断ち切って新しいことを始めるのは誰にとっても難しいですし、彼女は閉ざされた人間関係の中でそれができた。一種の尊敬の念を感じています」(入江監督)
そして、コロナ禍で追い詰められたのは弱者に限らなかったことを、入江監督は身近に経験してもいる。
「僕の友人もコロナの時に亡くなったのですが、彼は女性でもなければ別に弱くもなかった。弱者に限らず等しくみんな閉塞感みたいなものに追い込まれていったんじゃないかと思います。
僕は今回、なぜ友人が死に追い込まれてしまったのかを考えたかったというのもあります。一人の人間の中に様々なグラデ―ションがあって、どこかの回路が切れるとすぐに人は追い詰められてしまうんじゃないかと思うんです」(入江監督)
この映画を貫く一つの大きなテーマは、人とのつながりだ。入江監督は、物語の後半、実際には起きなかったある出来事をオリジナルエピソードとして追加している。
「やっぱり、僕が小さい頃に比べて人間関係が希薄になっているとは思うんです。コロナ禍はその希薄になっていたものをさらに薄くして弱めてしまったんじゃないかと思います。
杏の人生を考えるとやはり家族とのつながりは重要なものとしてあったと思うから、杏のあり得たかもしれない未来の一つとして、束の間の疑似家族関係を描こうと思ったんです。それに、自分だったら果たして、杏のように他人が助けを求めてきた時、受け入れられるだろうかと自問自答しています。それができるくらい、彼女は強い人だったと思っているし、自分もそういう人でありたい」(入江監督)
社会は、人とのつながりをいかに回復すべきか。河合さんはまずは関心を持つことから始めるしかないんじゃないかという。
「こういう問題の入口に立つには、まずは無関心にならないこと、この映画を見てくれる人はきっとある程度関心を持ってくれている人たちだと思いますが、まずは関心の入口に立つことから始めるしかないんじゃないかと思います」(河合)
この映画は、人を孤立させないことの大切さを描いている。理不尽な困難を抱えた人を孤立させないためにどうすべきか、社会全体にそのような難問が問われていることを、この映画は浮き上がらせているのだ。
杏のように孤立し苦難を抱えた女性を救う事を目的とした「女性の人権ホットライン」の周知のため、本作は法務省とタイアップしている。
女性の人権ホットラインは、家族や配偶者・パートナーからの暴力、職場等におけるセクシュアル・ハラスメント、ストーカー行為といった女性をめぐる様々な人権問題についての相談を受け付ける専用相談電話だ。匿名でも受け付けており、身近な人が本人に代わって相談することも可能。杏のように困難な状況にある方がいたら相談してみてほしい。