作品を「無断で二次利用された」「(内容を勝手に改変されるなど)同一性保持権を侵害された」ーー。
漫画家やイラストレーターを対象とした調査で、著作権や契約をめぐりトラブルが相次いでいることがわかった。フリーランスと、仕事を発注する事業者の間で力関係が働き、フリーランスに不利な条件の契約も多く存在しているという。
調査を行ったのは、フリーランスの労働環境の調査・改善などに取り組む一般社団法人日本フリーランスリーグ。日本テレビのドラマ「セクシー田中さん」の原作者で漫画家の芦原妃名子さんが1月、脚本をめぐり日テレ側と見解の違いがあったと明らかにしたあと亡くなったことを受けて実施された。
「原作者にリスペクトを持つにはルール必要」
同団体は、「セクシー田中さん」の一連の経緯をめぐる日本テレビによる調査報告書について、▽事前契約、▽SNS、▽コンテンツ産業への影響の3つの点からも、見解をまとめた。
日テレの報告書では、原作をめぐる契約の締結が放送開始後だったことが明らかになっている。これについて同団体は、「原作者にリスペクトを持って仕事をするためには、大前提としてコンテンツの取り扱いに関するルールが必要」と指摘。「トラブルがあった場合に立ち戻るものとして、事前の契約締結が機能する」とその重要性を強調した。
また、「セクシー田中さん」の制作過程をめぐっては、脚本家および原作者がSNSを用いてそれぞれの見解を投稿した。同団体は、SNSは「非常に暴力的な言動を誘発する危険性もある」とし、「本来は契約書でSNSの利用ルールを設けるべきだった」と指摘した。
一連の経緯や日テレの報告書を受け、漫画家らの中にもドラマ化などのメディアミックスに対する不安が広がっている。同団体は日テレの再発防止策が「クリエイターが安心していどめる手本になるのか疑問」だとし、「今回の悲劇を個別の事象として収束させるのではなく、具体的な再発防止策が必要」だと述べた。
著作者人格権とは? 「不行使」が条件になる場合も
同団体は、「セクシー田中さん」の事案を受け、フリーランスの漫画家・イラストレーター計570人に対し、発注側である出版社やテレビ局などと、創作物をめぐり契約を締結する際の対応について尋ねた。
これまでにも、フリーランスと発注者間で著作権や著作者人格権の取り扱いをめぐるトラブルが多数起きてきたという。
著作者人格権とは、著作物を創作した著作者だけが享受できる人格権で、財産的な利益を保護する「著作権」とは別のもの。著作物の題号や内容を勝手に改変されない権利(同一性保持権)などが含まれる。著作者人格権は他者に譲渡できないが、実際の契約では、著作者に対し、「著作者人格権を行使しない」という条件が定められることもある。
著作権や人格権をめぐり、実際にトラブルが発生した経験を複数回答で尋ねたところ、54%の人が「ない」と答えた一方で、「無断での二次利用」を20.6%、「同一性保持権の侵害」を15.9%が経験していた。
また、発注の際の契約書締結では、「締結はしていないが、メールや覚書など記録に残る形で約束している」が40.9%、「電話や口頭などの口約束で決めている」が17.1%、「契約書も口約束もなく、案件終了後に交渉している」が4.5%いた。
著作権や著作者人格権の取り扱いについても、6割超が「著作者に権利がある」と答えた一方、「著作権をすべて譲渡する」は27.4%、「著作者人格権をすべて行使しない」は23.3%と、事業者側が有利になる契約も多く存在した。
こうした結果を受け、同団体理事の髙田正行さんは、「契約はお互い合意の上で結ばれているというより、フリーランスと事業者の間で力関係が働いている」と指摘。調査では、「慣例的に権利を自社側(事業者)に寄せる方向で交渉してくる場合もあること」が明らかになっている。
「好きなことを仕事にできていいですね」は「社会との溝」
会見では、近年、文化芸術産業が大きく成長している韓国の事例も紹介された。韓国では公正取引委員会がフリーランス向けに80種類以上の標準契約書を作り、法整備も進めるなど、文化芸術分野のフリーランスの権利保護に向けた明確な規範を示している。過去15年間で、韓国コンテンツ産業におけるフリーランスひとりあたりの売り上げは2.24倍、産業全体の輸出額は9.17倍になっているといい、産業としての成功と、フリーランスの権利保護が同時に進められてきた。
髙田さんは、こうした他国の取り組みと比較すると、「日本はコンテンツ産業の中でフリーランスと事業者側でどういう契約状態が平等なのか、理解や知識がアップデートされてこなかった」と述べ、「国レベルでフリーランスを保護する仕組みが必要」だとも提言した。
同団体にサポーターとして参加するイラストレーターの小池アミイゴさんは「(イラストレーターという職業を明かすと)『好きなことを仕事にできていいですね』と言われるが、それはリスペクトというより『社会との溝』です。そこに労働という発想がない。私たちの仕事は、創作と労働の組み合わせで対価をもらっています」とし、文化芸術に従事する人々は「日本では自己責任に追いやられすぎている」と指摘した。