最初のステージはギャラ3000円。苦難続きだったLiLiCoの35年の芸能活動と、「人生を肯定された」瞬間

好評連載 第47回 LiLiCoの「もっとホンネで話そう。私たちのこと」
LiLiCoさん
Yuko Kawashima
LiLiCoさん

18歳でスウェーデンから来日し、 5月に芸能生活35周年を迎えたタレントのLiLiCoさん。浜松で演歌歌手の付き人としてキャリアを始め、映画コメンテーターや歌手、プロレスと多岐にわたる挑戦を続けてきました。最近では、宮藤官九郎さん脚本のドラマ『季節のない街』の「ワイフ」役でも話題を呼びました。

世間を騒がすイシューからプライベートの話題まで、LiLiCoさんがホンネで語り尽くす本連載。今回は、芸能活動を35年続ける中で学んだことや大事にしてきたこと、そして、これからの未来について語ってもらいました。

「ちょっとしたトラウマ」になったリポート仕事

私が初めてステージに立ったのは、1989年5月2日。歌手になるため18歳でスウェーデンから来日した翌年、舞台は静岡県浜松市にあった松菱デパートのビアガーデンでした。ギャラは1ステージ3000円。1週間でお客さん500人にお手製のファンクラブ会員証を売り、マネージャーに驚かれました。

デビュー当時のLiLiCoさん
提供写真
デビュー当時のLiLiCoさん

このとき所属していたのは、浜松にある芸能事務所。しばらくして、事務所兼社長の自宅のビルに住み込みで、先輩の演歌歌手の付き人をしながら下積みをすることになりました。当時は「絶対に日本で歌手として売れてやる!」と野望に燃えていたけれど、日本語はわからないし怖くて寂しかったですね。

覚えているのは、地元のテレビ局からいただいた、夕方の情報番組のリポーターの仕事。樹齢300年の桜を紹介するという短いニュースでしたが、日本語がわからなかった私は、台本にローマ字でルビを振って読み上げるので精一杯でした。結局、桜を見ている私の映像に、別録りのナレーションを組み合わせたものが放送されました。今ではリポート仕事もたくさんやっていますが、実はこれ以来ちょっとしたトラウマなんです。 

その後、マネージャーと2人で車上生活をすることに。浜松や愛知県の健康ランドで営業をしたり、スナックで頼み込んで歌わせてもらったりする毎日でした。生活はかなり苦しく、面倒見のいい人が家に泊めてくれて、マネージャーと3人で川の字になって寝たこともありました。 

拠点を東京に移してからは、六本木の高級会員制クラブでバイトをしながら芸能の仕事を続けました。ママがすごく面白い人だったし、接客を通して日本社会でのコミュニケーションを学べて、いい経験になりました。

Yuko Kawashima

どんな仕事も「人対人」

クラブでは高い時給をいただいていましたが、会社とマネージャーを助けるためにと思って、給料はほとんど渡していました。でもある時、マネージャーが私のことを他の人の前で「水商売の女」と話していると知って…。もう潮時なのだと悟り、その事務所を離れることにしました。そのマネージャーとはそれ以来連絡をとっていませんが、人伝に「LiLiCoは俺から離れてよかった」と言っていたと聞きました。 

苦難も多かった浜松時代に学んだのは、仕事をいただくことはとても大変なことで、そして、どんな仕事も「人対人」だということ。そこからは、よりいっそう人とのつながりに助けられて、一つひとつの仕事を大切につないできました。『王様のブランチ』で映画コメンテーターとして知られるようになり、バラエティ、プロレス、ボディービル、ミュージカル…こんな芸能人生を送った人は、なかなかいないはず。

売れる前も売れてからも、ずっと心がけてきたのは、プロフェッショナルとしてもらった仕事は100%やりきることと、いいものを作り上げるために自分からアイデアを出すこと。観た人が「明日からも生きよう」と思える一言を残せたらという思いで、仕事をしてきました。

Yuko Kawashima

「LiLiCoの気配」を消して、待望のクドカンドラマにも挑戦

ここ数年、俳優のお仕事をいただく機会が増えました。ずっと出演させてほしいと伝え続けてきたクドカン(脚本家の宮藤官九郎)さんには、ドラマ『季節のない街』でキャスティングしていただきました。

私が演じたのは、藤井隆さん演じる「島さん」の妻「ワイフ」。毒々しい見た目と関西弁、ふてぶてしい態度の中年女性で、「いつものLiLiCo」の気配を消して演じました。

『季節のない街』で「ワイフ」を演じたLiLiCoさん
提供写真
『季節のない街』で「ワイフ」を演じたLiLiCoさん

私、髪型やメイクで雰囲気がすごく変わるんですよ。それをどうにかわかってほしくて、クドカンさんにはすっぴんの写真を送ったぐらい。「俳優ですっぴんの写真を送ってくる人いないよ」とビックリされたけど(笑)。眉毛の全剃りも相談され、もちろんOKと即答しました。

2023年にディズニープラスで配信が始まった時には、周囲の俳優さんたちに「よかった」と声をかけてもらい、自信につながりました。

私が「LiLiCoの気配を消せる」ことが伝わったのか、『季節のない街』以降、一人の俳優としてキャスティングされるようになった気がします。ドラマ『さよならマエストロ』では、1話から出演しているのに誰も気づかなかったのか、ネットニュースになったほど(笑)。5月に公開された映画『お終活 再春!人生ラプソディ』も、ほぼすっぴんで出演しています。

2023年10月にテレビ朝日の放送番組審議会委員になったのも、テレビ業界を盛り上げたいから。テレビ離れと言われますが、テレビはやっぱり楽しいし、影響力が大きいメディア。番組をさまざまな角度から審議する中で、毎回新しい発見があって勉強になっています。私の仕事は、ハリウッド俳優にインタビューするなど華やかなものだけではなく、どうしたらもっとエンターテインメント業界を盛り上げられるか、スタッフさんたちと一緒に考え、行動に移すことです。

Yuko Kawashima

スウェーデンと日本のテレビ制作現場の違い

芸能生活35周年を迎える今年、スウェーデンのテレビにも出るようになりました。4月に出演したのは、2023年9月にも日本からリモートで出演した朝の人気ワイドショー。スタジオで自分の半生について話しました。

驚いたのは、番組の制作現場です。メインの司会2人がニュースの紹介やゲストトークなどをする番組なのですが、ひとつのスタジオにソファー席、テーブル席、キッチンと3つのセットが組まれていて、コーナーによって司会者が行ったり来たりしながらの生放送でした。 セット内にはスタッフはおらず、司会者たちの手腕によって驚くほどスムーズに進んでいきます。

機材も日本と違い、音声器具はイヤホンとマイクが一体型のインカムで、司会者のセリフのアシストはすべてプロンプターで、カメラレンズの前に映し出されます。台本もタブレットです。効率的だし、地球環境へ配慮するためでもあるのでしょう。

日本のテレビ局では未だに紙の「カンペ」をめくって使っていますが、それをスウェーデンの番組司会者2人に話したら「あんな先進国なのにまだ紙?」と衝撃を受けていました。

もう一つ驚いたのは、働く人たちが自由だということ。待機部屋はバーのようにリラックスできる空間で、私も何人かとくつろぎながらテレビに流れる放送を観ていました。すると、近くの席でニュースに面白いツッコミを入れていたお兄さんが急に「さ、LiLiCoさん、マイクでもつけようか!」と言い出して、驚きました(笑)。

音声さんが待機部屋でリラックスしてコーヒーを飲んでいるなんて、日本だったら絶対にありえない。スウェーデンはスタッフ同士の関係性がフラットで、それが番組にもいい影響を与えていたと思います。

「人の助け」になる人生を

Yuko Kawashima

その日、反響を知りたくて、わざと出演した衣装のまま街を歩いてみました。スウェーデン人は街中で芸能人に声をかけることはあまりありませんが、老舗デパートで一人のマダムが「朝のテレビ番組であなたを見て、とても清々しい気持ちです。頑張ってね」と伝えてくれたのは嬉しかった!

スウェーデンで何かを残せたのだと思いましたし、もみくちゃにされながらも芸能生活35周年を迎えられた私の人生が肯定されたようで、幸せだなと思いました。

人との縁をつなぎ、人に助けていただきながら邁進してきた35年。これからは自分の仕事以外にも、人の助けになることをしていきたいと考えています。

つい先日も、観光大使をしている東京・葛飾区で、飲食店の経営に困っている方と一緒に、区の担当の方に会ってきました。アレルギー対応食品を開発する藤春幸治シェフの事業に出資して応援したり、コンゴやウガンダの女の子の教育費や食費を援助したり、今後もそうした支援にもっと力を入れたいですね。

最近はシングルマザーへの支援を始め、シリアの紛争で壊れた学校に寄付もしました。実は今年、ネパールの学校建設のスポンサーになったんです。今まさに建設が進んでおり、子どもたちは目を輝かせて楽しみにしているそう。生放送があるのでどうしても現地には行けないのですが、オンラインで子どもたちと話をするのが今から楽しみです。

こうした支援活動を通じて、いろんな土地の人と縁を持てるのも素晴らしいですよね。学校には私の名前の入ったプレートがかかるんですが、長い時を経て私が亡くなったあと、途上国が発展し豊かな暮らしができるようになり、その学校を卒業した子の子孫として生まれ変わった私がプレートの名前を見て「おや、なんか見覚えがあるな…」って思えたらいいなって(笑)。そんないつかのことを想像しながら、36年目も全力で楽しんでいきます!

Yuko Kawashima

(取材・文=有馬ゆえ、写真=川しまゆうこ、編集=若田悠希)